2013年6月29日土曜日

和歌山へのバス旅行 1 (Bus Trip to Wakayama -1-)

 6 月 22 日、妻と私は朝日旅行社のバス旅行「あじさいの曼荼羅園と養翠園庭園」に参加した。まず、和歌山市の養翠園を見学した。これは、紀州第 10 代藩主徳川治宝(とくがわ はるとみ)が、1818 年から 1826 年にかけて造営した広大な大名庭園である。同園で貰った説明書の英文の方が和文より簡潔で分りやすいので、下に掲載する養翠園での写真のうち、3 枚目以下の説明には、ところどころに単語の和訳を挿入するだけで、前者の文をほとんどそのまま引用する。この庭園には、アジサイは正門の近くに少ししか植えられていなくて、撮影し損なった。

On June 22, my wife and I joined the bus trip named "Mandala-en and Yōsui-en in the season of hydrangea flowers," sponsored by Asahi Sun Tours. First, we visited Yōsui-en in Wakayama. Harutomi Tokugawa, the 10th feudal lord of Kishu (presently Wakayama Prefecture) built this vast garden in the years from 1826 to 1818. The following photos were taken in Yōsui-en. In the leaflet we got at the garden, explanations in English are simpler and more understandable than those in Japanese. Therefore, for explanations of the third to the last photos, I quote part of the English explanations only by inserting Japanese for a few words. In this garden, there were only small amount of hydrangeas near the main gate so that I missed taking shots of them.

御茶屋「養翠亭」。左斜め登り廊下は全国にも例がないという。
Yōsui-tei, a resting booth in the garden. It is said that, in the whole country,
there is no example of the left-climbing corridor built in the resting booth.

キンメイチク(金明竹)。
Phyllostachys bambusoides Sieb.

There are many old pine trees in the 33,000 m2 garden. At the center, there is a 10,000 m2 pond filled with sea water. So, the water level changes with tides. [...] Two bridges,
Taikobashi [太鼓橋] and Mitsuhashi [三ツ橋], span the pond.

The pond is shaped like the West Lake [西湖] in China. The artistic design of Yōsui-en is such that the characteristic straight line of the Chinese style pond [as seen in this picture] contrasts
beautifully with the complicated curved lines of the surrounding Japanese garden
[as seen in the previous and next photos].

A guardian deity [守護神] is enshrined on the island in the middle of the pond.

(つづく)
(To be continued)

2013年6月26日水曜日

宇治・京都への小旅行 3 (Little Trip to Uji and Kyoto -3-)

 宇治を歩いたあと京都へ移動し、京都御苑の西側に面したホテルに宿泊。翌朝、御苑の中を少し歩いてから、京都市学校歴史博物館と京都国立近代美術館を訪れた。

After walking in Uji, we went to Kyoto and stayed at the hotel facing the west side of Kyoto Imperial Garden. The next day, we walked a little in the garden and visited Kyoto Municipal Museum of School History and the National Museum of Modern Art, Kyoto.


ホテルの窓から見た京都御苑の蛤(はまぐり)御門付近のスケッチ。
Sketch of the scenery around Hamaguri Gate of Kyoto Imperial Garden
as seen from the window of the hotel.

巨樹が並ぶ京都御苑。
Large trees in Kyoto Imperial Garden.

京都市学校歴史博物館の門。博物館の建物は、統廃合で閉校になった番組小学校
一つである旧開智小学校の校舎を利用している。
The gate of Kyoto Municipal Museum of School History. The museum building uses that of the former Kaichi Elementary School, one of the oldest elementary schools in Japan.

学校歴史博物館で見学した企画展『挿絵と表紙からみる教科書の世界』のチラシ。終戦直後に部分的に墨塗りして使われた戦前の教科書(同じ教科書の墨塗りされていないものとともに展示)が、軍国主義の愚かさの歴史を示していた。明治から昭和にいたる学校の歴史を資料や写真で示した常設展示も見応えがあった。
Flyer of the exhibition History of Elementary School Textbooks: Their Covers and Illustrations we saw in the Museum of School History. Immediately after the World War II, textbooks during the time of the war were used by partially blacking out. Samples of such textbooks, shown together with the same ones without blacking out, illustrated the history of stupid militarism. There were also impressive permanent exhibitions showing the history of schools from Meiji to Showa Period
by materials and pictures.

