わが町の水田
さる8月27日午前、ウォーキングで鈴の宮公園へ行くと、草むらにコオロギらしい虫の音を今年始めて聞いた。写真はその帰途、わが町の中にある水田の傍らを通りかかって撮ったもの。田植えが終って間もない頃の写真を撮ったのが、つい先日のように思われるが、いまは一部にスズメよけの網が張られ、黄金色になるのも近い風情である。
昨29日のウォーキングでは、八田北町の公園のクスノキでツクツクボウシが鳴いているのを聞いた。長らく耳にしななかった声である。昨年までほとんどそうしていたように、わが家を出て商店街のある北方面を歩くより、途中に日陰がほとんどなくても、南へ行く道をとる方が季節の移ろいをより多く感じられてよい。
最高得票者が会長
高校時代の交換日記から
(Sam)
1952年11月3日 [1]
うちの会社(という言葉が流行している)でも、ようやく後期生徒会役員が決定したとのことだ。「とのことだ」といわなければならないのは、先週の土曜日に投票があって、午後三時から開票されたはずであるが、その結果の全部を知らないからである。今度の選挙は、結果的にみて成功だったかも知れないが、変則的で、初めのうちは、はなはだ不活発だった。前期役員の任期は九月三十日をもって終ってしまっていたのだから、ちょうど一カ月のブランクがあったわけである。
立候補届出期間が三回も延期され、ようやく立候補者が二十名ばかり現れたのである。二十名? 何のことはない。とうとうしびれを切らした選挙管理委員会が、各ホームから一名ずつ強制的に候補者を選出しなければならないという処置をとったからである。「生徒会役員候補者」ということにし、全校生徒の投票により、最高得票者が会長、次最高得票者が副会長、第三位の得票者が書記、第四位以下十名までが執行委員ということにした。会計については、前期会計が再度立候補届を行っており、特別の知識と才能がいるという理由で、選挙管理委員会では無競争で立候補者を正式会計として承認する旨発表した。二、三の反対があったが、了解したらしい。
会計の立候補者というのは、いうまでもなく、ぼくである。誰か後任者があればさっさと辞してしまいたいと思っていたが、バトンをゆずるべき立候補者は現れず、ぼくとしても安心して渡せる誰をも見つけられなかった。仕事の内容からいっても、責任からいっても、このまま行けば、結局、自分でやるより他はないと思ったから、また、YM 君が熱心にぼくの推薦人を集めてまわってくれていたから、やむなく立候補することにしたのである。[2]
引用時の注
- 原文には日付けがなく、これは推定である。
- この日の日記は次回掲載分へ続く。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
ポー 08/31/2005 00:00
私の通っていた高校では、立候補するような生徒もいなくて、毎年先生や前年の役員などが声をかけて、会長以下セットでそろえ、そのセットを「信任」か「不信任」かという投票が行われていました。
Ted 08/31/2005 07:44
私の最初の職場だった公立研究機関の労働組合(大阪府職労の1支部)の役員選挙も、セットにしてではありませんが、ほとんど「信任」か「不信任」かの投票でした。何度も支部長を務めた組合活動のベテランの I 君が、1票差で支部長不信任になるという劇的な事態もありました。私は組合活動の活発であることを願うものでしたが、I 君は私の共同研究者であり、彼が組合活動をしなければ、私たちの研究がはかどるということもあり、この不信任には複雑な気持を抱きました。
0 件のコメント:
コメントを投稿