高校時代の交換日記から
(Sam)
1952年8月24日(日)晴れ
暑い。暑い。一日中、このことばの連発だった。もしも、数人で「暑い!」と一言いうたびに十円罰金として徴収するシステムでも作っておけば、数百円の金が集まったであろう。風呂へ行ったら、浴槽の湯まで熱かった。そして、そこで、きょうの気温は最高三十三度で、今年の最高記録だということをラジオがいっているのを聞いた。
盆踊り。それは、健全なダンスであるとともに、妖艶な社交場でもあり得る。そして、この両面を持てばこそ、踊りの輪は回るのであろう。色彩電球の輝く下に、踊り跳ねる腕、手、指、浴衣姿の着物の袖から足の先まで、みな動いている。それに見入る人びとの顔もまた楽しからずや。
(Ted)
とんだ「文学の研究」をやったね。途中で Sam が「どこかで読んだような…」といったところが、昨日 Jack のためにぼくが書かなければならなかったことの原因の一つなのだ。――新しいものを生み出すことは、非常に愉快なことだ。――とだけ書いたのでは、きょうの午後のどんなときにこう感じたのか分かるまい。Sam が Jack の作品(私小説に属するものだね。ぼくのも多分にそんな向きがあるが)の最後に「彼女のまばたきのように――」と付け加えたときに感じたのだ。ぼくも自分で一応満足の出来る、もっと新しいものを作るべきだった。しかし、そのためには、夏休みの宿題であるために受けた時間的制約のないことが必要だ。Jack の小説の上に四つの目を注ぎながら、われわれは何だか沢山のユーモアを飛ばしたね。あんなふうに楽しく古典的な文学についても話し合えたら、「また楽しからずや」だ。
Sam の考え出すことは、しばしば、コント的で民謡的な渋味のあるユーモアだね。正月に Octo と3人でしたリレー小説の遊びでも、「こけし」を持ち出したり、駅で別れた女性から男性のところへ、近日中にそこへ移る、と手紙でいってきた番地が、彼の新しい家の表札にあるものだった [1]、としたりして、われわれを喜ばせたが、Jack の創作の題名として Sam が提案した「弥次さんと京人形」も、それらに似た趣のものだ。表紙に千代紙でも貼ったら似つかわしいような題名だ。Jack が自分のあだ名を題名に含む小説を作って来たことが知れれば、少なからず笑いの種になるだろう。[2]
Sam が最近の3日間に書いたことは、どれもこれも、ぼくの見聞外にある事柄ばかりで、われわれの通信帳の利点を改めて感じさせられた。
引用時の注
私は長年、Sam がこの結末を与えたリレー小説遊びをしたのは、私が大学生、Sam が社会人のときだったと記憶違いしており、そういう記憶違いのままで、短い英文随筆にも書いていた("Relay Composition" 参照)。
"Jack" はわれわれの日記をブログで紹介する上だけでのあだ名であり、学校で本当に使われていたあだ名は「弥次さん」だったのである。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
四方館 06/05/2005
この時期なら、関西でいうと地蔵盆の盆踊りですね。観光名物と化してしまった越中八尾のおわら盆に行ったことがありますが、あの踊りは幽明の境をゆく感があります。
Ted 06/05/2005
なぜ8月24日に盆踊りなのだろうと思いながら書き写していました。なるほど、地蔵盆というのは8月23、24日なのですね。私は音楽と体操が苦手でしたから、両者を結合した盆踊りを Sam のように楽しむことはありませんでした。大学1回生のときの学園祭でのスクェアダンスや、40歳台のときの小学校同窓会での社交ダンスを、いい加減な動きで楽しんだのが、数少ない踊りの機会となっています。
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