2005年8月31日水曜日

歩道橋で(写真)/ にぎにぎしい選挙運動


歩道橋で

 写真は八田西町の歩道橋の上から北向きに泉北2号線を撮ったもの(2005年8月29日)。わが家からここまでで、3000歩余りになる。左手の団地の前の並木は、この春に何度か紹介したサクラの木々を含む。

にぎにぎしい選挙運動

 高校時代の交換日記から

(Sam)

(続)1952年11月3日

 校内の各所にポスターが張られ、校内放送は幾回となく候補者の名を叫んでいた。幾枚かのガリバン刷りの名刺も貰った。にぎにぎしい選挙運動が行われ、土曜日の第四限はアセンブリーとなって、各候補の立会演説会が行われた。拍手や笑声やヤジや怒声が盛大で、活発な演説会だった。立候補者と推薦者の言葉は真に迫るものがあった。――笑顔などみせたことのない校長の顔が笑っていた。――
 柔道場のあとの図書館の一隅に新聞部室があった頃
[1] の紅一点だった女生徒 [2] の応援演説には、彼女の所属している15Hの代表ばかりでなく、新聞部の UE 君も、前期生徒会長のトンチ君も、彼女を支持する演説を行った。
 うちのホームの代表のときは、その選出の際に彼を指名した YS 嬢や馬術部員やその他七人もが応援演説を行った。編成としては最多数のものだった。壇上に立った彼らの動作その他も、なかなかおつなのが沢山あった。
 今度の選挙には、三年生は全然立候補者を出していない。だから、三年生のいわゆる浮動票如何では、誰が会長にならないとも限らないのである。が、やはり三年生は賢明だったらしい。聞くところによると、会長には GD 君、副会長には前期もそうであった NG 君が決まったらしい。GD 君は金石(かないわ)中の出身で、そこでは生徒会長として大いに活躍して来たのだそうである。一時野球部に属していたこともあったらしいが、体をこわして、今ではやめているそうである。彼ならば心配は要らない。しかし、ぼくが彼と同調していけるかどうか問題である。まだ一度も親しく会って話をしたことがないのだから――。

 ここ二、三日、祖母がちよっと患っていて、ぼくは思わぬいろいろな仕事をしなければならない。
 金ちゃんと二人で Neg のところへ行ったのだが、べつに新しいことはなかった。Neg が闘病生活のつれづれを如何にして暮らしていたかがよく分かった。それは、Neg からの手紙で知り得たことを、はるかに超えたものだった。
[3]

 引用時の注

  1. Samと私が中学3年生だった頃を指す。
  2. この女生徒は、私の日記に Tom の名で登場する友人が中学生時代からたいへん親しくしていたので、私は、彼らは将来結婚するものと思っていたが、そうはならなかった。その後 Tom に聞いたところでは、彼女は若くして死亡したとのことだった。佳人薄命。
  3. Neg はこの頃病気のため高校を中退したのだった。私は彼とホームルームが同じだったにもかかわらず、あまり親しくはしていなかったので、そのことに気づかず、見舞いにも行かなかった。ところが、近年、新盆に合わせて金沢へ墓参に行くと、野田山墓地の入口の墓守さんの家へ手伝いに来ている彼に会い、親しく語り合うのである。彼の奥さんが墓守さんの奥さんの妹だそうだ。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 09/01/2005 01:15
 校内選挙で手作りの名刺までが飛び出しましたか。わが校の場合、中学も高校も、そういった賑やかさや派手さとはとんと無縁でした。

Ted 09/01/2005 07:44
 先に記載したこの日の前編のSamの記述によれば、「立候補届出期間が三回も延期され、…しびれを切らした選挙管理委員会が、各ホームから一名ずつ強制的に候補者を選出」させるという事態だったとのことですが、それにしては、候補者が出た後は、ずいぶん盛り上がったものです。

2005年8月30日火曜日

わが町の水田(写真)/ 最高得票者が会長


わが町の水田

 さる8月27日午前、ウォーキングで鈴の宮公園へ行くと、草むらにコオロギらしい虫の音を今年始めて聞いた。写真はその帰途、わが町の中にある水田の傍らを通りかかって撮ったもの。田植えが終って間もない頃の写真を撮ったのが、つい先日のように思われるが、いまは一部にスズメよけの網が張られ、黄金色になるのも近い風情である。

