2005年6月26日、堺市・泉北スポーツ広場で。
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年9月19日(金)晴れ
君の学校との野球の交換試合を1インニングだけ見た。1回裏、2塁右を襲う安打で出た1年生で短躯の OM を、3番 SK が遊撃左を破り左翼手を誤らせて迎え入れ、捕逸で SK も帰り、2点を先取した。[1]
来年の君は解析 II を取るのだろうね。それとも、今年の Octo のように、数学を取らないことになるのかい。そうだとすると、とても残念だね。ある関数の任意の点での変化率を示す関数である導関数を求める操作、すなわち微分、の概念はまったく面白いものだ。
同じ頃に同じ場所で同じようなことが起こるとは、どうしたことだ。編集室での一対一の紛争だ。昨年のいまごろは、Jack と3年生の KD 君との間でそれがあったのだが、きょうは TKS 君と3年生の UE 君との間でだった。どちらも、怒り出したのが3年生であるということも、意味がありそうだ。編集室の庭球コートに面している金網の張られた出窓に腰かけて弁当を食べていた3人の3年生を見て、「どれが一番サルに近いかな。真ん中の奴だ」と TKS 君がいったことが原因だったのだろう。弁当を食べ終った UE 君は、いきなり TKS 君の帽子を奪い、いつもは優しさをたたえている顔を変形させて、それを水道の蛇口の下に置いた。「冗談でないぞ」というのが口癖の TKS 君は、思うようにならない右手を突っ張らせて、何をするか、とつめ寄った。それから彼らは、紛争を解決するために外へ出ていった。後のことは知らないが、沈着な UE 君としては、何と変わった、そして、つまらない行動だっただろう。しかし、TKS 君もいい過ぎだった。
引用時の注
1インニングしか見なかったのは、公式戦でなかったからだろう。この年、わが菫台高校(現・金沢商業高校)の野球部はかなり強く、もう少し後の日記にも記されているかと思うが、秋の北信越大会では惜しくも準優勝だった。優勝校は翌年春の選抜大会で甲子園出場がかなうので、まことに残念だった。
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