2012年3月17日土曜日

2012年2月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of February 2012)

[In Japanese only]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2012年2月分への感想を2012年3月16日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。




1.『安城家の舞踏会』に始まり『真実一路』に終わる6本の映画評

 2月3日から29日にかけて7回にわたり連載された古き時代の日本映画評を興味深く拝読しました。いろいろな想いがわいてきて、考えたり調べたりしました。黒田・元大阪府知事の「真実一路」の揮豪を拝見し感銘を受けました。『安城家の舞踏会』では、「場面の展開にはどこか外国の演劇を思わせるものがある」と筆者は感じて調べ、チェーホフの戯曲『桜の園』が下地になっていることを知り、『安城家の舞踏会』と『桜の園』の比較と項を改め、広い視点で対比し、それぞれの長短などを興味深く比較論評しています。

 私は、原作が吉村公三郎監督で、新藤兼人が『桜の園』をモチーフに脚本を書き、この映画でシナリオライターとしての地位を固めたことを知りました。新藤兼人は妻を亡くした後、愛人同士だった乙羽信子と入籍し、老いをテーマとして乙羽の遺作となった『午後の遺言状』を発表しました。この時にも登場俳優にチェーホフの『かもめ』の一場面を暗誦させています。新藤兼人のチエーホフの戯曲への深い思い入れを感じました。

2.『クロイツェル・ソナタ』

 筆者は『生きる』の下敷きとなっているレフ・トルストイの『イワン・イリイチの死』を読んだついでに、高校一年の初め頃に読んだ記憶のある『クロイツェル・ソナタ』も読んだと述べ、高校時代の印象と当時理解の至らなかった点について、この際調べたことなどを補足し総合的に解説し、ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタを大学時代に最初に聴いた様子も記しています。

この中からキーになる部分を引用しますと、次のようになります。

『岩波文庫解説総目録』 には、この短編小説について、次の通りに紹介してある。嫉妬にかられて妻を殺害した男の告白という凄惨な小説。殺人事件にまで発展した嫉妬心が、夫の心の中でどのように展開していったかをトルストイは克明・非情に描き出している。その間、恋愛・結婚・生殖など、すべて性問題に関する社会の堕落を痛烈に批判し、最後に絶対的童貞の理想を高唱する。…略…イギリスの作家G・K・チェスタートン[は、]トルストイのこの考えは「人間であることを嫌うもの」と批判した…略…。私も『クロイツェル・ソナタ』でトルストイが意図したメッセージは行き過ぎていて、同意出来ない…略…。そうした論が説得性を欠いている反面、終盤での劇的場面の告白からきわめて激しい印象を受けた…略…。「嫉妬にかられて妻を殺害」するというテーマはシェイクスピアの『オセロ』でも扱われているが、…略…、『クロイツェル・ソナタ』での嫉妬は、ヴァイオリンの上手な友人トルハチェフスキーと妻の親密さを見て、自らの心情に発したものであり、…略…。…略…ともあれ、『オセロ』と『クロイツェル・ソナタ』は嫉妬に基づく悲劇を描いた文学の双璧であろう。」

「そうした論が説得性を欠いている」と筆者が述べていることに私も同感です。

 大作『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』を書いた後、10数年をかけて『芸術とはなにか』についての著作を完成し、いわゆるトルストイズム(四海同胞の観念に徹し、原始キリスト教を生活の倫理的規準として勤労と禁欲を尊び、素朴な簡易生活をする)を提唱し人生の教師であったトルストイは、芸術に対しても自己の新たな人生観に立って解答を与えました。

 その後書かれたものには『復活』、『イワン・イリイチの死』、『クロイツェル・ソナタ』などがあります。『クロイツェル・ソナタ』で、筆者の解説のように女性(妻)の起こした罪を例にして、他方、男性の場合にてついては、貴族ネフリュードフが下女カチューシャに犯した罪の意識にめざめ、娼婦に身を落とし殺人に関わりシベリアへ徒刑される彼女とともに旅して、彼女の更正に人生を捧げる決意をする物語『復活』によって、彼の信条を克明に表現しています。『復活』を読んで、空論の書との印象が残りましたが、後日『芸術とはなにか』を読み、納得できました。大学2年生の時、鴨沂高校講堂で開催された巖本真理のヴァイオリン・リサイタルでクロイツェル・ソナタを初めて聴き、感激の余韻に浸りながら、夜の京都御苑を歩いたことが記憶に残っています。

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