2005年6月9日木曜日

友の田園情緒の作文を読む


 写真は小学校同級会の行われた金沢犀川峡温泉の風景。(2005年6月3日写す。6月7日に掲載のものを「田園情緒」のタイトルに合わせるため、こちらへ移動した。移動跡へは別の写真を掲載。)

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年8月29日(金)晴れ、30日(土)曇り

 大きな失策を経験しつつある。自分の生活がそれのみではないから、それほど重大とも感じないでいるが、もしも、これが社会へ出てからのことだったらどうだろう。はなはだしい損失に違いない。たったこれだけのことを、完全にやれないとは、このままにしておけないことだ。Stray sheep でも、自分の足で歩かなければならない。この経験を無視してはいけない。[1]

 Twelve の国語甲の宿題を見せて貰った。原稿用紙状の罫線の入った作文帳に書かれた下書きだったが、15枚におよぶものだった。それを今から清書して出そうというのだから、悠長なものだ。そして、内容も同様に、のんびりしたものだった。回顧的な調子の文章は、あっさりしていて読みやすく、そこに盛られた田園情緒は、『千曲川のスケッチ』で読んだような稻や農具の匂いが、そっくりそのままこもっているものだった。
 生産することを愛し、田と鍬を可愛がった(という表現は、Twelve の文中にあったものではないが、彼はそれを他のことばで巧みににじみ出させていた)百姓のお爺さんの思い出と、後に残された息子(孫かも知れない)と田圃と、それらが Twelve 自身に与えた感懐を綴ったものだった。その田圃は彼の家の前に今も拡がっているものだと思われる。天候や収穫に関する百作と貞夫の会話や、その環境は、おおまかに、あるいは、こまごまと、多くの情趣を含んで描写されていた。ロマンチックということばが3箇所に使われていたが、Jack の使ったそれとはまったく異なる状況においてであった。Twelve は、害鳥を追うために田の中に設けられた、音を出して回転する器械(何という名前だったか)の「からから」という音にロマンチシズムを感じたのである。風物や人生に対する俳諧の精神に近い彼の感じ方・見方が現れている。
 Twelve の作品のよい点ばかりを書いたが、休み時間に飛ぶように目を走らせて読んだことが残念だったというに価する作品であることは確かだ。この作品は、人間の感情を静寂な自然と一体化させようとする、いわゆる純日本的(あるいは東洋的)なものであり、自然観察を人間の性格の考察中に引き入れ、人間性の追求を目的とする西洋的なものの対極といえよう。そのことだけが、ぼくには物足りなく思われた。

 Flame, philosophy, pollen, pluck, cluck, acorn ――2年生のリーダーに新しく出て来た250近くの単語の書き取りをしてみたら、これだけ間違った [2]。l を r に、i を y に、ll を l に、u を a に、…というような間違い方だ。習ってよく理解したばかりの範囲だから、全部書けそうだと思いながらも、誤ってしまうものだ。

 引用時の注

  1. 新聞部でのクラブ活動のことだったか。

  2. 単語帳の日本語の方を見て英語を書いてみたのである。私は英語の試験前には、よくこういうことをしていた。

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 06/09/2005
 田園風景などに代表される純日本的な「自然」は、落ち着いたくすんだ色合いが多く、また日本人はその自然と日常的にかかわる「人々」をも含めて、自分にとって身近な「自然」としている、ということで、自然と対峙するような関係にないですよね。確かに、日本人的な「調和」の性格はこのあたりにも由来する部分があるのでしょうね。日本人的文化心性は、私も少し先の論文で取り上げます。

Ted 06/09/2005
 日本人の「調和」の性格が豊かすぎて、政治や経済を動かす人びとに対する批判が不十分なことが、私には歯がゆく思われます。

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