2018年11月28日水曜日

『1 日 1 ページ、読むだけで身につく世界の教養 365』を原書で読む:「オジマンディアス」1 (The Intellectual Devotional: "Ozymandias" -1-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


パーシー・ビッシュ・シェリー「オジマンディアス」の原詩。
Percy Bysshe Shelley, "Ozymandias", taken from Ref. 3.

 デイヴィッド・S・キダー、ノア・D・オッペンハイム・著、小林朋則・訳『1 日 1 ページ、読むだけで身につく世界の教養 365』(文響社、2018)の原書、The Intellectual Devotional: Revive Your Mind, Complete Your Education, and Roam Confidently with the Cultured Class (Rodale, 2006) を読んでいることは先の記事に記した。本記事では、その 65 ページにある "Ozymandias"(オジマンディアス)について紹介する。

 ページ冒頭には 14 行詩(sonnet)が掲載されている。"Ozymandias" は、ここではイギリスのロマン派詩人の主な一人であるパーシー・ビッシュ・シェリー(1792–1822)が 1818 年に詠んだ詩のことである。その詩はエジプトの砂漠の中で廃墟となったオジマンディアス王(ラムセス 2 世のギリシャ名)の像について述べている。

 詩の中で使われている単語はやさしい。しかし、さっと読んだだけでは、どれだけよく理解できているか不安である。そこで、インターネットで和訳を探して見つけたのが文献 1 である。

 文献 1 の訳を注意して読んでみると、行き過ぎた意訳をしたために意味上の主語が何かが分かりにくくなっているところがあり、複数箇所に誤訳もあると気づき、私は自分で訳を試みた。その後、より信頼できる岡村眞紀子訳(文献 2)を見つけて、それを参考に私の訳を部分的に修正した。しかし、私には岡村訳も完全によいとは思えなくて、ここに自訳を紹介することにした。訳にあたって、引用符や句読点は The Intellectual Devotional の表記でなく、文献 3 にあるスタイル(上掲のイメージ)に近いものにした。
私は古代に栄えた地から来た旅人に出会った。
その人は言った:胴のない二本の巨大な石の脚が
砂漠に立っている。その近く、砂の上に、
半ばうもれて、砕けた顔があり、その渋面、
しわ寄った唇、そして冷酷に威圧する嘲笑は、
告げている、その彫り師がこうした情感をよく読み取ったことを
その情感はいまも生き延びている、この命のないものに刻まれ、
それを写し彫った手と、それを生んだ心を超えて。
そして台座には、次の言葉がある。
「わが名はオジマンディアス、諸王中の王、
わが業を見よ、汝ら力強い者よ、そして絶望せよ!」
傍には何も残っていない。この巨大な残骸の
断片の周りには、限りなくがらんとして
寂しく平坦な砂地が遥か遠くまで広がっている。

 The Intellectual Devotional の "Ozymandias" のページ末部には次のような説明がある。
 「オジマンディアス」は、どのような一時的政治権力よりも、芸術にこそより永続する価値があることを暗に示唆している。

詩の 6〜8 行目を読めば、「暗に示唆している」というより、もっとはっきり表現されているように思われる。なお、「読書メーター」というサイトの c さんの感想・レビュー記事から、文献 4 にもこの詩の和訳が載っていることを知ったが、それはまだ見ていない。ただ、c さんは詩の 10〜11 行目に対する文献 4 の訳、「我が名はオジマンディアス、〈王〉の中の〈王〉/我が偉勲を見よ、汝ら強き諸侯よ、そして絶望せよ!」を引用している。

 訳す上でとくに難しいと感じたところは、8 行目の "the heart that fed" と 12 行目の "Nothing beside remains." である。前者については最初、"the heart" は彫り師の心を指すのかと思い、「注いだ心血」としてみた。しかし、文献 5 の注 6 に
[...] "the heart that fed" must be Ozymandias' own, feeding on (perhaps) its own arrogance. Kelvin Everest and Geoffrey Matthews suggest that line 8 ends with an ellipsis: "and the heart that fed [them]" (that is, those same passions that are the referent of the pronoun "them" governed by "mocked" (The Poems of Shelley, II: 1817-1819 [London: Pearson, 2000]: 311).
とあり、オジマンディアスの心を指していると解釈すべきだと知った。そこで、「それ(情感)を生んだ心」に変更した。岡村訳もそういう解釈で、「その情念を育んだ心」としている。

 難しい点の後者、"Nothing beside remains." においては、"beside" を "Nothing" につく形容詞とも、"remains" を修飾する副詞ともとることができる。これも文献 5 の注 12 に
No thing remains beside. Bodl. Shelley MS. e.4.
とあるのが参考になる。上記引用中、イタリック体の部分は文献 6 のことであり、シェリーの原稿の複写である。ということは、シェリーは創作時には副詞的用法と分かる書き方をしていたことになる。そこで、私の訳では副詞扱いとした。この点は岡村訳と異なる。

 岡村訳で別の気になる点を一つ挙げておくと、12〜13 行目の "the decay / Of that colossal wreck" が「巨大な残骸の/骸(むくろ)」となっていることである。「骸」という漢字が二つ続く視覚上の問題の他に、「骸」の意味が「首を切られた胴体」(広辞苑第7版)であることからすれば、砂漠に転がっている脚や顔を指さないことになるという難点がある。

 (つづく)(次回は、シェリーがこの詩のインスピレーションを受けたラムセス 2 世像について述べる予定。)

文 献
  1. 壺齋散人(引地博信)「オジマンディアス OZYMANDIAS」
    https://poetry.hix05.com/Shelley/shelley02.ozymandias.html)。
    「『オジマンディアス』とは、古代エジプト王ラムセス 2 世のこと【タイトルの意味】」
    http://breakingbadfan.jp/trivia/cranston-ozymandias/)にも引用されている。
  2. 岡村眞紀子訳「オジマンディアス」、武田雅子「英詩入門―いろいろな詩の技法―」
    https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181116195723.pdf?id=ART0009622599)中に引用。
  3. Percy Bysshe Shelley, "Ozymandias" in Miscellaneous and Posthumous Poems of Percy Bysshe Shelley (W. Benbow, London, 1826) p. 100
    (https://play.google.com/books/reader?id=MZY9AAAAYAAJ&printsec=frontcover&output=reader&hl=en&pg=GBS.PA100).
  4. アルヴィ宮本なほ子編『対訳 シェリー詩集――イギリス詩人選(9)』(岩波文庫、2013)。
  5. "Ozymandias" (http://rpo.library.utoronto.ca/poems/ozymandias), in Representative Poetry Online.
  6. Bodleian Library MS Shelley e.4, fol. 85r. Facsimile edited by Paul Dawson, The Bodleian Shelley Manuscripts, gen. ed. D. H. Reiman (1988).

 (2018 年 11 月 30 日修正)

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