Abstract: The other day, I watched the 1947 Japanese movie Anjō-ke no Butōkai (A Ball at the Anjō House) on TV. Then I learned that the film was based on Anton Chekhov's play The Cherry Orchard. So, I have read the play in a Japanese translation again and made a comparison between the film and the play. Atsuko in Anjō-keno Butōkai seems to hold a more significant role to strive for the new life in the future than Anya, who plays a similar role together with Trofimov in The Cherry Orchard. Some other noticeable differences are also described. (Main text is given in Japanese only.)
先日テレビで見た1947年の日本映画『安城家の舞踏会』がアントン・チェーホフの戯曲『桜の園』を下地とした作品と知り、学生時代に読んだ『桜の園(四幕のコメディ)』[1] を再読した。『桜の園』は没落した地主一家が過去の栄華に執着しながら、数かずの思い出を秘めた所有地「桜の園」を手放す様子を描いている。そして、これは当時の社会的変動(農奴解放)を一荘園の生活に縮写した戯曲とされている [2]。他方、『安城家の舞踏会』は、太平洋戦争終結直後の変革の中で没落する名門華族・安城家の人々を描いている。安城家は、これまで通りの生活をするために全てのものを手放し、いまや抵当に入れた家屋敷まで手放す時が来て、過去の暮らしが夢のように消えて行く最後を記念するために舞踏会を催すが、その裏に家族最後のいろいろなあがきがあった [3]。
『桜の園』の主な登場人物は次の通り。「その」はいずれも「女地主の」を意味する。([1]、[4] による。カッコ内は筆者の付記。)
- ラネーフスカヤ:女地主。
- アーニャ :その娘、17歳。(トロフィーモフを愛している。)
- ワーリャ :その養女、24歳。(ロパーヒンに気がある。)
- ガーエフ :その兄
- ロパーヒン :商人。(競売で「桜の園」を買うことになる。)
- トロフィーモフ:大学生。
- ピーシチク :近郊の地主。
- シャルロッタ :アーニャの家庭教師。
- エピホードフ :事務員。
- ドゥニャーシャ:小間使い。(エピホードフにプロポーズされていたが、ヤーシャに惚れてしまう。)
- フィールス :老僕、87歳。
- ヤーシャ :ラネーフスカヤの若い従僕。(女地主とともに、パリから帰る。)
『安城家の舞踏会』の登場人物を、『桜の園』にほぼ対応する順序に並べてみると、次の通りとなる(主な登場人物の数は同じであるが、『安城家の舞踏会』は家族の数を多くしてあるので、完全な対応は取れない)。登場人物名直後のカッコ内は演じた俳優。「その」はいずれも「安城家当主の」を意味する。(人物の説明は [5] により、カッコ内のみ筆者が付記した。)
- 安城 忠彦(滝沢 修): 安城家当主。華族の生活を捨てられない。
- 安城 敦子(原 節子): その次女。家の没落に現実的に対応しようとする。
- 安城 昭子(逢初夢子): その長女。出戻り。気位が高い。
- 安城 正彦(森 雅之): その長男。放蕩息子。
- 春小路正子(岡村文子): その姉。
- 由利 武彦(日守新一): その弟。忠彦に代わり借金の件で新川と交渉している。
- 新川龍三郎(清水将夫): 闇会社の社長。借金の形に安城家の屋敷を手に入れようとしている。
- 新川 曜子(津島恵子): 新川の娘。正彦の許嫁。
- 遠山 庫吉(神田 隆): 運送会社社長。安城家の元運転手。昭子を愛している。(最終的に屋敷を手に入れる。)
- 千代 (村田知英子): 忠彦の恋人。芸者。忠彦の妻となる。
- 菊 (空あけみ): 安城家小間使。正彦と恋仲。
- 吉田 (殿山泰司): 安城家家令。忠彦の幼い頃から屋敷で働いている。
『桜の園』の若い娘アーニャは、恋人トロフィーモフとともに、新しい生活を積極的に求める役を果たしているが、『安城家の舞踏会』の敦子は、一人でその役を背負っており、存在感がはるかに強いように思われる。また、『桜の園』よりも『安城家の舞踏会』の方が、緊迫感という面での劇的要素を多く含んでいるようである。そのことは、例えば、どちらにもピストルが登場しながら、『桜の園』では第2幕でエピホードフが言葉に出すだけであるのに対し、『安城家の舞踏会』ではそれが危機的な場面を2度も作り出していることや、後者には正彦が曜子を手込めにしそうな場面があること、いったんは新川龍三郎の手に渡った屋敷が、さらに遠山の手に渡ることなどに見られる。
他方、『桜の園』は作者自身が「四幕のコメディ」という副題をつけている通り、喜劇的要素を含んでいる。「ボードビル的な、あるいは衝撃的な登場人物…中略…。彼らをその上に乗せて展開する舞台の底流に、滅びゆく古い生活への哀愁がただよっていなかったならば、この戯曲は作者が呼んだとおり愉快な喜劇の舞台を繰りひろげたことだろう」との批評がある [6]。また、社会問題にふれる長広舌の見事さにおいては、『桜の園』が勝っているように思われる。たとえば、第2幕でトロフィーモフがインテリゲンチャの怠惰と労働者の条件の劣悪さについて語ったり、終末を迎えた農奴制を批判したりするくだりにそれが見られる。——ただ、戯曲の活字と映画の印象から両者の正確な比較をすることは、いわば土俵が異なっていて、はなはだ困難である。
文 献
0 件のコメント:
コメントを投稿