カルミア:金沢で小学校同級会に出席したあとの6月3日昼近く、卯辰山を訪れた。そこの菖蒲園付近に、遠目にはアジサイのような花(写真)が咲いていた。近寄るとアジサイではないと分かる。「カルミア オスポレッド」という札がついていた。『大辞泉』によれば、カルミアはツツジ科の常緑低木。北アメリカの原産で、日本には1915年に渡来。「はながさしゃくなげ」「アメリカしゃくなげ」の名もあるとか。
父の命日
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年8月27日(水)晴れ、28日(木)晴れ
Journalism。Positivenessの最も必要なものだ。10月30日までにどれだけのことが出来るか。そして、その後はどうなるか。
サトウ・ハチロー夫人自殺を計る、か。原因が何であるにせよ、自殺までしなくても――とも考えられるが、人間の感情はそれほど理論通りには行かないものだ。しかし、彼女の意志がそこへ到達したのは、純粋な理論によってかも知れない。
28日は父の命日なので、祖父はまず自分で経を上げてから、ぼくに仏壇の前に座るように命じた(と書いたのでは、少し強すぎる表現だが)。こういうことは、今までにほとんどなかったことだ。祖父が毎日読む経本の代わりにトルストイやゲーテやホーソーンの作品が祖父の枕元にあった方がよいなどと思っているぼくだが、父の人柄を偲び、自分の決意を新たにするのも無意味ではないと思って、快くそれに従った。
父は背のあまり高くない、太り気味の温和な人だった [1]。特に印象深い思い出はないが(あるにしても、今はそれを思い出して書くだけの暇がない)、決してぼくを叱らなかったこと、しかも、決していたずらなどさせなかったこと、どこか深遠さを漂わせている優しさに満ちた顔を持っていたことなどは、容易に思い出せる。
Sam には新しいお父さんがあるようだね。どんな方か、機会があったら、書いてくれ給え。
引用時の注
太り気味だったのは、私がよく覚えている病気療養中の頃だけで、それ以前の写真によれば、そうではなかった。父が死去したのは、私が小学校3年生になったばかりの1944年4月28日だった。
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