 昨29日のウォーキングでは、八田北町の公園のクスノキでツクツクボウシが鳴いているのを聞いた。長らく耳にしななかった声である。昨年までほとんどそうしていたように、わが家を出て商店街のある北方面を歩くより、途中に日陰がほとんどなくても、南へ行く道をとる方が季節の移ろいをより多く感じられてよい。

最高得票者が会長

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年11月3日 [1]

 うちの会社(という言葉が流行している)でも、ようやく後期生徒会役員が決定したとのことだ。「とのことだ」といわなければならないのは、先週の土曜日に投票があって、午後三時から開票されたはずであるが、その結果の全部を知らないからである。今度の選挙は、結果的にみて成功だったかも知れないが、変則的で、初めのうちは、はなはだ不活発だった。前期役員の任期は九月三十日をもって終ってしまっていたのだから、ちょうど一カ月のブランクがあったわけである。
 立候補届出期間が三回も延期され、ようやく立候補者が二十名ばかり現れたのである。二十名? 何のことはない。とうとうしびれを切らした選挙管理委員会が、各ホームから一名ずつ強制的に候補者を選出しなければならないという処置をとったからである。「生徒会役員候補者」ということにし、全校生徒の投票により、最高得票者が会長、次最高得票者が副会長、第三位の得票者が書記、第四位以下十名までが執行委員ということにした。会計については、前期会計が再度立候補届を行っており、特別の知識と才能がいるという理由で、選挙管理委員会では無競争で立候補者を正式会計として承認する旨発表した。二、三の反対があったが、了解したらしい。
 会計の立候補者というのは、いうまでもなく、ぼくである。誰か後任者があればさっさと辞してしまいたいと思っていたが、バトンをゆずるべき立候補者は現れず、ぼくとしても安心して渡せる誰をも見つけられなかった。仕事の内容からいっても、責任からいっても、このまま行けば、結局、自分でやるより他はないと思ったから、また、YM 君が熱心にぼくの推薦人を集めてまわってくれていたから、やむなく立候補することにしたのである。
[2]

 引用時の注

  1. 原文には日付けがなく、これは推定である。
  2. この日の日記は次回掲載分へ続く。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

ポー 08/31/2005 00:00
 私の通っていた高校では、立候補するような生徒もいなくて、毎年先生や前年の役員などが声をかけて、会長以下セットでそろえ、そのセットを「信任」か「不信任」かという投票が行われていました。

Ted 08/31/2005 07:44
 私の最初の職場だった公立研究機関の労働組合(大阪府職労の1支部)の役員選挙も、セットにしてではありませんが、ほとんど「信任」か「不信任」かの投票でした。何度も支部長を務めた組合活動のベテランの I 君が、1票差で支部長不信任になるという劇的な事態もありました。私は組合活動の活発であることを願うものでしたが、I 君は私の共同研究者であり、彼が組合活動をしなければ、私たちの研究がはかどるということもあり、この不信任には複雑な気持を抱きました。

2005年8月29日月曜日

トンボとり(写真)/ 最多アクセス記事(05.07.31~08.27)


トンボとり

 写真右のおさな子は、タモを振り回してトンボをとろうとしていたが、うまくいかなくて、このタモがよくないといい始めた。左のベンチにいた祖父らしい人が、いまトンボは虫を捕まえるのに忙しいから、夕方になってトンボが疲れた頃ならとれるかも知れないよ、といってなだめていた(堺市・鈴の宮公園で、2005年8月20日)。

 追記:タモという言葉を捕虫網の意味で使うのは、私の郷里、石川県方面の方言的な用法かも知れない。

最多アクセス記事(05.07.31~08.27)

