小さな水車
先日の京都府北部への小旅行の2日目に、由良川にかかる位田橋を渡った後、「綾部ふれあい牧場」へ向かった。しかし、どこかで「駅からはじまるハイキング MAP」指定の道からはずれてしまった。地元の人に出合ったので、牧場への道を尋ねると、牧場は廃止になり、乗馬クラブへの転身工事中だという。牧場の焼肉レストランで昼食をするつもりが、食いはぐれたかと思いながら、ともかく牧場跡へ行く。焼肉レストランは健在で、助かった。かつての牛舎には馬が一頭いて、付近は整地中だった。乗馬クラブよりも、牧場の方が幅広い年齢層の人びとに親しまれてよさそうに思えるのだが、経営不振となったのだろうか。
京都府立農業大学校横を通って由良川土手沿いまでの帰路、「のどかな田園風景の中に小さな水車がまわっている」と、上記「MAP」に紹介されている水車を見つけた(写真)。どこかの地区で観光用に水車をいくつも復元した話が、最近テレビで紹介されていた。この水車もそれらと同じく、用水から水を汲み上げて田へ供給するタイプのものだが、ずっと小型で1機だけしかない。いじらしく、汲み上げた水を用水へ戻す作業を続けていた。これも観光用なのだろう。
絵画の主観と客観
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年9月10日(水)晴れ
髪を三つ編みにして登校している女生徒が、ときとしてふさふさと垂らしたまま出て来たのを見ると、こんなにも沢山の髪が彼女の頭にあったのかと思うことがある。それと同様な感じを与えて、先日来の雨のあとの初秋の日光が、意外に輝かしく降り注ぐ午後だった。3時過ぎに電車に乗り、歩き、尋ね、がっかりし、再び電車に乗り、降りて少しばかり歩き、わずかの間探し、しばらく躊躇し、「都賀田先生いらっしゃいますか」といい、そして、山の方へ仕事に行かれ、4、5日帰られないと聞いて残念がった。せっかく沢山の質問を考えて行ったのがフイになるとは、どう思っても残念だ。訪問記事のための代わるべき人物を考えなければならない。
HN 君が、HM 君の家も弥生町だったから探して寄って行こうといって、交番で彼の家を尋ねたが、ボックスの中でラジオを聞いていた巡査に、「ふん、HM YK [1] か。何しに行くのだ。どこの学校だ」と尋問されてしまった。それでも、家は教えてくれた。交番を出てから、HN 君は「YK って知っとるとは驚いたな。どうせ、あんなところの厄介になっとるがやろ」という。都賀田勇馬氏が先頃製作した鳩を抱いた少年像のある弥生小学校を右に見て進むと、新しくてしゃれた、合理的設計の HM 君の家はすぐに見つかった。呼び鈴を押すと、横の窓から、子どもたちにグリム童話でも読み聞かせるのがふさわしいような顔と服装の彼の母が上半身を現して不在を告げたので、また、がっかりしなければならなかった。
昨日の北国新聞夕刊に「"何が描いてあるか" から "何を感じるか" に」という見出しで、絵の見方に関する記事が載っていた。その中にあった、この頃の画家は「"何を描くか" という写真の代役的なものから "何を表現するか" という主観的なものになっ」たという言葉は、ぼくに一本の針を突き刺した。「夏空に輝く星」の中で、ぼくは、稔に芸術の客観性を肯定させた。少なくとも、させたつもりだ。しかし、ここには堂々と「主観」の文字がある。「要するに現代の絵は作画の動機がつねにハッキリしており、画家の精神が画面に踊っている」とも書いてある。客観といっても、作意が現れないということを意味したつもりではないが――。難しい。主観・客観ということ、そのものが分からなくなって来た。古代ギリシャの哲学者プロタゴラスは「主観の絶対性を強調して客観的真理の存在を否定し」たそうだ。
引用時の注
YK は HM 君の名。「HM という家」を尋ねたのだが、巡査は彼の名まで知っていたのである。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
Y 06/20/2005
芸術において客観性は、あると思うのです。音楽でも、非常に客観性の高い音楽として評価したくなる音楽があります(特にクラシックの演奏)。このときの「客観性」とは何か、とは、なかなか理論的に言明しにくい、難しいテーマだろうと思います。
絵画だと、主観的な伸びやかな表現の中にも客観的な指標が踏まえられている絵画、といったふうになるかと思いますし、主観の可能性が推し進められたからといって、絵画が客観性を必ずしも失うわけではないでしょうね。ただ、「客観性が高い」と「観る人のことをよく配慮した」とは別な評価基準だと私は捉えています。なかなか表現しにくいですね。
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