2012年2月11日土曜日

『生きる』と『イワン・イリイチの死』(To Live and The Death of Ivan Ilyich)


『新潮世界文学』トルストイの巻の一部。
Part of Tolstoy volumes of "Shinchō Sekai Bungaku."

Abstract: A comparison is made between the Japanese film Ikiru (To Live) (1952) directed by Akira Kurosawa and Leo Tolstoy's novel The Death of Ivan Ilyich (1886). The conclusion is as follows: Getting a hint from The Death of Ivan Ilyich, the theme of which was the fear of death, Ikiru was made an entirely different work, the main theme of which is how to live a short, remaining life meaningfully. (Main text is given in Japanese only.)

 先日 TV で見た1952年の黒澤明監督による映画『生きる』について、「脚本はレフ・トルストイの『イワン・イリイチの死』が下敷きにされており、作中にそれを暗示するせりふも盛り込まれている」とあったので、そのトルストイの作品 [1] を読んでみた。まず、それぞれのごく簡単なあらすじを文献から引用しておくことが、両者の比較についての私見の客観的裏付けになるであろう。

 生きる:市役所の市民課長、渡辺は、自分が余命いくばくもないことを知りがく然とする。自暴自棄になった彼だったが、希望に燃える若い女性事務員の姿に、自分も生きがいを見つけようと模索。悪疫の源となっていた地区に清潔で新しい児童公園を作ろうと全力で奔走する [2]。

 イワン・イリイチの死:一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながら諦観に達するまでを描く [3]。


 これらのあらすじでいえば、『生きる』の「自暴自棄になった」までは、『イワン…』の「死の恐怖と孤独にさいなまれ」までに、よく対応している。そして、強いていえば、『生きる』の後半、「希望に燃える…全力で奔走する」は、『イワン…』の「諦観に達する」に対応している。

 しかし、『生きる』の主題はその題名が示しているように、主人公が短い余命をどのような生きがいを見つけて生きたかを描いた後半にあるのに対し、『イワン…』の主題は「死の恐怖」にあると思われる。『イワン…』の主人公が「諦観に達する」といっても、それは死の一、二時間前のことで、作品の長さにすれば95%以上終わったところにおいてである。つまり、両作品の主題は、それぞれ生と死という対極を扱っているといえるであろう。したがって、『生きる』の脚本が『イワン…』を下敷きにしているといっても、それは、『安城家の舞踏会』が『桜の園』を下敷きにしている([4] 参照)のとは大いに異なり、むしろ「『生きる』は『イワン…』にヒントを得ながら、趣きの全く異なる作品に仕上げたもの」というべきかと思う。

 なお、[5] によれば、『イワン…』はチャイコフスキー、モーパッサン、ロマン・ロランらが激賞した作品だとのことである。

 余談ながら、『イワン…』を読みながら、私は自分が高校2年のときに書いた拙い創作「夏空に輝く星」[6] を思い出した。「夏空…」において主人公の悩みを記した文章が、『イワン…』においての主人公の苦しみの記述に、それとなく似ているように思われたのである。自分の文を文豪のものと比較することは大それてはいるが、当時私はトルストイと漱石の相当な愛読者だったので、私の書くものが彼らの作品から影響を受けていたことは、十分にあり得ることなのだ。

文 献

  1. レフ・トルストイ, イワン・イリイチの死, 新潮世界文学 20:トルストイ V, p. 455 (新潮社, 1971).
  2. BS シネマ:山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~家族編~アンコール「生きる」1952年・日本, NHK BS オンライン、映画カレンダー (2012年2月).
  3. トルストイ/米川正夫 訳 イワン・イリッチの死, 岩波文庫解説総目録(中), 岩波文庫編集部編, p. 880 (1997).
  4. 『安城家の舞踏会』と『桜の園』の比較 (Comparison between A Ball at the Anjō House and The Cherry Orchard) Ted's Coffeehouse (2012年2月7日).
  5. 木村浩, トルストイの作品, 新潮世界文学 20:トルストイ V, p. 879 (新潮社, 1971).
  6. 「夏空に輝く星」(初出, 新樹, No. 5, p. 106 (石川県立金沢菫台高校生徒会, 1954); PDF 版, 2011).

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