京都国立近代美術館では、『芝川照吉コレクション展:青木繁・岸田劉生等を支えたコレクター』を鑑賞。看板の左は岸田劉生の『S 氏の肖像』(1914 年)、
右は青木繁『女の顔』(1904 年)。
At the National Museum of Modern Art, Kyoto, we appreciated the exhibition The Shibakawa Collection: Tribute to a Patron of Aoki Shigeru, Kishida Ryusei and Others. At the left of the signboard is Kishida Ryusei's Portrait of Mr. S (1914), and at the right,
Aoki Shigeru's Head of a woman (1904).

(完)
(End)

2013年6月25日火曜日

宇治・京都への小旅行 2 (Little Trip to Uji and Kyoto -2-)

 以下の写真は、旅の初日の午後、宇治で訪れた場所。

The following pictures show the places we visited in Uji in the afternoon of the first day of the trip.

応神天皇の皇子、菟道稚郎子命 (うじのわきのいらつこのみこと)をまつる宇治神社の本殿(国指定重要文化財)。
Main hall of the Uji Shrine (nationally designated important cultural property).

宇治上神社の本殿(国宝)の覆屋(写真奥)。中に3 棟並ぶ本殿は、現存最古とされる平安時代後期の造営。神社は「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されている。
Main hall of the Ujigami Shrine. The shrine was registered as a UNESCO World Heritage Site as one of the "Historic Monuments of Ancient Kyoto."

「さわらびの道」の一画。
One section of "Sawarabi walk."

寝殿造りを取り入れた源氏物語ミュージアム。展示と 20 分の映画『浮舟』(人形劇)を鑑賞した。
The Tale of Genji Museum, the building of which uses shinden-zukuri style. We appreciated exhibitions and a 20-minute movie "Ukifune" (performed by puppets) there.

源氏物語ミュージアムの喫茶室で一休み。
We took a rest in the tea room of the Tale of Genji Museum.

(つづく)
(To be continued)

2013年6月24日月曜日

宇治・京都への小旅行 1 (Little Trip to Uji and Kyoto -1-)

 さる 6月 13、14 日、妻と私は宇治と京都への小旅行をした。宇治では、JR 西日本が 10 年余り前に発行した『駅からはじまるハイキング MAP』の「4. 宇治コース:源氏物語・宇治十帖を歩く」を参考にして歩く予定だった。しかし、当日は「真夏日」の気温になる予想だったので、コースを大幅にはしょり、一部だけを歩いた。以下に、訪れた場所を写真で紹介する。

On 13 and 14 June, my wife and I made ​​a little trip to Uji and Kyoto. We had a plan to walk according to "Hiking Map Starting from Station: 4. Uji Course to Walk the Scenes of The Tale of Genji: The Ten Quires of Uji" published by JR West about ten years ago. However, we walked only a small portion of the route because it was expected that the highest temperature of that day would become over 35 degrees centigrade. The places we visited are shown below by photos.

宇治橋を背景にした紫式部像。
The statue of Murasaki Shikibu with Uji Bridge in the background.

朝霧橋から宇治川下流と宇治橋を見る。
The downstream view of Uji River, including Uji Bridge, from Asagiri Bridge.

朝霧橋。
Asagiri Bridge.

宇治川先陣の碑。
Uji River Battleground Monument.

橘橋。
Tachibana Bridge.

(つづく)
(To be continued)

2013年6月23日日曜日

スーパームーン (Supermoon)


 書斎の窓から見た 2013 年 6 月 23 日夜のスーパームーン。

"Supermoon" seen from the window of my study at the night of June 23, 2013.

Related Web pages
  1. Nancy Atkinson, ‘Super Moon’ Images from Around the World, June 2013. Universe Today (June 24, 2013).
  2. Hyperspace, Supermoon Gallery from Around the World, Physics Central, Physics Buzz Blog (June 24, 2013).

2013年6月20日木曜日

ランチの席で円錐台の体積を話し合う夫妻 (The Couple Talks about the Volume of the Truncated Cone)

Read in English.


