2005年6月25日土曜日

ハス盗人? / 「夕鶴」


ハス盗人?

 近くの「中の池公園」に、ピンクの花を咲かせるハスと白のそれとがある。先日、ピンクのツボミが一つかなりふくらんでいたので、翌日写真を撮るつもりで行くと、なくなっていた。心ない人物が持ち去ったのだろうか。そのあたりの茎が1本倒れていた。次にピンクの花が咲くのは、もう少し後になりそうだ。上の写真は6月22日撮影の白いハス。

「夕鶴」

 高校時代の交換日記から

(Ted)

(続)1952年9月15日(月)雨

 国語の授業は、「一寸法師」以下をすっ飛ばして「万葉秀歌」へ入ったので、まだ読んでなかった「夕鶴」に目を通した。ちょっとみれば「……」のむやみに多い脚本だが、読んでいくと、それが少しも間隙を作らないで、かえって次つぎに胸にせまる何ものかを作り出していることに気づく。主題は、簡単にいえば「愛と欲」、もっと簡単にすれば「欲」となるだろうか。しかし、これでは漠然としているから、「金欲とそれに対して優しくしかも執拗に反抗する愛情」という表現もしておこう。
 登場人物の性格について。与ひょうは、主題(上記の後者の表現)の中で対立する二つの事柄の間をさまよう、意志の弱い人物。つうは清浄な心と愛に満ちている人物(?)だが、その愛は与ひょうに強く向けられるあまり、いささか排他的になりがちである。「ずるいわ、あんたたち……ねえ、…ねえ、……えゝ憎い、憎らしい……」というところと、すぐその後の「……いえ……いえ、いえ、すみません、憎いなんて……」というところにそれが感じられる。つうが完全に理想的な心を持っていて、その愛が普遍的なものであれば、惣どと運ずの悪心を積極的に正そうとはしても、「憎い」とは叫ぶまい。そして、彼らが悪心を持った人物であることを知りながら、次の瞬間に、わけもなく許したり、謝ったりはしまい。「お願いします」といっているところからは、与ひょうだけが彼らから救われれば、彼らはいつまでもそのままでよいといった態度が感じられる。惣どはあくまで我利に夢中であるが、運ずは彼より同情心がある。――こんなところで、どうだね。

(Sam)

1952年9月16日(火)曇り一時雨

 将棋がとてもはやっている。誰もだいたいにおいて同じ手腕だ。休み時間にしていると、対局者の付近が黒だかりになり、摂政や関白がわんさわんさと出現する。

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