ブーゲンビリア(「この花の名は?」改題)
さる6月19日、ウォーキングの途中で、濃いピンクの花の中に白い小さな花が咲いているような、面白い花(写真)を見た。ピンクの花の直径は3~4センチ程度である。名前をご存知の方があれば、教えていただければ幸いである。
後日の追記:コメント欄で「ブーゲンビリア」と教えていただいた。(記事末尾に引用したコメントを参照されたい。)
「いもがゆ」
高校時代の交換日記から
(Sam)
1952年9月15日(月)曇り
としよりの日だというのに、祖母に対して特別に何もしてあげられなかった。しかし、近所のとしよりたちと、午後から北国動物園へ行って、大いにまなこを驚かせて来たそうで、帰ったら、おおぎょうなジェスチュアでその話ばかりして、孫に勉強を少しもさせなかった。
創立記念日の行事が具体化しつつあるが、君の学校ほど盛大なものにはなるまい。運動会について、本校のグラウンドは狭すぎるという理由で、公設グラウンドで開催の案が出ているのは注目に値する。
(Ted)
1952年9月15日(月)雨
「いもがゆ」の主役はやはり利仁だった。国語甲の時間に、先生に大いに反駁しようと思っていたのだが、『宇治拾遺』中には、「いもがゆ」としてではなく、「利仁薯粥の事」という題で載っているといわれたので、それならば一切の反駁は無駄だと思った。利仁についての描写の量と、五位を連れて来る道みちの積極的な言動・役割が主役であるゆえんだそうだ。そうすると、最後の教訓を含んだ文は、少しとってつけたような感じになる。先生は「これを裏から解釈すれば、さる者、すなわち五位のような待遇を受ける者が、おのずからある、といっても、そういう待遇を与えるのは誰かというと、利仁なのだ」と説明しておられたが、そこまで理屈っぽく説明する必要もないように思われる。
芥川の「芋粥」に主人公として現れる五位は、典型的な悪風采の持ち主で、欲望の塊である。彼はあらゆる人間の深部にある欲望に関する感情と、それをめぐる幸不幸に関する観念とを具現している。ここに主題となっているのは、心理的なものであるのに対し、『宇治拾遺』の「いもがゆ」のそれは、現象的なものだということが出来よう。精神界・現象界というプラトン哲学的な分類の第一段階において、これらの、同じいもがゆを媒介として書かれた、筋もほとんど同一の作品は、完全に別の道を行くのである。(なにぶんにも、芥川の「芋粥」を読んでいないから、これ以上は書けない。また、これだけの中にも誤りがあるかも知れない。)[1]
引用時の注
Sam たちが同じ国語の教科書を使用していて、Sam に質問され、私の習ったことや意見を書いたのだろうか。この日、さらに続いて、国語の教科書にあった「夕鶴」の主題等についても書いており(次回掲載予定)、その後で、「こんなところで、どうだね」と記しているので、そう思うのである。その後まもなく、私は芥川の「芋粥」も読んだと思う。読まないうちに『宇治拾遺』の「いもがゆ」との比較を書いたのは、教科書か国文学史の参考書にあった「芋粥」の紹介文でも参照してのことだろう。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
ポー 06/24/2005
ブーゲンビリアでしょうか~。濃いピンクの部分は葉っぱですよね。色もいろいろあるんですね。
Ted 06/25/2005
ありがとうございました。お陰で、わが家にある『植物の世界』中の掲載ページを索引で見つけることができました。「Bougainvillea spectabilis、和名イカダカズラ、花弁のように見えるのは包葉で、その中に筒状の花がある。ブラジル原産で、世界の温暖な地域で広く栽培され、広い範囲で帰化植物となっている。多数の雑種や園芸品種も市場に出回っており、花と包葉の色、葉の形の細部、花序の形態もさまざまである」などの説明がありました。
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