 [概要 (Abstract in Japanese)]先日、妻とバス旅行に参加した(既報、こちら以下全 5 回)。そのランチの折に、テーブルの向こう側にいた夫妻(N 夫妻としておく)が、そういう場合にしては珍しい会話をしていた。レストランの誇るおいしい井戸水に氷を加えてグラスに入れ、各人の席に予め配られていた。N 氏はそのグラス(写真参照)を手に取って、夫人に、こういう形の立体の体積をどうやって求めるかと聞いた。夫人は、小さな直円錐を加えて大きな直円錐にして、大きな直円錐の体積から小さな直円錐の体積を引く、と答えた。N 氏は、それは大変面倒だ、といって、円錐台の体積の公式を説明した。N 氏は小声で話したので、私にとって聞き初めであるその公式がよく聞き取れなかったが、帰宅後、N 夫人の方法で計算すると、容易に公式が求められた。
 [本文(英文)へ]

2013年6月18日火曜日

2013年5月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of May 2013)

[This post is in Japanese only.]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2013 年 5 月分への感想を 2013 年 6 月 12 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 遅起きでも三文の得
 妻が一昨日から登山に行き、昨日の帰宅が 24 時近くだったので、私はけさ 8 時半過ぎまで寝てしまった。お陰で、いつもはテレビを見ない時間にテレビをつけて朝食をしていて、よい番組を見た。BS プレミアムのドキュメンタリー「ハイビジョンスペシャル・世紀を刻んだ歌・花はどこへいった~静かなる祈りの反戦歌」である。最初に放映されたのは 2000 年 10 月 6 日で、『NHK アーカイブス』のウェブページに、次の概要が記されている。
 「アメリカのフォークシンガーで反戦を訴えたピート・シーガーが、ロシアの文豪ショーロホフの "静かなドン" の一節をもとに、1955年に作った名曲 "花はどこへいった" は、ベトナムへの代表的な反戦歌として広く歌われた。大女優マレーネ・ディートリッヒは、祖国ドイツへの思いをこの歌に託し、フィギュアスケート選手カタリーナ・ビットは、ボスニアへの反戦を込めて、この歌をバックにオリンピックで演技した。[…]」
 筆者はこのように記し、また、JCA-NET のウェブページに、この番組が「イラク侵略の真っ只中」(2003 年 4 月 6 日)に再放送されたとして、その機会に番組の詳細を紹介されていることと、その末尾に「花はどこへいった」の歌詞(原題 Where have all the flowers gone?)とその和訳を掲載していることを述べ、簡潔に本稿を構成しています。この歌のいろいろな録音や、マレーネ・ディートリッヒが歌っている録音も本稿にリンクされています。

 JCA-NET のウェブページには、上記の番組概容の説明も含めて、詳しい説明がありますので、これを読み、この歌の録音を聞けば、20 世紀を通して広く反戦歌として歌い継がれてきたこの歌の魅力をたっぷりと知ることができるでしょう。筆者は「戦争放棄を決めた憲法9条をめぐる改憲論がやかましいいま、この静かな反戦歌が、またまた大いに広まって欲しいと思う」との願いをこめて結んでいます。時宜を得たメッセージだと思いました。

 カタリーナ・ビットがこの歌をバックにオリンピックで演技したことが書かれていますが、薄れた記憶を呼び戻すために、ウイキペディアで調べました。要点を以下に記します。

 Katarina Witt(1965 年生まれ)は、旧東ドイツシュターケン出身の女性元フィギュアスケート選手で、1984 年サラエボオリンピックおよび 1988 年カルガリーオリンピックの女子シングル二大会連続金メダリスト。世界フィギュア選手権でも 4 回優勝し、欧州選手権で 1983 年から 1988 年まで 6 年連続優勝しています。また 1994 年リレハンメルオリンピックにもプロ選手として出場し、大きな話題となりました(その時の演技はこちらなどの YouTube 映像で見ることが出来ます)。このオリンピックの開会式では、サマランチ IOC 会長の呼びかけによって、10 年前の開催地・サラエヴォが内戦の戦火に曝されている現状に対し、黙祷が捧げられました。

