高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年8月26日(火)晴れ
今までに感じたことのない感じが周囲にあるような気のする日だった。白っぽい落ち着いた雰囲気が――。
Sam がしてくれたのは、「夏空に輝く星」への感想の表明(ということばを使ってもよいほど、十分に思ったことを伝えてくれたかい?)と漫画映画の話で、われわれが一緒にしたのは、ことばの間隙の製造と漢字の尻取りで、ぼくがしたことは…、何もなかったのじゃないかな。
M 嬢のお父さん [1] が病気で1週間ほど休まれるそうだ。われわれは、ゲルマンの大移動開始直前のところで、足踏みを続けなければならない。英語乙は、"Isaac Newton" の残りを最後まで進んだが、校長先生は先学期と同様に、mischief を第2音節にアクセントをおいて読んでおられた。授業が終り、鞄をさげて教壇の前を通るとき、黒板を拭いておられた先生に、よっぽど「"いたずら" ということば(word を "字" といわれる先生がよくある。校長先生もそうだ。これも "ことば" に改めて欲しい)は mischief でなく mischief です」といおうと思ったが、いわなかった。いうべきだった。
放課後、廊下の、もう数メートルで昇降口へ折れるところで、Vicky と行き違った。彼女の顔はあまりに蒼(あお)白く、どう見ても愉快そうだとは思えない様子だったので、極端に顔をそむけてしまった。あたかも、あらゆる忌むべきものが彼女の顔からほどばしり出ていて、ぼくがそれを恐れるかのように。[2]
引用時の注
世界史の MY 先生のこと。先生のお嬢さんは、この年にあったオリンピックの飛び込みの選手だった。
Vicky はこの夏、体調がよくなかったようである。私の表現は、いくらかおおげさだったかも知れない。
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