2009年1月7日水曜日

学問の時代的要求

 一昨夜、2008年ノーベル賞受賞者、小林誠、益川敏英、南部陽一郎、下村脩の4氏を紹介するNHK総合テレビの番組を見た。私の中学生時代にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、当時、雲の上の存在という感があった。いまの子どもたちが、テレビを通じて受賞者たちの人間性に触れ、親しみを感じられるのは幸せである。

 湯川が、いまなお素粒子論研究の一つの方法になっている道を切り開き、大胆な理論を発表したのは、ほとんど独学の結果であり、その労苦は計り知れないものがある。それに比べれば、小林・益川両氏は、名大で坂田昌一に学び、湯川の影響を受けた京大の素粒子論グループで働き、南部氏もプリンストン高等研究所へ留学して、世界の俊秀たちと討論できたのは、恵まれていた。

 そして、益川氏がいっていた通り、研究上の関心がその時代の学問の要求に一致しているかどうかも、ノーベル賞受賞という成果には大きく影響する。一致しているかどうかといっても、必ずしも偶然性にばかり依存するものではなく、学問に対する目の鋭い人は、時代的要求を探り当てて、自らの関心をそれに向けるのである。湯川の半生の自伝 [1] からは、そのことが如実に感じ取れる。

  1. 湯川秀樹, 旅人—ある物理学者の回想 (角川, 1960).

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