2. 湯川の「うつしえ」
 私はかつて湯川秀樹の自伝『旅人』の英訳に間違いが沢山あることに気づき、訳者の一人であるブラウンさんに正誤表を送った。その中には「うつしえ」の訳 "shadow pictures" を "transfer pictures" に直した一項を含めていた。旅人の中の「うつしえ」は、湯川が子どもの頃、祭りの店で売っていたものの一つとして書いてあり、"shadow pictures" といえば、売るというより実演するものだと思ったからである。しかし、湯川の子どもの頃には、幻灯で「写し絵」をして遊ぶための、セロファン紙に絵を描いたような、いまのスライドに相当するものが売られていたのかもしれないとも思い、この修正には自信がなかった。
 この、湯川の「うつしえ」は「写し絵」か「移し絵」かという問題に答を与えるような記述を先般、夏目漱石の自伝的小説『道草』の中に見出した。漱石自身をモデルにした主人公・健三の子どもの頃について記した第四十章に次の文があったのである。
 「彼の望む玩具は無論彼の自由になった。其中には写し絵の道具も交っていた」。
 …中略…
 漱石の子どもの頃には、「写し絵」の道具がやや高級な子どもの玩具だったのである。生年は、漱石が 1867 年、湯川が 1907 年で、どちらも子ども時代は明治時代の中に入る。私は 1935 年生まれで、湯川との生年の隔たりは、漱石と湯川の隔たりより少ない。しかし、東京市内に電灯がほぼ完全普及したのが 1912 年であり、電灯の全国的普及が日本の文化環境を大きく変えたであろうことを考えると、漱石と湯川の子ども時代は、湯川と私の子ども時代より、共通点がはるかに多かったに違いない。…中略…以上のことから、『旅人』の英訳における "shadow pictures" は正しかったと認めなければならない。

 この文章を読んで私は、「うつしえ」の訳の "shadow pictures" を "transfer pictures" とするか否かについて迷いのあったことが、筆者には気にかかっており、ずっと後年になって愛読書である漱石の小説のうち、『道草』にその回答を見出したときには、はっとして、発見の喜びを感じられたことと拝察します。漱石の件の文章は、「彼はよく紙を継ぎ合わせた幕の上に、三番叟の影を映して、烏帽子姿に鈴を振らせたり足を動かせたりして遊んだ」と続きます。こんな動きができるのかと、インターネットで「写し絵」について調べ、下記のことが分り、また勉強にもなりました。

 日本でも、江戸時代に伝わった幻燈から、さらにダイナミックで娯楽性豊かな独自の映像ショーである「写し絵」(関西では錦影絵、島根県では影人形などの呼び名があります)が生まれ、人気を集めました。江戸時代後期にわが国にもたらされた幻灯器は、明治期にかけて一般に広く親しまれるようになりました。錦影絵は風呂とよぶ幻灯器とフイルムに相当する種板を用いて、和紙の スクリーンに裏側から投影し、動きをもつ映像をつくりだすものです(種板の写真、風呂の構造、スクリーンへの写し方の図解説明が、たとえばこちらにあります)。健三はそういう種板を操って、烏帽子姿の男の手足を動かせたりして遊んだのでしょう。

2013年6月17日月曜日

バス旅行「プーシキン美術館展とバラの花園」5 (Bus Trip to Exhibition of Paintings from State Pushkin Museum and Flower Festival Commemorative Park -5-)


プーシキン美術館展のチラシ。
The flyer of Exhibition of Paintings from State Pushkin Museum.


フランソワ・ブーシェ『ユピテルとカリスト』
(出典は英文で記載の通り)。
François Boucher, Jupiter and Callisto;
[Public domain], via Wikimedia Commons.

