以上に紹介した南部、ポリツァー両氏の対談には、「電磁気力」と「弱い力」が出てきた。紹介の途中で、湯川が中間子を仮定して考察した核力の話をカッコ内に挟んだ(第1報の最終パラグラフ)。現在、核力は陽子や中性子を構成するクォークの間でグルーオンを交換して生じる力(「強い力」)がもれ出した効果と理解されている。自然界にはもうひとつ「重力」があり、基本的な力はこれらの4種類である。重力は重力子(グラビトン)という粒子の交換によって生じると考えられているが、この粒子を実験的につかまえることは、まだできていない。
ところで、同じように粒子(仮想量子)を交換しても、ある場合には斥力が発生し、またある場合には引力が発生する。この相違はどこからくるのだろうか。ふたつの粒子の間の力の場を距離の関数として表すポテンシャル関数の符号が仮想量子の種類によって異なるといわれれば、分かったような気はするが、その符合の相違が仮想量子の何に起因しているかが知りたくなる。A〜D図を描く参考にしたP・C・W・デイビスの本 [1] には、次のように説明してある [2]。
場の量子論の数学的計算をきちんとすれば、力が引力になるか斥力になるかは、交換される仮想量子のスピンによって決まることが分かる。スピンが1の光子は同符号の荷電粒子同士を反発させる。スピン2の仮想量子の交換に基づく重力は引力となる。引力に対する最も簡単な選択はスピンを0とすることである。これが湯川の選択であった。
スピンとは、素粒子または素粒子から構成される量子力学系のもつ基本的な量のひとつで、力を媒介する仮想量子となる素粒子は0、1、2などの整数値のスピンをもつ。デイビスは、湯川は中間子(湯川の論文中ではU量子)のスピンを0と仮定したことを述べているが、中間子論第1論文ではそのように仮定してはいなかった。第1論文ではポテンシャルの符合が間違っていて、原子核の中で中性子と陽子を結びつける引力の原理について提唱したはずの理論が、斥力について書いていたといわれる由縁である。
(つづく)
- P. C. W. Davies, The Forces of Naure, 2nd ed. (Cambridge University Press, Cambridge, 1986; 1st ed. published in 1979).
- ibid. p. 91 (和訳は筆者).
0 件のコメント:
コメントを投稿