2005年6月22日水曜日

舞鶴市政記念館 / 2番目の Vicky にさえも完敗


舞鶴市政記念館

 舞鶴市に、12棟の赤れんが倉庫群が歴史的建造物として残っている。現存する日本のれんが建造物の中でも、貴重な近代化遺産の建造物群である。その一つである市政記念館(写真)は、1902年に、旧海軍の兵器廠倉庫(砲銃庫)として建設されたもので、戦後は、市庁舎の一部として使用されていた。1994年10月、芸術・文化の交流の場として生まれ変わり、舞鶴市の歩みの展示コーナー、市民サロン、ホールを含む。国の有形登録文化財。(参考:舞鶴市・舞鶴観光協会「舞鶴・港町浪漫:舞鶴観光ガイドマップ」)

2番目の Vicky にさえも完敗

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年9月12日(金)雨

 停電。ロウソクの光で書いている。殺人的な停電だ。

 昨年のように掲示して発表はしないそうだが、国語では、別クラスで2番目の Vicky にさえも完敗していた。われわれのレッスン・クラスの90点台も2人いた。もう1人は YMG 君だったが、われわれはどちらも、SN 君のクラスの90点台には劣っているのだ。[1] SNN 君や Twelve は、どうして振るわないのだろう。

 これでは、小学生の社会探訪だ。まあ、仕方がない。金大の学部長連は、きょうは都合が悪いそうだったし、自分で決めた締め切りは守らなければならないから。

 宇治拾遺の「いもがゆ」の主役は誰か。

 自分の思索が究極においては、誰のものよりも優れたものであり得るという、半分うぬぼれたような考え…。

1952年9月13日(土)曇り

 無為にして治まっている国の女王のようにはしゃいで…。決してうまく行っているのではないのに。もしも、どれだけかのことが出来るとすれば、それは編集長以外のメンバーの努力のお陰だ。

 引用時の注

  1. たかだか5、6点の差に、ずいぶん残念がったものである。

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