先日、大阪市立科学館学芸員で湯川会顧問のSさんから、会員宛のメールで「湯川論文が米国物理学会誌(Phys. Rev.)への掲載を拒否された。その時の審査員がオッペンハイマーだった」ということをよく耳にするが、いま、湯川・南部に関する展示の原稿を書いているので、これの証拠が欲しい、どなたかご存知ないか、という質問が来た。これに対して、私は以下のようなことを返信で知らせた。
以前にもSさんは、オッペンハイマーによる拒絶についてメールに書いたことがあり、それを湯川会のメールによる討論などを掲載しているサイトに載せたところ、コメント欄に埼玉大の佐宗哲郎さんという方から「J. P. Schiffer が当時の Phys. Rev. の投稿論文に関して調査をし、湯川からの投稿はなかったと断言した」旨の書き込みがあった [1]。
ただし、これは中間子第一論文相当のものの投稿の話であり、湯川と共同研究者たちによる後の論文が Phys. Rev. に掲載拒否されたことはある。これについては、たとえば文献 [2] に次のように記されている。(ただし、査読者が誰かは分からない。この頃、オッペンハイマーは確かに宇宙線中に見つかったミューオンと湯川理論の関係を否定してはいるが [3]。)
It should be mentioned that a later attempt by Yukawa to publish a letter, dated 4 October 1937, in the Physical Review failed again. The letter was entitled 'On the Theory of the New Particle in Cosmic Ray' and signed by Yukawa, Sakata, and Taketani; the report from Physical Review, dated 2 December and signed by the assistant editor J. W. Buchta, declared that the theory was not acceptable (see Kawabe, 1991b, pp.186-190).
なお、上記の文で "failed again" といっているのは、「Phys. Rev. に再度」という意味ではなく、先にこれと同様の論文を Nature に拒否されたことが同じページに述べられており、それとの関係での again であろう。Kawabe, 1991b という論文は [4] であり、その表題にいう "two unpublished manuscripts of Yukawa"(Nature と Phys. Rev. への投稿原稿)は、活字化されたものを [5] でダウンロードできる。
- コメント/論文検索・原論文掲載書, 湯川 Wiki.
- J. Mehra and H. Rechenberg, "The Historical Development of Quantum Theory Vol. 6, Part 2," p. 836, fn. 956 (2001).
- J. R. Oppenheimer and R. Serber, Phys. Rev. (2), Vol. 51, p. 1113.
- R. Kawabe, Two unpublished manuscripts of Yukawa on the meson theory, in "Elementary Particle Theory in Japan, 1930-1960" (L. Brown, R. Kawabe, M. Konuma, and Z. Maki, eds., 1991), pp. 47-49.
- http://ptp.ipap.jp/journal/pdf/85-appendix.pdf.
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