福知山城
福知山城は、1580(天正8)年頃、丹波平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として築いたのが始まり。明治の廃城令によって、天守閣は取り壊され、石垣だけが残っていたが、1986年に再建された。この天守閣(写真)は、望楼型の独立式を基本として復元され、初期の特徴がよく現れたものとなっているという。[JR 西日本「駅からはじまるハイキング MAP(46)福知山コース」を参照した。写真は2005年6月12日撮影。6月12日から2泊3日の、福知山ほか京都府北部への旅行については、いずれ掲載の予定。]
試験が終りトランプに興じる
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年9月3日(水)曇り
われわれの通信帳を試験の復習帳のようにしてしまっては恐縮だが、きょうの試験の全失策箇所をここに書くことを許してくれ給え。
製紙法の発明は__世紀で、8世紀の中頃それは、__、__に伝わった。漢書の著者は__。武帝が大月氏国と同盟したのは、__のためである。1世紀中頃、後漢の皇帝から金印を貰って帰ったのは、わが国の__という部族国家。ローマ皇帝の使者が始めて漢へ来たのは__世紀。中国で郡県制を確立した皇帝は__である。武帝の政治方針は____。ウパニシャッド哲学が宇宙の根本原理とするものは____。* たくさん間違ったものだ。習っていないところだから、誰もがそうだったかも知れないとはいえ、全部教科書にあることだ。記憶の不正確さと努力の足りなさとの現れでなくて何であろう。
解析 II は3題しか出なかった。これは何も書くことがない。
稔が殿村に会ってから、繁行の家へ行って過ごしたような午後 [1] を経験するために、Jack、SN 君と連れ立って、TKS 君の家へ行った。TKR 君たちとするときには Almighty と呼ばれる札を、TKS 君と、彼の家へ遊びに来ていた同学年の他校生らしい人物の呼び方に従って Speculation と呼びながら、「ナポレオン」をした。夏休みに東京へ行って手術して来た右腕の肘の辺りにまだ包帯をしている TKS 君がナポレオンになり、ぼくが副官になったときに、2度も perfect game を演じた。「君はナポレオンなんかになる器ではないですな」という冗談をよく口にしていた SN君 と、Speculation の発音に苦労していた Jack は不振だった。最後に12枚を指定して見事にそれを射止めた他校生らしい人物が、ちょうど合計100点を獲得して覇者となった。――稔がしたような思索は出来なかった。――
*(欄外注記)この試験は採点しないそうだ。メチャクチャ先生だけのことはある(13日記す)。
引用時の注
夏休みの宿題として書いた私の小説「夏空に輝く星」の記述を引いている。
前回の「試験に謎なぞが出る」に記載の英語の問題の答:"See 80." をゆっくり読めば、"C, A, T" のようになるので、 "cat" である。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
Y 06/17/2005
Ted さんの時代の高校生は、英語も良い発音をするように努力したのですね。なんと私の時代では、ネイティヴ風に発音しようとすることは恥ずかしいと、和製英語を皆心がけていた向きがありました。なので、当時私は(そんな迎合は嫌なので)その中庸で良いほうの発音を授業でするようにしていた覚えがあります。こんな点ひとつみても、周囲の皆の同質化志向を気にしすぎて自分の成長が逃される、という時代がとうに始まっていたことがわかりますね。
Ted 06/17/2005
いや、必ずしも皆が「英語も良い発音をするように努力した」というほどではありません。この日に Jack が Speculation の発音に苦労したと書いているのは、彼が日本語式発音においてであれ、この単語を覚えるのに苦労していたという意味です。高校生時代の日記にはあまり登場しませんが、中学で同じクラスだった岡一朗君というのは英語朗読が上手でした。彼は五木寛之夫人となった岡玲子さんの弟で、前にも書いたかも知れませんが、玲子さんは中学生時代に英語弁論大会で優勝しています。彼ら姉弟は英語のネイティヴ・スピーカーにでも習っていたのでしょうか。
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