2020年3月30日月曜日

歌記事へのコメントから -3-:「仰げば尊し」の思い出 [From My Comments on Song Articles -3-: Memories of "Aogeba Tōtoshi" (a Song Sung at Graduation Ceremonies)]

[The main text of this post is in Japanese only.]


堺市クリーンセンター浄化ステーション庭園のチューリップ。
2020 年 3 月 25 日撮影。
Tulips in the garden of Sewage Treatment Plant, Sakai; taken on March 25, 2020.

歌記事へのコメントから -3-:「仰げば尊し」の思い出

 以下は、ブログ記事「卒業式シーズン」[1] へのコメントをもとにした文である。この記事には、「仰げば尊し」が紹介してあり、立川清登による歌唱映画『二十四の瞳』中の歌唱の YouTube 動画が埋め込んであった。もとのコメントには記憶の間違いなどがあったので、ここでは大幅に修正している。



 私は春先によく風邪を引いたので、卒業式は小学校から大学院修士課程(これは卒業といわないので、修了式だが)まで、一つおきにしか出席できなかった。中学と大学の卒業式が抜けたのである。高校の卒業式や大学院の修了式で「仰げば尊し」を歌ったかどうかは記憶にないが、小学校では歌った。その頃は「いまこそ別れめ」の「め」が「こそ」との掛結びとしての助動詞「む」の已然形とはまだ知らなかったから、「いまこそ分かれ目」と思っていた。

 「仰げば尊し」を恩師の前で最後に歌ったのは、約 8 年半前(2011年 8 月)の旧金沢市立石引町小学校 6 年 2 組の同窓会の折だった [2]。A 先生を初め、女性 8 名、男性 10 名が参加していた。ドイツ語でクラシックの歌を歌う合唱団に入って各国を歌い歩いているという元気な女性が、翌日地元で出演する予定が入って早く帰ることになり、その前に彼女のリードで皆で何か歌を歌おうということになった。私は先生を讃えるためにと、「仰げば尊し」を提案し、それが採用になり、一番だけを歌ったと思う。A 先生は 4 年前に亡くなられ、その時の「仰げば尊し」が A 先生への歌での感謝としては最後のものとなった[6 年 2 組の同窓会自体は、この翌年、A 先生が卒寿、生徒の多くが喜寿(どちらも満年齢で)となったことを記念して集まり、これが最後であった [3]]。

 なお、立川清登は私の最も好む男性歌手の一人である。

  1. 「卒業式シーズン」、ブログ makuragakayogakudan 記事(2020 年 3 月 25 日)。
  2. 「小学校同級会」、ブログ Ted's Coffeehouse 2 記事(2011 年 8 月 29 日)。
  3. 「金沢での同窓会」、ブログ Ted's Coffeehouse 2 記事(2012 年 8 月 23 日)。

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2020年3月29日日曜日

歌記事へのコメントから -2-:元気づける歌 (From My Comments on Song Articles -2-: The Song That Cheers Us Up)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ゲンペイモモ、中の池公園で、2020 年 3 月 25 日撮影。
Cherry plum in Nakanoike Park; taken on March 25, 2020.

歌記事へのコメントから -2-:元気づける歌

 以下は、ブログ記事「1 日 1 歩、3 日で 3 歩 …」[1] へのコメントをもとにした文である。この記事には、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」が紹介してあった。



 新型コロナウィルスが拡散しているこの時期にふさわしく、元気づけてくれる歌を紹介して貰い、感謝している。私は流行歌手が広めた歌をあまり知らないほうだが、「三百六十五歩のマーチ」はおおよそ知っていた。

 この歌の誕生が 1968 年ということなので、その年の出来事を調べると、メキシコ・オリンピック開幕、グルノーブル・オリンピック開催(冬季)、川端康成がノーベル文学賞受賞、小笠原諸島日本に復帰、3 億円強奪事件、日本の GNP がアメリカについで第 2 位に、郵便番号制度実施、日本初の超高層ビルである霞が関ビル完成(高さ 147 メートル)、日本人が初めて南極点に到達(村山雅美隊長率いる第 9 次越冬隊)などがある [2]。水前寺清子より 10 歳年長の私自身はその時働き盛り(?)で、いま大きく成人した孫 2 人の親である長女が幼稚園児だったことになる。

