『科学ジャーナリズムの先駆者:評伝 石原純』[1] という本の批評 [2] を読んだ。その最初には、次のように書かれている。
「石原純」という名前は、多くの人にまずなじみがないことだろう。とすると、「科学ジャーナリズムの先駆者」という表題だけでは、やや誤解を招くかもしれない。
私はその名前に大いになじみのある、いまや数少ないかもしれない人の一人である。1936年に出版された『日本少國民文庫』が戦後改版して出され、私はそれを小学校6年から中学1年の頃に愛読した。その第7巻『世界のなぞ』(1948年、新潮社)の著者が石原純だった。私は、その本で原子や分子について知り、湯川秀樹のノーベル賞受賞(1949年)も影響して、物理学の道へ進むことになった。
上に述べた書評は、次のように続く。
著者が冒頭で記しているように、何より、第一級の理論物理学者であるからだ。20世紀初め、物理学に革命をもたらした相対論や量子論について、日本で最初の論文を発表し議論をリードした。
ここで私は『日本の物理学史 下 資料編』[3] に石原の欧文論文が一編収録されていたことを思い出し、書棚から取り出して見た。
石原(1881〜1947)が一般的量子条件をウィルソン(W. Wilson)やゾンマーフェルド(A. Sommerfeld)とは独立に見出した論文。
という紹介があって、ドイツ語の論文 [4] が引用されている。同じ論文は、文献 5 にも同様に紹介されている。文献 3 には、石原が和文で書いた2編 [6, 7] も収録されている。
次いで書評には、「歌人でもあり」とあり、少し飛んで、次の文がある。
これだけの科学者の名があまり知られていないとは、不思議ですらある。
妻子ある身での恋愛がスキャンダルになり、42歳で東北帝大教授を退職したこともあるのだろうか。以来、研究からは身を引き、科学を論じ、伝える側に回った。
石原の恋愛事件については、彼の歌人としての活動と合わせて、『ウィキペディア』[8] にやや詳しく記されている。
書評は、「その生涯と主張は、今日の科学と科学者のあり方にも、大きな示唆を与えてくれる」と結ばれている。読んでみたい一冊である。
文献
西尾成子, "科学ジャーナリズムの先駆者:評伝石原純," 岩波 (2011).
辻篤子, "物理学のあり方論じた真の科学者,"『朝日新聞』(2011年11月13日).
日本物理学会編, "日本の物理学史," 下 資料編 (東海大学出版会, 1978).
J. Ishiwara, "Die universelle Bedeutung des Wirkungsquantums,"『東京数学物理学会記事』, Ser. 2, Vol. 8, pp. 106–116 (1915).
"Twentieth Century Physics," Vol. 1, L. M. Brown, A. Pais and B. Pippard 編 (Institute of Physics, 1995) 所収.
- 石原純, "アインスタイン印象記,"『アインスタインと相対性理論』石原純著 (改造社, 1921) pp. 137–160 所収.
石原純, "地震と科学教育,"『現代の自然科学』石原純著 (1924) pp. 133–152 所収
"石原純,"『ウィキペディア:フリー百科事典』[2011年11月16日 (水) 16:10].
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