2005年6月3日金曜日

御影大橋の渡り初め



 写真は彦根市の玄宮園で、2005年5月24日写す。

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年8月23日(土)曇りのち雨

 竣工成った御影大橋の渡り初めを見に行く。泥のような雲が空にかかっていて、時どきそぼ降って来た。それでも沢山の人だった。ぼくが見たのは、十数個の風船が空に舞い上がって行ったのと、カメラマンが三夫婦の前に橋に足を踏み入れてシャッターを切っていたのと、それから、日本独特の竹製の古めかしい楽器を吹奏しながら木沓をはいて、のそのそと歩んで行く神主に続いて、味気なく足を運んでいる三夫婦と、それに続く、胸に赤いリボンをつけた井村市長、その後にぞろぞろついて行く市議や多額寄付者や町の有力者の顔々だった。この行列をぼくは、橋の人道で、土下座することなく、ざわざわと見ていた。他の物珍しげな人たちとともに。
 折から明るくなってきた空に、鉄柱や鉄骨はすべて銀色に輝き、六千万円の巨費と二ヵ月の長年月を費やして作られた百米余の大橋は、見事なものである。これで金沢駅と松任、小松などとを結ぶ道路がぐんと短縮され、郷土の発展に大きな役割を果たすだろうとのことだが、ぼく自身にとれば、夕食後の散歩と夕涼みか、あるいは競馬場へ行くときくらいしかその恩恵を感ずることはないであろう。が、あくまでこれは、ぼくだけについていったことであって、多くの人たちがこの橋の完成によって恩恵をこうむるに違いなく、そして、そこにこの橋を作った意義がある。

 午後からの寄合い相撲は見に行かなかったが、夜のアマチュア歌謡コンクールは最後まで見ていた。今夜の花火は、一発一発が見ごたえのあるものだった。アマコンの方は、出場者に森永キャラメル一箱があたるというも。OG 君は出場申込をしたが、遅かったので出られなかったというほど、盛大だった。これを司会したのは、NK 君とかいう二十歳くらいの青年だったが、彼は腹話術というのを心得ていて、彼と人形(この人形は口が動くように作られており、人並みのおしゃべりをするのだが、実をいうと、彼が口を動かすか動かさないかの程度で人形の分もしゃべっているのである)の会話には舌を巻かずにはいられなかった。彼はこの前の「ほろ酔いクイズ」の公開録音のときにも来ておしゃべりをした。そのときは、人形のセリフは先に録音してあるのだろうと考えていたのだが、きょうは本当のことを知って驚いた。

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