 なお、3 月の心斎橋での「アートクラブ 504」と岸和田での「みんなで歌う音楽会」は、26 日と 30 日にそれぞれ休むことなく開催される予定になっているが、家族が私の度重なる公共交通機関使用を心配するので、残念ながら、コロナウィルス感染者数が減少傾向になるまで不参加とすることにした。もっぱら YouTube の「ねこじゃらしうたチャンネル」や、鮫島有美子の CD に合わせて歌うことを楽しんでいる。

  1. 「1 日 1 歩、3 日で 3 歩 …」、ブログ makuragakayogakudan 記事、2020 年 3 月 24 日。
  2. 「1968年(昭和43年)流行・出来事/年代流行」(ウェブサイト『年代流行』 内)から抜粋。

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2020年3月28日土曜日

歌記事へのコメントから -1-:好きな春の歌 (From My Comments on Song Articles -1-: My Favorite Spring Songs)

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わが家のレンギョウ。2020 年 3 月 26 日撮影。
Forsythia in my yard; taken on March 26, 2020.

歌記事へのコメントから -1-:好きな春の歌

 最近、まくらが歌謡楽団のブログ makuragakayogakudan 中の歌についての記事を読み、それに対するコメントを書くことを楽しみの一つにしている。私のコメントは、その歌にまつわる自らの思い出である場合が多く、長めになるので、少し前からテキストファイルに下書きをすることにした。下書きが溜まったのを読み返してみると、ちょっとした自分史の一端のようになっている。そこから取捨選択し、非対話体のエッセイに修正して、本ブログにも残して行きたい。

 以下は、記事「春の歌いろいろ~♪」[1] へのコメントをもとにした文である(最後のパラグラフは修正時の蛇足)。この記事には、「春よこい」、「どこかで春が」、「春の小川」、「春が来た」、「春のうた」(野口雨情)の 6 曲が紹介してあり、末尾に「皆様はどんな春の歌がお好きですか?」とあった。



「春の唄」、「春のうた」、「春の小川」

 私の好きな春関係の歌は、青春時代の思い出話をつけてブログ記事「2020 年 2 月、岸和田での『みんなで歌う音楽会』」にもすでに書いた通り、第一に喜志邦三・作詞、内田元・作曲、月村光子・歌による「春の唄」(JOBK の定期放送「国民歌謡」1937 年。私はこの時まだ 2 歳で、月村の歌声では聞いていない)だった。しかし、もう青春が遠くなったせいか、いまは、野口雨情の「春のうた」が、最近知ったばかりながら、かなり好きになっている。メロディーが覚えやすく、いかにものんびりして、麗かな雰囲気だと思う。

 「春の小川」は私が小学校(太平洋戦争が始まって、国民学校と呼ばれていた時代)2 年生の時の音楽の教科書に載っていた。学校で習って帰ってから、両親に得意げに歌って聴かせた記憶がある。音階の「ドレミファソラシド」という呼称が禁止されて、「ハニホヘトイロハ」で習ったので、この歌の最初の部分は、音符でいえば「ホトイトホトハハヘイトヘハニホ ...」だったと、いまでも覚えている。他の歌については、このような形で覚えているものがないことを思えば、「春の小川」はよほど気に入っていたのかもしれない。ただし、習った歌詞は原作のままではなく、「春の小川は さらさらいくよ ...」のように、口語調に書き換えられたものだった。

 「ドレミファ」は当時同盟国だったイタリアの言語であるにもかかわらず、なぜ「敵性語」として禁止された英米語由来の外来語と同様に扱われたのだろうか、軍部の不見識によるものか、と思ってきた。いま念のため『ウィキペディア』の「敵性語」の項を見ると、次のような説明がある。
「ドレミ」の語源はイタリア語だが、「軽佻浮薄」だとして言い替えが行なわれた。なお、戦後でもハ長調、イ短調、変ロ長調というように、イロハはドレミと並んで、音楽の現場で使用されている。
 「ハ長調、イ短調」などが戦争中の名残とすれば、戦前は「ド長調、ラ短調」などといっていたのだろうか。"C major" などの英語表現は、音楽の素人である私も目にすることがあるが、イタリア語由来の調名「ド長調」やイタリア語自体の "Do maggiore" は聞き慣れていない。

  1. 「春の歌いろいろ~♪」、ブログ makuragakayogakudan 記事、2020 年 3 月 8 日。

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2020年3月22日日曜日

堺市草部でサクラ開花 (Cherry Blossoms Bloom in Kusakabe, Sakai)


こちらをクリックすると、各写真の拡大版をご覧になれます。
You can see the enlarged version of each photo by clicking here.

