左のイメージ内の左側の幅広いスケッチは、下に引用の交換日記の9月9日付け部分に一部削除するため貼り付けた画用紙の切れ端の一つに、後日、私が間借りしていた部屋(二階)からの眺めを描いたもの。向かいは製材所で、多くの木材が立て掛けてある。左下隅に、10月26日を意味する「10.26」の文字がある。
右側の幅の狭い絵は、相対するページに貼付してあった画用紙のもう一つの切れ端に、Samが想像で描き加えたもの。こちらの絵の上部の薄茶色は、画用紙の黄変などによる。二つの画用紙の切れ端が別ページにあり、それらの位置が絵の上下方向にずれていたため、電線の間隔が合うようには描けていない。なお、私の絵の右下がりの電線の右端は、その急な下がり具合から、Sam が描いたように近くの電柱につながっているのではなく、家へ引き込まれているものと思われる。
Samは欄外に次のように記している。
平凡だが、これを次ページの絵の右に加える。想像して描いたものだ。こうして並べてみると、君の描き方の巧いところが分かるね。
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年9月8日(月)雨
充実とは、いかに美しく愉快なことであるか。また、それを得るには、いかに強い忍耐を必要とすることであるか。
1952年9月9日(火)雨
『菫台時報』の「門を叩く」欄の取材ために、明日、もと日展審査員の都賀田勇馬氏をHN君と一緒に訪問することになった。[1]
内容に支障はなかったが、表現が気に入らなかったので消す。[2]
「民衆的な力強さ。」どうしても、そのような表現はできない。それもそのはず、これはトルストイの表現についていわれた言葉だ。しかし、例え文学でなくても、文字で何かを表そうとするときには、そういう表現が出来るようでありたいと思う。この言葉は、まっすぐな倫理と盛り上がる意志と的確な判断をなし得る知性と、まだ他にも挙げられるだろう優れた社会人の持つべきすべての要素を含んだ、文を書く人の人柄、そして、表現の飾り気のなさ、豊富な観察による平凡な言葉の巧みな配列、そうしたものを感じさせる。
引用時の注
都賀田勇馬氏は祖父の小学校での教え子である。牛の塑像作成で著名であった。学業が必ずしも得意ではなかった都賀田少年を、祖父は次のように励ましたと語っていた。「何でもよい、自分のできることで、日本一の者になれ。たとえば、日本一の車引きもよいではないか。」
20行にわたって、画用紙を切り取って貼り付け、消してある。
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