 先に7月10日から30日までの3週間の "Ted's Coffeehouse"[後日の注:2009年4月まで使っていて消滅した別のプロバイダーでのブログ。目下、そのブログの記事をパソコン上の控えから "Ted's Coffeehouse 2" のアーカイブへ復元中]最多アクセス記事について記した [1]。引き続き、その後の4週間の各週について調べてみた。結果は次の通り。()内は期間内の総アクセス数、[ ] 内は記事掲載の年月日。

7.31~8.06(4358)
アインシュタインの原爆に関することば (Einstein on Atomic Bombs) [05.05.22]: 56

8.07~8.13(4685)
ドレスデン国立美術館展 [05.05.05]: 80

8.14~20(4521)
靖国問題とは [05.05.21]: 133

8.21~27(4802)
『こころ』再読 [05.08.11]: 126


 1位は毎週入れ替わっているが、「靖国問題とは」や「ドレスデン国立美術館展」は大抵上位にある。四つの最多アクセス記事のうち三つまでが、5月に執筆したものであることが面白い。アクセスが結構あっても、読んで共感して貰っているか、何かの役に立っているか、は分からないところが歯がゆい。

 なお、前回は、最多アクセスのカテゴリについても週毎に記載したが、相変わらず「Water Color (水彩画)」が最上位を占める謎めいた現象が続いている。上記4週のこのカテゴリへのアクセス数は、112、103、109、143となっている。


  1. カメ(写真)/ アクセス解析 (Ted's Coffeehouse, 2005年8月5日).

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

テディ 08/29/2005 09:14
 ちなみに、Google で "Watercolor" を検索してみると、日本語のページでは2番目に、ウェブ全体では22番目に、この "Ted's Coffeehouse" がヒットしました。水彩画愛好家は世界中に結構多いのかもしれませんね。

Ted 08/29/2005 11:29
 わざわざお調べいただき、ありがとうございます。ところが、最近エコー!に追加された検索ワードによるアクセス解析では、たとえば8.21~8.27の1週間に「watercolor」という語の入った検索は「watercolor paintings ted」という、先に訪問してくれたことのあるらしい人の1件しか見当たりませんでした。奇妙でしょう?

ポー 08/29/2005 10:09
 トンボとりのおじいさんのなだめ方がいいですね。さすが年の功です。何が悪いのでもないというのはすばらしい考えです。追い回されたトンボはかわいそうでしょうが~

Ted 08/29/2005 11:32
Thanks for your kind comment. The old man seems to be of about the same age as me, but I cannot think of such good words for a grandchild.

ヨハン 08/29/2005 21:35
 捕虫網をタモと言うのは知りませんでした。関東では虫取り網とよぶのが一般的(?)でしたから。常々記事を拝見させていただき、Ted さんの考えや表現力には若きを凌ぐ素晴しいものを感じています。

Ted 08/29/2005 22:07:11
 お褒め、恐縮です。捕虫網の語を使おうかとも思ったのですが、郷里の石川県でタモといいならわしていましたので、これでも通じるかと思って使いました。いま『広辞苑』を見ると、「たも」は「たもあみ」の略とあり、後者の説明には「水中の魚類をすくいあげるのに用いる」とありますね。捕虫網をタモというのは方言的な使い方のようです。

2005年8月28日日曜日

ラッセル・アインシュタイン宣言50周年

 さる1月にラッセル・アインシュタイン宣言に触れたブログ [1] を書きながら、今年がその50周年にあたることに気づかなかった。一昨日、宗川吉汪(そうかわ・よしひろ)京都工芸繊維大名誉教授の「ラッセル・アインシュタイン宣言の精神と日本国憲法第9条」という論文 [2] を読んで、それを知った次第である。ラッセル・アインシュタイン宣言は1995年7月9日付けとなっている。1ヵ月と20日ばかり遅れたが、宗川論文をここに紹介することによって、私も同宣言を讚えたい。

 哲学者バートランド・ラッセルは物理学者アルバート・アインシュタインとともに、水爆戦争による人類の危機を訴えるこの宣言を起草し、湯川秀樹を含む世界の著名な科学者11名(うち10名がノーベル賞受賞者)の署名を添えて発表したのである。宗川名誉教授は英語の原文 [3; 本ブログ末尾の資料 (1, 2) にも一部をコピーした] と自らの和訳を論文末尾に添付している。