 サクラの私的標本木が開花状態になっていた。写真 1 枚目は日部(くさべ)神社の門と、その前にあるソメイヨシノのわが標本木。2 枚目は開花宣言に十分な、開いた 5 輪がちょうど収まる 1 ショット(左下。クリックして出る拡大版でご覧下さい)。3 枚目以下は、開花している 5 輪を分けてズームインで撮影したもの。

My sample tree of cherry was in bloom. The first photo shows the gate of Kusabe Shrine and the Yoshino cherry tree in front of it. The second shot (lower left; see the enlarged version by clicking on the photos) includes just five open blossoms, which is enough for the blooming declaration. The other photos show the close-ups of open flowers.

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2020年3月16日月曜日

トイレ紙・ティッシュ品薄のニュースに思う祖父の晩年 (Toilet Paper and Tissue Shortage News Reminds Me of My Grandfather's Later Years)

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 2020 年 2 月 29 日付の各新聞は、共同通信社による次のニュースを伝えた。
トイレ紙、ティッシュ各地で品薄
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で日用品を買い占める動きがあり、各地の店舗で 29 日、トイレットペーパーやティッシュペーパー、生理用ナプキンなどが品薄になった。インターネット上の「マスクの次に不足」とのデマ情報が原因とされ、関連団体や企業は「在庫は十分。冷静に行動して」と呼び掛けている。...
 このニュースで、私は 70 年近く前の祖父の日常を思い出した。その思い出が、私がブログの使い始め頃に記事の一ジャンルとして紹介していた高校時代の日記に書いてあったことに、きょう、たまたま気づいた。その日記中の関連の一節は次の通り([注 1]から抜粋)。
1952 年 2 月 12 日(火)曇り一時雨
 [...]けさもサツマイモを見た祖父の食前の祈りが普通とは違った調子になった。母は、「じいちゃんはイモと鼻紙があればいいがやね[注 2]」といった。祖父の枕元には、ハトロン紙、古新聞、広告紙などを重ねて折りたたんだ束がつねにある。その収集物はひじょうに大切にされている。買って来いとも、出してくれともいわないが、祖父の鼻紙は欠乏しない。
 祖父は旧満州・奉天市(現在の中国・瀋陽市)の日本人小学校の初代校長を長く務めた功績でだったか、日本の敗戦前にその学校の校庭に胸像を作って貰ったような、立派な教育者[注 3]だった。しかし、定年退職後の敗戦前年に大連の自宅玄関で転倒して大腿骨骨折をした後は、半ば寝たきりになった。日記の当時は、大連から引き揚げて来て、祖父、母、私の 3 人家族で、金沢市 K 町の T さん宅 2 階に間借り暮らしをしていた。祖父は明治元年生まれだったから、この時、ちょうどいまの私ぐらいの年齢だったことになる。私はこの時、高校 1 年生だった。

 この 4 年後に、祖父は老衰で死亡したので、この頃は認知症が始まっていたと思われる。当時の日本の家屋には水洗トイレはまだ普及していなくて、現在のトイレットペーパーやティッシュのような製品もなかった時代である。トイレには普通、薄ねずみ色のザラザラした塵紙が重ねておかれていた。祖父は自分用の塵紙として、上記の日記にあるように、いろいろな紙を保存していたのである。現今のトイレットペーパーやティッシュを一度は使わせて上げたかったと、しみじみ思うこの頃である。

 (2020 年 3 月 17 日、追加修正。)

 [注]
  1. 「Vicky も完ぺきではなく」Ted's Coffeehouse 2(2005 年 2 月 12 日)。
  2. 「いいがやね」は「いいのですね」の金沢弁。
  3. 文部省から派遣されて、ヨーロッパの教育事情を視察する旅にも行き、戦前の各界活動家の履歴(名刺大写真付き)を載せた人物名鑑にも入っていた。その名鑑は引き揚げ後に知人が貸してくれたものだったか、しばらく祖父の手元にあった。いまならば、そのページを写真に撮っておくところだが、当時はそれが容易には出来なかったので、私は祖父の履歴の詳細を知らない。

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2020年3月2日月曜日

歌「旅人よ」中の助詞「に」のこと (On the Word "ni" in the Song "Tabibito yo")

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わが家のレンテン・ローズ。2020 年 2 月 28 日撮影。
Lenten rose in my yard; taken on February 28, 2020.