 われわれは最後に、名古屋市の愛知芸術文化センター内にある愛知県美術館で、『プーシキン美術館展:フランス絵画 300 年』を鑑賞した。モスクワのプーシキン美術館が世界に誇るフランス絵画は、女帝エカテリーナ 2 世を初めとする歴代皇帝や貴族、大商人らによる情熱的な収集によって形成された一大コレクションである。その中の、プッサン、アングルから、ドラクロワ、ルノワール、ゴーギャン、ゴッホ、そしてピカソ、マティスまで、300 年にわたるフランス美術の変遷をたどれる 66 点が展示されていた。

 展覧会のチラシ(1 枚目の写真)に採用されている絵は、「ルノワールの印象派時代最高の肖像画」と評される『ジャンヌ・サマリーの肖像』(1877 年)で、日本初公開、この展覧会の最大の見どころとされている(こちらの英文ウェブページに、女優ジャンヌ・サマリーの生涯と、ルノワールが描いたこの絵ほか幾枚もの彼女の肖像画が紹介されている)。他に印象深かった絵の一つ、フランソワ・ブーシェの『ユピテルとカリスト』(1744 年)が、ウィキメディア・コモンズに引用自由の形で掲載されていたので、ここに転載した(2 枚目の写真)。ユピテルは本来男神であるが、女神ディアーナに変身して、向かって右の姿になっている。(完)


Finally, we went to the Aichi Prefectural Museum of Art located in Aichi Arts Center, Nagoya, to see Exhibition of Paintings from State Pushkin Museum. The major collection of French paintings proudly possessed by the Pushkin Museum of Fine Arts in Moscow was passionately formed by Emperors, including the II Empress Catherine the Great, nobles and large merchants. Sixty-six works from this collection, including those of Nicolas Poussin, Jean-Auguste-Dominique Ingres, Ferdinand Victor Eugène Delacroix, Pierre-Auguste Renoir, Eugène Henri Paul Gauguin, Vincent van Gogh, Pablo Picasso and Henri Matisse, are shown in this exhibition and enable visitors to trace the history of French paintings over 300 years.

The painting used in the flyer of the exhibition (top photo) is Portrait of actress Jeane Samary (1877) by Renoir. This painting is described as "the best portrait in Renoir's impressionism period" and is shown for the first time in Japan as the main attraction of this exhibition (on the Web page here, Jeanne Samary's life, as well as this and other portraits of her drawn by Renoir, is described). One of the paintings that was impressive to me was Jupiter and Callisto (1744) by François Boucher. I found a photo of this work on a page of Wikimedia Commons (public domain) and reproduced it here (bottom photo). Jupiter is a man God but is transformed into a goddess, Diana, on the right of this painting. (End)

2013年6月15日土曜日

バス旅行「プーシキン美術館展とバラの花園」4 (Bus Trip to Exhibition of Paintings from State Pushkin Museum and Flower Festival Commemorative Park -4-)


 花フェスタ記念公園内の「世界のバラ園」の奥に「ターシャの庭」と名づけた一画がある。最初の写真は、その入り口付近の看板を中心に撮った。看板には、「日本版 ターシャ・テューダーの世界/ターシャの庭」とあり、右奥に木造の家屋が見える。そして、門のところに「ターシャ・テューダー/〜花そして自然を愛する絵本作家〜」の札がある(2 枚目の写真)。ターシャ・テューダーが 92 歳で亡くなったのは 2008 年だから、「花フェスタ 2005 ぎふ」が開催されたときには、彼女はまだ生存していたのである。庭はその後あまり整備されていないようだが(3〜5 枚目の写真)、野性的な趣きがある。片隅には、珍しい種類のアジサイが咲いていた(6 枚目の写真)。家屋の一部は売店になっていて(最後の写真)、この日も賑わっていた。(つづく)

There is a corner named Tasha's Garden at the farther end of "Rose Garden of the World" in Flower Festival Commemorative Park. The first picture shows the scenery near the entrance to Tasha's Garden with its sign board at its center. On the board, we read "Japan Version of Tasha Tudor's World / Tasha's Garden." A wooden house can be seen in the far right of the picture. At the gate of this garden, we see another board, on which we read "Tasha Tudor / Author of Picture Books Who Loves Flowers and Nature" (second photo). Tasha died at the age of 92 in 2008. So, when "Flower Festival 2005 in Gifu" was held, she was still alive. The garden does not seem to be well taken care of after the festival, but there is a wild attractiveness (from third to fifth photos). In the corner, flowers of a rare variety of hydrangea were blooming (sixth photo). Part of the wooden house is used as a shop (bottom photo), and it was also crowded on that day. (To be continued)