 宣言は8節から構成され、最後の第8節は決議となっている。その決議は、各国政府は戦争を放棄し、紛争の解決には平和的手段を見出すべきである、というもので、宗川論文は、「日本国憲法が危機に陥っている現在、これは日本人に重く響く。9条を守ることは、まさに、宣言の精神に則っている人間的かつ人類史的闘争である」と述べている。

 論文はさらに、宣言の指摘した世界規模の東西対立は、1991年のソ連の崩壊で表面上解消したが、それで人類の危機は去ったのではなく、現在、とくに2001年の9.11以来、危機はさらに深刻になったと見るべきだと指摘する。そして、アメリカが、9.11テロ誘発の原因も考えずに、むしろそれを利用し、アフガニスタンとイラクで多くの市民を虐殺する攻撃を行い、その鉾先を他の国ぐににも向けようとしているいま、もしもわれわれが憲法9条を放棄すれば、日本人の、「人」としての使命も放棄することになる、と結論づけている。[米国や日本を含む世界の軍事費の最近の傾向については、資料 (3) を参照されたい。]

 著名科学者たちが50年前に賛同した宣言の精神をかえりみて、憲法9条との一致を知るとき、来る衆議院議員選挙には、憲法を守る政治家をこそ選ばなければならないという思いを強くするのである。


  1. アインシュタインの社会的業績と坂東昌子教授 (Ted's Coffeehouse 2005年1月13日).
  2. 宗川吉汪, 日本の科学者 Vol. 40, p. 498 (2005).
  3. ラッセル・アインシュタイン宣言(The Russell-Einstein Manifesto, 1955)の原文は、例えば、The Russell-Einstein Manifesto, Web page of Pugwash Conferences にも掲載されている。

【資料】

(1) ラッセル・アインシュタイン宣言:決議部分の原文
"In view of the fact that in any future world war nuclear weapons will certainly be employed, and that such weapons threaten the continued existence of mankind, we urge the governments of the world to realize, and to acknowledge publicly, that their purpose cannot be furthered by a world war, and we urge them, consequently, to find peaceful means for the settlement of all matters of dispute between them."

(2) 同宣言の署名人
Max Born, Percy W. Bridgman, Albert Einstein, Leopold Infeld, Frederic Joliot-Curie, Herman J. Muller, Linus Pauling, Cecil F. Powell, Joseph Rotblat, Bertrand Russell, Hideki Yukawa.

(3) 世界の軍事費
 世界の軍事費の最近の傾向については、「軍事費の急増:貧困救済や教育に回したい」に、数値を挙げて述べられている。

 追記:新着記事「小泉・自公政治 このムダ遣い」の後半には、米国防総省「共同防衛にたいする同盟国の貢献度報告」2002年版による米国、日本、英国、ドイツ、フランスの1990年と2001年の軍事費がグラフで示されている。他国の軍事費が減少している中で、日本だけがこの間に増大を示し、英国などを抜いて、米国に次ぐ値になっているのは、異常な「軍拡」というべきであろう。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

ルーシー 05/20/2006
 Ted さん、コメントありがとうございました。お願いがあるのですが~、英文ではなく和文にてコメントお願い致します、お手数ですがまたコメントお待ちしています。

Ted 05/20/2006
 私の使っているマックでルーシーさんのコメント欄に日本語を入力したところ、文字化けしましたので、英文にした次第です。書きましたのは次のようなことです:トラックバックありがとうございます。ルーシーさんのブログでは、アインシュタインへのノーベル賞授賞理由が、特殊相対性理論の発見のように取れますが、実際の授賞理由は、「理論物理学の諸研究とくに光電効果の法則の発見」でした。

ルーシー 05/21/2006 00:51
 Ted さん、お手数おかけしました。だいたいは英文で把握出来て訂正をしました。確かに誤解を受ける表現でしたね。しばらく気が付きませんでした(笑)。お恥ずかしい次第です! ありがとうございました。ではまた!

