2005年6月23日木曜日

赤れんが博物館 / 何だかあべこべ


赤れんが博物館

 舞鶴の赤れんが博物館(写真)は、れんがをテーマにした世界に類のない博物館である。建物は旧海軍の魚形水雷庫として1903年に建造され、本格的な鉄骨構造のれんが建築物としては、わが国に現存する最古級のものとされている。世界四大文明のれんがを中心に、各国のれんがやれんが建造物などを紹介している。舞鶴市指定文化財。(参考:リーフレット「赤れんが博物館」、舞鶴市・舞鶴観光協会「舞鶴・港町浪漫:舞鶴観光ガイドマップ」)門の "World Brick Museum" の文字が、くり抜かれて空の色になっているのが私には面白く、肝心のれんが造りの建物が隅へ押しやられた写真になった。

何だかあべこべ

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年9月14日()雨

 実は相当の理由があって持久戦?をとったのだが、判断の結果は正しくなかった。われわれの間に、「言い得ないこと」があってよいだろうか。自己の体面に対する恥、これがあまりにもちっぽけで、ばからしくて、君にはどんなものか推察できないだろう。しかし、2枚前のページで君がとった行為とよく似たものかも知れない。

 具体的なことをいえば簡単だ。昨日は少々早く帰宅したので、ふと絵を描きたくなったのだ。そこで、家から西の方の道路と家を画用紙に収め、夜になってから色鉛筆で彩色した。遠近法を巧みに利用し、ミニチュアセットのような、図案的な絵にしたのだ。それが果たして成功しているものか、見てほしかったのだ。校内美術作品展に出品してみようかと思っていたのだが、そのために君に見て貰うことをためらったのである。何だかあべこべだと思わないかね。


(Ted)

(続)1952年9月14日()雨 [1]

 「夏空に輝く星」を書く前に、ぼくは君が与えてくれた3通りの主人公案のうち、「青年期の云々」というのに近いものを書くだろうと書いた。しかし、それは決して「青年期の人物の女性に対する関心」に限られたものではあるまい。小説中で、ぼくはそのことを、少なくとも表立っては、問題としなかった。女性の登場は、小説の雰囲気作成上から必要とされたものに過ぎない。これに反し、Jack の作品は、女性の登場がテーマそのものだったのだ。だから、「しっかりと抱擁すべきである」という君の感想は、彼の場合にあてはまっても、ぼくの作品にはあてはまらない。君の書いたことは誤解とまでも行かないが、もっとテーマの中心に触れて貰いたかった。――こんなことを書いていては、作品よりもその弁明の方がおおげさなものになりそうだが。――

 「のらくろ」の漫画で、ぼくが最もヒューマニズムを感じたのは、どんなところだったと思うかね。といっても、はなはだ薮から棒の話だ。われわれがそんなものを読んだのは、よほど以前のことだから。田河水泡のあの漫画は、大部分が失敗の生みだす滑稽さで笑わせるものだが、ときには、主人公の「のらくろ」に、非常に人間的なところが見られたように思う。(君が新しい映画の紹介を書いてくれるのに、ぼくがこんな古い話を引っ張り出すのは悪いが、少しがまんして読んでくれ給え。)まだ士官でなかった頃の「のらくろ」が、何かの失敗をして自分の部屋へ帰り、「床を敷いて寝ちまおう」とつぶやく場面があった。自分がいかに軽はずみであったかを反省もしないで、寝てすべてをまぎらわせるのは、理性的には非難したくなる行為だ。しかし、ぼく自身、「のらくろ」と同じ気持に陥りかけるのを感じるときがある。それでも、そういうときのぼくは、むしろ理性が平常よりハッキリと目覚めていて、すぐにその気持を食い止めるから、「のらくろ」のように寝てしまいはしない。[2]

 引用時の注

  1. この日、ノートを交換していて、正編の方は紛失したノートに記されていたのである。

  2. 家族と一緒に間借り暮らしをしていれば、風邪を引いたのでもなくて、昼間から勝手に「床を敷いて寝ちまう」わけにも行かなかったであろうが。

 [以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 06/23/2005
 Ted さんに先に、「赤れんが博物館」の写真を掲載されてしまいましたね。私もいずれ掲載いたします。この博物館は、貴重なものでしたね。こうした中規模の博物館・美術館でよいものが、国内旅行で行く各所にあるので、こういったところに私は日本のこれからの文化財が期待できるように思っています。
 今日の交換日記はどちらも面白かったです。Sam さんの「自己の対面に対する恥」が何かと思いましたら、ふと絵が描きたくなって本気で描いてみたら…ということでしたか。Sam さんは明るく快活な思考をされますね。
 Ted さんの日記も、よく共感できます。女性の登場が最重要な小説を書いたわけではない、というのは、よくわかるのですね。私も小説を書いていた頃、異性をどうしても恋愛の気持ちを通して登場させないと、純文学として成り立ちにくい、という意識はありましたが、表現したい主題はいつも別のことでした。私のブログもある意味、そういった主題をもつものなのです…愛のかけひきではまったくありません。先生はお判りでしたでしょうか。

Ted 06/23/2005
 赤れんが博物館へ行かれましたか。私たちの小旅行は、風景を見ながら歩くことが主な目的で、博物館の中は見ませんでした。
 由名さんのエコログは、愛の「かけひき」を書いておられるとは思いません。しかし、かなりの程度、愛に関わっているように思われますが…。

Y 06/23/2005
 毎回、書いているうちに、普遍的なテーマや私なりの考えにつなげられるように、と思っています、でないと落ち(結末)がつかないのです。個別な事柄に注目されるか、底流となっている普遍的な事柄に関心をもたれるかは読まれる方しだいということで。友人なども話に出せば、より幅広い愛についても書けるのでしょうが、許可を得るわけにもいかないと思い、出てくる人は限られることになっています。

Ted 06/23/2005
 そうですね。ブログは公開している限り、「普遍的なテーマや私なりの考え」につながるように努めることが重要です。そうでなければ、ウエブの世界は雑文の掃き溜めになってしまうでしょう。

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