『グラブ』(1946 年、11 歳)。
"Glove" (1946, age 11).
『キツネとツル』(1947 年初め、11 歳)『イソップ物語』の絵本から模写。
"The Fox and the Stork" (early 1947, age 11). Drawn after a picturebook Aesop's Fables.
1 枚目の『グラブ』は、学校での写生である。クラス全員がいくつかのグループに分かれて、その中の一人が持ってきたグラブを、グループの一同(4 名程度だったか)が囲んで写生したと思う。「第二号様式」として「学齢児童氏名」「保護者」「就学」などの欄が印刷された用紙(ほぼ B5 サイズ)の裏を使っている。「学齢児童氏名」欄の下に、「本籍」などに続いて「渡満年月」という欄があり、大連や旧満州内で使用された独特の様式と分かる。描かれているグラブは級友のものである。私が当時使っていたグラブは、その水彩画が後で出てくる。
2 枚目の『キツネとツル』は、『イソップ物語』の絵本から模写で、305 mm × 210 mm の画用紙を使っている。この紙は前回掲載の『アゲハチョウ』などに使ったものよりやや大きいが、質は悪く、変色が激しい。この絵は、大連から内地への引揚げ直前に、Y 子さんと記念に交換する目的で描いたものである。戦後、中国人の支配となった大連市政府から、日本人住宅の半数明け渡し命令が出されたため、後ろの家に住んでいた A さん一家にわが家の 2 階へ入って貰った。大連港からの引揚げを目指して、満州各地から移動してきた人たちを受け入れる必要もあり、それほど広くもなかったわが家に、他の 3 家族も同居した。Y 子さんは A 家の末娘で、私と同学年だった。引揚げは私たち一家の方が少し早く、帰国先は同じ石川県だった。
Y 子さんにあげるはずだった絵が私の手元にあるのは、描き上げた時にあげるのが惜しくなって、前に描いてあった別の絵をあげたからである。別の絵の内容は覚えていないが、前回掲載の『アフリカ象』に似たモノクロの絵だったと記憶している。その後、この交換のことを思い出すと、失礼なことをしたものだと思った。しかし、引揚げ後何度も Y 子さんと会う機会がありながら、そうしている時間中には、思い出すことがなかった。先年彼女が亡くなり、姉君から納骨の催しに招かれた折に、それに続くお別れ会の席上で参加の皆さんにこの話をして、ようやく霊前でのお詫びとしたのだった。
Y 子さんが私のために描いてくれたのも、漫画の絵本を手本にしたものだった。しかし、それは手本通りではなく、第一の場面では 2 匹の子リスが木の上の一つの小屋に住んでいることが表現され、第二の場面では 2 匹が別々の土瓶を船代わりにして、川か海を旅して行く情景が描かれていた(手本の漫画は 1 匹の子リスが、洪水に出会ったためか、土瓶に乗って流されながら冒険をする話だった)。
いまこう書いて、ようやく気づいたが、Y 子さんの絵は、しばらく同居した私たちが別々の船で引揚げるようになったことを表したものと見ることが出来る。絵の筆運びはいささか幼稚に思えた彼女が、そのようによく考えた絵を描いたとは思いもよらなかった。私の理解力こそ幼過ぎたというべきか。お別れ会の席上、彼女から貰ったハガキに描かれていた絵を褒めていた人たちもいた。その話と合わせると、彼女の絵はいつも自らの思いを表した独創的なものだったようだ。私が模写した『キツネとツル』の 2 匹の動物は、こともあろうに、仲の悪い間柄である。その意味では、これをあげなくてよかった、と思うのは身勝手な弁解だろうか。(つづく)
2 枚目の『キツネとツル』は、『イソップ物語』の絵本から模写で、305 mm × 210 mm の画用紙を使っている。この紙は前回掲載の『アゲハチョウ』などに使ったものよりやや大きいが、質は悪く、変色が激しい。この絵は、大連から内地への引揚げ直前に、Y 子さんと記念に交換する目的で描いたものである。戦後、中国人の支配となった大連市政府から、日本人住宅の半数明け渡し命令が出されたため、後ろの家に住んでいた A さん一家にわが家の 2 階へ入って貰った。大連港からの引揚げを目指して、満州各地から移動してきた人たちを受け入れる必要もあり、それほど広くもなかったわが家に、他の 3 家族も同居した。Y 子さんは A 家の末娘で、私と同学年だった。引揚げは私たち一家の方が少し早く、帰国先は同じ石川県だった。
Y 子さんにあげるはずだった絵が私の手元にあるのは、描き上げた時にあげるのが惜しくなって、前に描いてあった別の絵をあげたからである。別の絵の内容は覚えていないが、前回掲載の『アフリカ象』に似たモノクロの絵だったと記憶している。その後、この交換のことを思い出すと、失礼なことをしたものだと思った。しかし、引揚げ後何度も Y 子さんと会う機会がありながら、そうしている時間中には、思い出すことがなかった。先年彼女が亡くなり、姉君から納骨の催しに招かれた折に、それに続くお別れ会の席上で参加の皆さんにこの話をして、ようやく霊前でのお詫びとしたのだった。
Y 子さんが私のために描いてくれたのも、漫画の絵本を手本にしたものだった。しかし、それは手本通りではなく、第一の場面では 2 匹の子リスが木の上の一つの小屋に住んでいることが表現され、第二の場面では 2 匹が別々の土瓶を船代わりにして、川か海を旅して行く情景が描かれていた(手本の漫画は 1 匹の子リスが、洪水に出会ったためか、土瓶に乗って流されながら冒険をする話だった)。
いまこう書いて、ようやく気づいたが、Y 子さんの絵は、しばらく同居した私たちが別々の船で引揚げるようになったことを表したものと見ることが出来る。絵の筆運びはいささか幼稚に思えた彼女が、そのようによく考えた絵を描いたとは思いもよらなかった。私の理解力こそ幼過ぎたというべきか。お別れ会の席上、彼女から貰ったハガキに描かれていた絵を褒めていた人たちもいた。その話と合わせると、彼女の絵はいつも自らの思いを表した独創的なものだったようだ。私が模写した『キツネとツル』の 2 匹の動物は、こともあろうに、仲の悪い間柄である。その意味では、これをあげなくてよかった、と思うのは身勝手な弁解だろうか。(つづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