『アゲハチョウ』(1946 年、11 歳)1 枚目は背部、2 枚目は腹部からの写生。
"Swallowtail butterfly." Upper, sketch from the back side; and lower, from the front side (1946, age 11).
『アフリカ象』(1946 年、11 歳)。
"African elephant" (1946, age 11).
1 枚目と 2 枚目の『アゲハチョウ』は、背部と腹部からの写生を合わせて、一枚の 290 mm ×190 mm の画用紙に横並びに描いてあるが、細部を再現するため、ここでは分割して、余白をカットした。同じチョウを両面から描いたにしては形が少し異なるのは、描いているうちに水分の蒸発などで変形したのだろうか。画用紙の裏面には「五年一組」という所属を書いてあるので、終戦の翌年、大連の小学校在学中に描いたものと分かる。学校で描いたものかと思ったが、学校での他の作品にあるような「優」の印あるいは四重丸がない。3 年生から 5 年生の 1 学期まで、私のいたクラスの担任だった松本貞雄先生は、家で描いた絵を持って行くと、教室に張り出して下さった。その松本先生は 2 学期の初め頃だったか、隣の学校へ転任された。そのため、家で描いて提出しそびれたのだろうか。図画として描いたのでなく、夏休み中の理科の自由研究だったのかも知れないが、それにしては、なぜモノクロなのか不思議である。
松本先生に提出して張り出して貰った記憶のある絵としては、『桃太郎』、『爆弾三勇士』、『赤い屋根と白い壁の家』がある(絵の題名はいずれも、この文を書くにあたって便宜上つけている)。前回記したウェブサイト『小さな資料室』の、「資料156」によって、国民学校国語教科書『初等科國語二』(3 年後期用)の第二十一課に「三勇士」の話のあることが確認出来る。『爆弾三勇士』は、そこを習った 1945 年の初め頃、あるいは習うに先立って、その挿絵を見て描いたものである。当時の軍国主義教育に、私も大いに感化されていたのだ。『赤い屋根と白い壁の家』は、終戦後だったと思うが、私の住んでいた祖父の家の左隣の家を写生したもので、この絵ついての思い出は、大連嶺前小学校同窓会会報に書き、本ブログ中の記事「ぼくの真似をしたな」に転載してある。
3 枚目の『アフリカ象』は、子供向け雑誌にあった絵の模写で、用紙は『アゲハチョウ』のものと同じである。画面の右端には「アフリカ象こそ密林の王様」と書いてある。裏面には、「八月十二日(月)」と記されていて、年が分からないが、幸い、曜日があるため、『1000 年カレンダー』というウェブサイトで、1946 年であることが確認出来る。裏面にはまた、ライオンらしい動物の姿が薄く下描きしてあり、頭部だけ細かく描きかけて、未完成のままになっている。(つづく)
松本先生に提出して張り出して貰った記憶のある絵としては、『桃太郎』、『爆弾三勇士』、『赤い屋根と白い壁の家』がある(絵の題名はいずれも、この文を書くにあたって便宜上つけている)。前回記したウェブサイト『小さな資料室』の、「資料156」によって、国民学校国語教科書『初等科國語二』(3 年後期用)の第二十一課に「三勇士」の話のあることが確認出来る。『爆弾三勇士』は、そこを習った 1945 年の初め頃、あるいは習うに先立って、その挿絵を見て描いたものである。当時の軍国主義教育に、私も大いに感化されていたのだ。『赤い屋根と白い壁の家』は、終戦後だったと思うが、私の住んでいた祖父の家の左隣の家を写生したもので、この絵ついての思い出は、大連嶺前小学校同窓会会報に書き、本ブログ中の記事「ぼくの真似をしたな」に転載してある。
3 枚目の『アフリカ象』は、子供向け雑誌にあった絵の模写で、用紙は『アゲハチョウ』のものと同じである。画面の右端には「アフリカ象こそ密林の王様」と書いてある。裏面には、「八月十二日(月)」と記されていて、年が分からないが、幸い、曜日があるため、『1000 年カレンダー』というウェブサイトで、1946 年であることが確認出来る。裏面にはまた、ライオンらしい動物の姿が薄く下描きしてあり、頭部だけ細かく描きかけて、未完成のままになっている。(つづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