2005年8月27日土曜日

北信越高校野球決勝で菫台が惜敗


 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年11月3日(月)快晴

 "A Place in the Sun" の解釈は間違っていた。北国新聞夕刊の映画評に上流の社会を指すと書いてある。*

 これだけの歓声の中で、あれだけのプレーをするのは、さぞ愉快なことだろうと思いながら、菫台対桜丘の北信越高校野球大会決勝戦を見た。内野スタンドがすでに満員だったので、三塁ベンチの左端がちょうど一塁ベースの真向こうに見える位置の土手に腰を下ろした。7、8回に1点ずつ奪われて、試合は逆転し、そのまま2対1で敗れてしまった。[1]

 *[Tedの欄外注記]ぼくは社会問題に対する考察に慣れていなくて、何でも心理的な問題にしてしまいがちなので、こういう間違いをしたのだろう。

 引用時の注

  1. 上のイメージは、この日の日記の終りに「録音を聞いて記す」として書き込んであった、北信越高校野球決勝戦8回裏1死から試合終了までの攻防の、スコアブック式記録である。さる6月の小学校同級会で、このとき菫台チームの三塁手だった KW 君が、この試合で3失策をしたことを大いに残念がっていた。なるほど、この記録を見れば、8回裏1死から桜丘の3番打者能口が三塁ゴロエラーで出塁、投手の暴投で二進、6番打者林の左翼左への安打で生還し、これが決勝点となっている。[後日の注:KW 君が話していたのは、翌年夏の甲子園大会北陸予選で優勝した泉丘高校との対戦だったかもしれない。]

     優勝した桜丘高校は翌年春の選抜大会出場校に選ばれた。わが菫台高校は惜敗といっても、9回表に3~5番打者が相手の大根投手に完全に牛耳られている様子を見れば、負けても仕方がないともいえよう。わが校の4番打者・一塁手の上井(うわい)は私と同期である。彼は小学校時代には大根と好投手ぶりを競い合い、対戦成績は2勝2敗だったのだから、このときその大根を擁するチームと最後まで甲子園行きの切符を争って敗れたのは、さぞ悔しかったことだろう。(「非運のU君」参照)。

     なお、この1952年度の北信越高校野球(新潟、富山、石川、福井、長野の5県の代表による)では、準決勝に残った4校がすべて、この大会の地元石川県の代表である金沢市内の普通高校という稀な現象が生じた。大根や上井は、ともに生粋の金沢っ子ではなく、戦時中に神戸方面から疎開して来て、金沢に住み着いた児童だったと聞く。他にもそのような「野球先進地」から来た選手たちがいたことだろう。それに加え、戦災を免れた金沢で、戦後いち早く小学校の野球大会が復活したという事情もあって、いわば、戦争の事後効果として、この珍現象が起こったといえるかも知れない。

     桜丘の大根・能口のバッテリーは、小学校以来の名コンビで、翌春甲子園出場を果たしたものの、1回戦でいきなり大阪の当時の強豪、浪商(後の巨人の外野手・坂崎がいた)と対戦し、4対1か4対0で敗退したのだったと思う。——この日の私の日記は意外に短いが、振り返れば、いろいろな関連事項が思い出される。


[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 08/27/2005 21:50
 浪商-巨人の坂崎とは懐かしい名前ですネ。巨人の五番打者でしたか。

Ted 08/28/2005 07:20
 坂崎選手を覚えておられましたか。私の記憶している巨人のバッティングオーダーは、千葉、白石、青田、川上、…という古いもので、坂崎が五番打者だったかどうかは、覚えていません。しかし、巨人ファンでもない私が名前を覚えているところを見れば、クリーンナップトリオに入っていたのでしょう。

四方館 08/29/2005 20:50
 王、長島がクリーンアップに定着した頃の初期は坂崎が五番だったように記憶しますが…。

Ted 08/29/2005 21:54
 ああ、そうでしたか。「坂崎 外野手 巨人」でグーグル検索をしたところ、ここにプロ在籍中の成績等が掲載されていました。検索結果の2ページ目トップに私のこのブログ記事[注:最初に投稿した Echoo! サイトのもの]が出ていて、びっくりしました。