2005年6月18日土曜日

由良川再見 / 「秀作」の絵が理解できない


由良川再見

 6月12~14日の小旅行の2日目は、綾部を散策した。前日、福知山で見た由良川にここでも出合う。写真は、綾部市内の中心部を横切って流れる由良川の、位田橋からの眺め。近畿地方は11日に梅雨入りしたばかりで、しかも、12日からもう梅雨の中休み状態だったが、由良川の水量は豊かだった。

「秀作」の絵が理解できない

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年9月7日()雨

 全体を2回見てから、HS 君の絵を理解するまで動かないつもりで、その前にたたずんだ [1]。灰色と藍色と茶色と黒。不可解だ。もしも、彼がそこにいたならば、「これは一体何かね」と聞きたいくらい不可解だ。しかし、聞いても分かるまい、何とあっても、自分で理解しなければ、と思って、全精神を目と頭に集中した。左にある下に長いもののついた丸いものは樹のようだ。真ん中より少し右に三角形のものがあり、その下に黒い坊さんの頭のようなものがある。墓場かも知れない。…こう思っていたとき、不意に「こんにちは」という声が精神を散らした。HZ 君 [2] だ。前に自分の絵を見に来たときに、その隣りの隣り辺りに彼の絵を見出したのだった [3] が、その彼と一緒に同じ場所で絵を見ることになろうとは!
 「これにいらっしゃった?」と彼はいった。油絵講習会 [4] のことだろうと思ったから、「いいや」と答えた。そして、HS 君の絵から離れて、彼と後になり先になりして、もう一廻りした。廻り終ってから、彼は「行きますか?」と聞いた。うなずいて、一緒に会場を出た。淡緑色のタイルや縁に取り付けてある金属に一歩一歩下駄を打ち付けながら、ゆっくり階段を降りた。4階、3階、2階、1階…。何も語ることなく降りた。出口へ来ると、彼はまた不意に帽子を取って「さようなら」といった。ぼくは最初と同様に驚いて、首をわずかに動かした。そして、別れた。[5]
 HS 君の絵が完全に理解できない。ひげを剃ったあとのあごをなでるときにかんじるような、よい手触りを絵の境地において感じるために、ぼくは何を刈り除いてそこへ到達しなければならないのだろう。「秀作」の金紙のついた彼の作品に接して、何も感知できなかったからといって、トルストイがいったように「万人に理解出来ぬような芸術作品は無価値である」とはいえない。理解できないのは、それに接する者が、理解に到達し得るほどに訓練されていないということに過ぎないのではないか。

 引用時の注

  1. HS 君は絵の道に進んだ中学校の1年後輩だったか。同年代の人物が描いた抽象画を初めて見て、驚いたのだろう。最近の私は抽象画も好んで見る。この日に書いているように、「理解」しようとはしないで、味わっている。

  2. HZ 君については、前に登場したときにも説明しているが、彼と私は七尾市の小学校で隣り合うクラスの級長同士だった。

  3. 中学3年生のとき、私の絵が海外との交換のための絵(イーゼルペイントという商品名の、油絵風に描く水彩絵の具を使うことが条件になっていたと思う)のコンクールの石川県予選・中学生の部で金賞2作品の一つとなり、金沢市の大和デパートへ見に行った。そこで、七尾の中学校にいた HZ 君の絵も入賞していることを知ったのである。

  4. この日見に行った展覧会の主催団体による講習会の広告が近くにあったのだろうか。

  5. このとき HZ 君は金沢大学附属高校へ行っており、その後、彼に会うことはなかったかと思う。彼と私は、それぞれ、関西の隣り合う都市にある大学の理学部へ進むことになった。近接し平行していながら、深くは交わらなかった私たちの歩みであった。


 [以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 06/18/2005
 そうですね、理解しようと思うと、絵の意図や完成度に到達すべく「ぼくは何を刈り除い」たらいいのだろう、とまで悩んでしまいますよね、そういった絵は。むしろ観ることで私たちの何かが「刈り取られる」という受身的な体験であろうと思うのですね。あるいは、やはり相互作用でしょうね、絵の鑑賞は。

Ted 06/18/2005
 絵に対面すれば、まず、感動を喚起されるという受け身から始まって、積極的に分析したり味わったりするという能動的な鑑賞へ進むことも出来ます。これを総合すれば、Y さんのおっしゃるように、相互作用です。鑑賞に理解が必要な場合もなくはないでしょうが、意味よりも感動を提供しようとしている作品を、理解しようと努める必要はないはずです。それにもかかわらず、展覧会場などで抽象画を前にして「こんなのは分からない」といっている人たちを多く見かけます。こういう私にも、抽象画と出会って、「理解できない」などといっていた日があったのです。

四方館 06/19/2005
 昭和27年ですね、この頃すでに高校美術も抽象化の傾向が強まっていたのでしょうね。私のは後追いの知識ですが、昭和30年代には高校美術の全盛を迎えていますね。具象もアンフォルメルを非常に強めていった。
 絵をどう観るか、どう感じ取るか、自分なりに掴めていったのは、やはり高校を出てからですね。それまでは、抽象画なんか出会いがしらの事故みたいなものです。いきなり頭をポカリと殴られたようなもので、訳わかんないって。その訳を求めるからダメなんだってことに気づくのは、美術手帖なんかを読むようになってからです。

Ted 06/20/2005
 四方館さんは後追いでも、よく勉強しておられます。私は、自分で描くことも好きながら、絵について系統立てて学んではいません。

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