2011年12月26日月曜日

2011年11月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on the Posts of November 2011)

[In Japanese only]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2011年11月分への感想を2011年12月24日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。




1. 母校を訪れる

 「昨日午後、京大理学部物理学教室を訪れた。私の旧職場の放射線施設を使う共同研究をしている大学院生の担当教授に、実験結果についてのコメントを求められてのことである」とあり、また、現在の物理学教室の建物に入ったのは初めてとのこと。「大放研・先端研50周年記念集会」という記事には「『大放研』は私の最初の職場(大阪府立放射線中央研究所)の、『先端研』はそれが大阪府立大学に統合され変身したあと(先端科学研究所)の、いずれも略称で、先端研も私の退職数年後から機構改革を受けて、名称が大阪府立大学地域連携研究機構・放射線研究センターに変ってしまった」と述べられています。財政の逼迫による基礎研究の存在意義が問われる中、放射線研究センターとして存続しているのは、筆者にこのように、大学院学生の実験についてコメントを求められるような立派な基礎研究が、「大放研」の研究者たちの情熱によってなされていた証だと思います。「構内をまっすぐに南北に貫く道に沿うイチョウ並木の木々は私の学生時代に比べて、ずいぶん背が高くなっており、その下を歩くのは、いかにも心地よかった」とも述べています。

2. 夢の中のように

 この記事には次の通りに記されています。

 ウォーキング中に花の写真を撮ることを始めたのは、数年前のことで、最初は主記事に関係なくブログのページを飾るのが目的だった。しかし、最近は花の写真だけを載せることが多くなってしまった。花熱が高じて、夢の中でも、珍しい花を見つけてその写真を撮ろうとしながら、うまく行かない自分を見たりする。
 先日、八田荘公園に、夢とまがうばかりの、この季節にしては珍しい、大きなピンクの花が咲いているのを見た…中略…。帰宅後、『花おりおり』の9〜12月のページを第1巻から順に見て行き、最後の第5巻でようやく似た花を見つけた。…中略…ダリアの「品種数は三万を超え、花卉では五指に入ろう」とある。

この文章の中に筆者が四季おりおりの花を愛で、自宅の庭で、あるいはウォーキング中に、花の写真を撮り、ブログで紹介する理由と、珍しい花の名を同定する楽しみが集約されているようです。筆者は各花に英文名と科名を記し、時々花にまつわる話題や思い出を付け加えて読み物にまとめ、ブログへの連載に相応しい形式にしています。『花おりおり』は、朝日新聞が、文・湯浅浩史氏、写真・矢野勇氏で2001年5月1日から朝刊1面に、1年間の休止があったものの、5年間にわたり連載された名作です。私も愛読しました。

3. 理論物理学者・歌人・石原純

 『科学ジャーナリズムの先駆者:評伝 石原純』 という本の批評を読んだ。[そこ]には、次のように書かれている。

 「石原純」という名前は、多くの人にまずなじみがないことだろう。とすると、「科学ジャーナリズムの先駆者」という表題だけでは、やや誤解を招くかもしれない。[…]何より、第一級の理論物理学者であるからだ。20世紀初め、物理学に革命をもたらした相対論や量子論について、日本で最初の論文を発表し議論をリードした。[…]歌人でもあり[…]これだけの科学者の名があまり知られていないとは、不思議ですらある。

筆者は、「私はその名前に大いになじみのあるいまや数少ないかもしれない人の一人である。1936年に出版された『日本少國民文庫』が戦後改版して出され、私はそれを小学校6年から中学1年の頃に愛読した。その第7巻『世界のなぞ』の著者が石原純だった。私は、その本で原子や分子について知り、湯川秀樹のノーベル賞受も影響して、物理学の道へ進むことになった」と述べ、石原の欧文論文を思い出してそれを見、「研究からは身を引き、科学を論じ、伝える側に回った」理由と考えられる恋愛事件については、歌人としての活動と合わせて『ウィキペディア』 にやや詳しく記されていることを紹介し、最後に、「書評は『その生涯と主張は、今日の科学と科学者のあり方にも、大きな示唆を与えてくれる』と結ばれている。読んでみたい一冊である」と述べています。同感です。私は朝日新聞のこの批評を見逃していました。

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