「旅人よ」中の助詞「に」のこと

 ブログ『まくらが歌謡楽団』に先般「旅人よ」と題する記事が掲載された。岩谷時子・作詞、弾厚作・作曲のポピュラーソング「旅人よ」を紹介したものである。その中に、伊賀山人さんによる解説が引用されており、引用中に次の文がある。
第2節に見える「遠いふるさとに聞く 雲の歌に似て」とは、分かりにくい表現ですが、「遠いふるさとに聞く」とは、本来はこのような口語体の歌詞では「遠いふるさとで聞く」とすべきところを、詞全体の韻律を整えるために敢えてこの句だけ文語調の表現にしたものと考えます。
本記事では、「遠いふるさとに聞く」の「に」について、私の思うところを述べたい。(下に埋め込んであるのは、私が YouTube でチャンネル登録している「ねこじゃらしチャンネル」の「旅人よ」。)



 私の持っている『岩波国語辞典 第五版』の「で(格助詞)」の項には、次のようにある。
場所や時を示すには「に」も使えるが、「銀座で会う」「銀座に在る」を比べてわかるとおり、「に」は存在(に関連すること)の場所、「で」は(活動的な)物事の起こる場所を言う。
この説明は、「聞く」という動作の場所を示すには、口語では「で」を使わなければならないことを分かりやすく教えている。ところが、長い音符が当てられるところに「で」という濁音をおいたのでは、この歌の物静かな雰囲気の妨げになる。この意味で「に」に変えることは、伊賀山人さんのいわれる通り、「詞全体の韻律を整える」ことになろう。しかしながら、これを理由として、「に」を口語の「で」と同じ意味の文語の格助詞と見るのは、どうだろうかという気がする。

 「韻律を整える」ことを考えないとしての口語表現で、ここで「遠いふるさとで聞く」と詠むことが、果たして詩として優れているだろうか。詩では力点をおきたい単語に注意が行くように工夫することが重要だろう。「遠いふるさとで」と来ると、どういう「(活動的な)物事」がそこで起こるのだろうか、という期待が生じ、次に出てくる「聞く」に重みがかかる。しかし、ここでは「聞く」という動作よりも、「雲の歌」を昔聞いた、あるいは聞くことを想像するための、場所が「遠いふるさと」という、かつて身をおいた懐かしい所であることの方が意味上重要であろう。そしてまた、韻文ではいろいろな省略も行われる。

 これらのことを考え合わせると、次のような解釈ができる。例えば「かつて遠いふるさとに居て聞いた」という口語文での思いが初めにあり、その詩的簡略化として、「居て」に続いていた「存在(に関連すること)の場所」を示す口語の格助詞「に」を使った「遠いふるさとに聞く」が生まれ、結果として、「遠いふるさとで聞く」よりも「詞全体の韻律が整っている」という副産物が生じたのであろう。このように解釈すれば、「に」は「敢えてこの句だけ文語調の表現にした」という苦渋の選択ではなく、自然な選択だったことにもなる。

 ——私が理系の人間でありながら、助詞一つの解釈にこだわりもするのは、科学論文を書くには、詩を詠むのとは異なった観点からではあるが、言葉を注意深く選ぶ必要があり、そのための経験を積んできたからかと思う(加えて、学生時代までの文学趣味の名残もあろう)。私が研究職についたばかり時の上司は旧制高校時代を太平洋戦争真っ最中に過ごし、英語をあまり学んでいなかったため、私の方が英作文には自信があった。ある時、私が書いた論文原稿をその上司に見てもらうと、彼の直した一カ所が私の気に入らなかった。そこで私は、これこれの理由で、もとの表現の方がよいと思います、と伝えた。すると上司は「そこまで言葉にこだわるとは、詩を作っているようなものだな」といって笑った。そして、のちには、上司の方が私に論文英語の添削を依頼するようになったのだった。ただし、上司は片言の英語を勇敢に使って外国人と意思疎通をすることにおいては、私より遥かに巧みだった。

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