2013年6月11日火曜日

バス旅行「プーシキン美術館展とバラの花園」3 (Bus Trip to Exhibition of Paintings from State Pushkin Museum and Flower Festival Commemorative Park -3-)


 昼食後、われわれのバスは岐阜県可児市の花フェスタ記念公園へ向かった。ここには、2012 年現在、約 7,000 種 3 万株のバラが植えられ、品種数で日本一を誇っている。いまは、遅咲きのバラを見ることが出来る。写真は上から、記念公園の西ゲート、園内バス「ポッポ」、「バラ見台」から見た「世界のバラ園」、そして、各種のバラ:「コーラス、Paolino、フランス、1977」、「ユキサン、Meilland、フランス、1964」、「花笠、京成バラ園芸、日本、1978」、「フリージア、Kordes、ドイツ、1977」。(つづく)

After lunch, our bus headed to Flower Festival Commemorative Park, Kani, Gifu Prefecture. As of 2012, about 7,000 species and three million roots of roses are planted there, and this number of species is the top in Japan. Now, we can see the late-blooming kinds of rose. Photos above show, from top to bottom: the west gate of the park, the park bus "Poppo", a view of "Rose Garden of the World," and examples of different varieties of rose; "Chorus, Paolino, France, 1977," "Yuki San, Meilland, France, 1964," "Hanagasa, Keisei rose gardening, Japan, 1978," and "Friesia, Kordes, Germany, 1977." (To be continued)

2013年6月10日月曜日

バス旅行「プーシキン美術館展とバラの花園」2 (Bus Trip to Exhibition of Paintings from State Pushkin Museum and Flower Festival Commemorative Park -2-)


 写真は、犬山市の店「なり多」のフレンチ創作料理、ランチコース:オードブル、有機野菜のスープ、メインディッシュ(金目鯛のポワレ)、おじや、スペシャルデザート、コーヒー(ほかに、焼きたてパン)(各料理を画面一杯に入れたので、撮影は等倍率でないことに注意)。(つづく)

Photos above show the dishes of the French, lunch course at the restaurant Narita, Inuyama: hors d'oeuvre, soup with organic vegetables, main dish (fried splendid alfonsino), ojiya (rice soup), special dessert and coffee (there were also freshly baked breads) (note that larger dishes were shot by smaller magnification). (To be continued)

バス旅行「プーシキン美術館展とバラの花園」1 (Bus Trip to Exhibition of Paintings from State Pushkin Museum and Flower Festival Commemorative Park -1-)


 さる 6 月 7 日、妻と私は 朝日旅行社の表記バス旅行に参加した。参加者 24 名は中型バスで JR 新大阪駅を午前 8 時に出発。まず、愛知県犬山市のフレンチ創作料理の店「なり多」へ寄って昼食をとる。同店の建物は、1842(天保13)年の犬山大火直後に建てられたといわれる呉服商の屋敷(国の重要文化財)を使用している。写真は上から、「なり多」の門、玄関、中庭。(つづく)

On June 7, my wife and I joined a bus trip, sponsored by Asahi Sun Tours, to The Exhibition of Paintings from State Pushkin Museum and Flower Festival Commemorative Park. Twenty-four participants started JR Shin-Osaka Station at 8:00 am on a medium-sized bus. First, we went to the French restaurant Narita in Inuyama, Aichi, to take lunch. The building of the restaurant is an old, draper's mansion (nationally designated Important Cultural Property) and is said to have been built immediately after the great fire of Inuyama in 1842. Photos above show the gate, the entrance and the courtyard of Narita. (To be continued)

2013年6月9日日曜日

6月上旬の花々 2 (Flowers in Early June -2-)


 写真は上から、アメリカデイゴ(和名、海紅豆)、アルストロメリア*、コエビソウ*、ドクダミ*、ザクロ。(* 印はわが家で、他はウォーキング途中で、6 月 4 日と 5 日に撮影。)

From top to bottom: cockspur, Peruvian lily, shrimp plant, lizard tail and pomegranate. Those with the symbol * were taken in my yard, and others, on my way of walking exercise, on June 4 and 5, 2013.