2013年1月30日水曜日

新春の歌声喫茶 IN ウェスティ (New Year Utagoe Coffeehouse in Westy)


 昨日の午後 2 時から約 2 時間、堺市立西文化会館(ウェスティ)で開催された「新春の歌声喫茶 IN ウェスティ」に参加した。同じ会場での歌声喫茶は、2010 年の秋から始まって 4 回目になるが、私は 4 回とも参加している。二枚目の写真は、この催しのときにリクェストする歌を書いて提出する用紙(1 枚に 1 曲書くようになっている)を挟んで各席においてあった、ウェスティ職員手製のメモ用紙立てで、参加者は持ち帰ることが出来る。私は挟まれていたリクェスト用紙全部に書いて出した。司会と歌のリードの担当者・一ノ瀬さんは「5、6 枚出して下さった方もあります」と、私のことをいっていたが、実際には 7 枚あった。私のリクェストからは、「おぼろ月夜」、「早春賦」、「初恋」が採用になったが、同じ歌は他の人たちからもリクェストされていたようだ。

Yesterday afternoon, I joined New Year Utagoe Coffeehouse in Westy held at Nishi Culture Hall (Westy), Sakai. This singing event, which started in the fall of 2010, was the fourth, and I have participated in all of the four times. The lower photo above shows one of notepad holders, which were made by Westy officials and put on the desk with paper sheets for writing request songs (one song per sheet). These were given to the participants after the event. I used all the sheets on my notepad stand to write request songs. Ms. Ichinose, in charge of the moderator and song leader, said, "Someone submitted as much as five or six sheets," referring to me. Actually, I submitted seven sheets. Among my requests, Oboro-zukiyo (Night with a hazy moon), Sōshunfu (Early Spring) and Hatsukoi (First love) were adopted, but it seemed that these were also requested by other participants.

2013年1月28日月曜日

冬には冬の美 9 (Winter has Its Own Beauty -9-)


 けさ、昨夜の満月がまだ西の空に残っていた(1 枚目の写真、午前 6 時 24 分に撮影)。このときはまだ暗くて気づかなかったが、明るくなってから外を見ると、当地でも夜半にわずかながら積雪のあった形跡が見られた。2 枚目の写真はわが家の庭のタマリュウに、3 枚目は隣家の屋根に積もった雪。

The full moon of the last night was remaining in the western sky this morning (see the top photo, which was taken at 6:24 am). Looking out again after getting bright, I found some evidence of a slight snowfall last night. The middle photo shows snow on Mondo grasses in our garden; and the bottom, snow on the roof of a neighboring house.

2013年1月27日日曜日

セイロンベンケイのツボミ (Buds of Air Plant)


 写真は、わが家の植木鉢で育てているセイロンベンケイの一株についたツボミ。同じものを少し異なる位置で撮った。室内で鉢を移動して、光の当り具合も変えた。これらのツボミは、先月、針の先ほどの大きさから始まり、とてもゆっくり生長している。最も大きいツボミの長さが、まだ 1.5 cm ほどである。この鉢は二階において日光によく当てているが、一階にあるもっと大きな鉢には、二本の株が早くからツボミをつけて、より大きく生長している。ただし、陽当たりがあまりよくないので、まだ赤みをさすにいたらない。なお、先年、この植物の花弁の生長を 6 段階で記録した一連の写真を掲載した。

Photos above, taken at two different viewpoints, show buds of an air plant (Kalanchoe pinnata) growing in a pot in my house. Different lighting conditions were also used by moving the pot in the room. Starting from the earliest size like a tip of a needle last month, these buds are growing extremely slowly. The length of the largest bud is about 1.5 cm yet. We have another, bigger pot on the first floor, which contains two roots. Each of the two roots has produced many buds larger than those in the photos. However, they have gotten less sunlight than those and do not take pink color yet. In a past year, I posted the series of photos that recorded the petals of this plant in the six stages of growth.

2013年1月25日金曜日

冬には冬の美 8 (Winter has Its Own Beauty -8-)


 写真は、2013 年 1 月 16 日午前 10 時 40 分頃、堺市・鈴の宮公園の池に張っていた氷。この日以前にも氷が張るような寒い朝はあったが、冬期のウォーキングはおおむね午後に行なっているので、この冬氷を見たのは、これが初めてだった。

Photos above were taken around 10:40 am on January 16, 2013, and show ice plates on the pond in Suzunomiya Park, Sakai. We also had some icy mornings here before that day. However, I go for walking exercise mostly in the afternoon in winter, and it was the first time for me to see ice plates on the pond this winter.

2013年1月23日水曜日

冬には冬の美 7 (Winter has Its Own Beauty -7-)


 一枚目の写真は、広義の三日月。インターネットの月齢カレンダーで見ると、この日(2013 年 1 月 9 日)の月齢は 27 である。二枚目は、1 月 11 日に撮影した薄明光線(天使のはしご)。三枚目は、同じ日に撮影した、小枝で休憩するスズメたち。

The top photo shows the crescent. Looking at a moon age calendar on the Internet, I found that the moon age on the day of this shot (January 9, 2013) was 27. The middle photo, taken on January 11, shows crepuscular rays (angel's ladder). The bottom picture, taken on the same day, shows sparrows resting on twigs.

2013年1月21日月曜日

2012年12月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of December 2012)

[This post is in Japanese only.]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2012 年 12 月分への感想を 2013 年 1 月 19 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 理論物理学者の分類、とくに湯川と朝永について
 亀淵廸氏が『図書』誌 2012 年 12 月号に「グラムシの言葉と湯川・朝永・坂田」と題するエッセイを書いている。氏は「知ることから分かることへ、感じることへ、そしてその逆、感じることから分かることへ、知ることへ——の移りゆき」という A・グラムシの言葉にある「感じる」「分かる」「知る」を理論物理学における三つの段階に当てはめ、それらを I「実務家」、II「理論家」、III「自然哲学者」の段階と名づける。次いで、日本における素粒子論の開拓者、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一を I、II、III の型に分類することを試みている。ここでは、この分類について紹介するとともに、これを南部陽一郎氏が提唱した 2 種類の分類方法による湯川と朝永についての分類結果と比較する。
 上記のように、英文の本文の梗概を記しています。本文の後半は、亀淵と南部氏の互いに異なる観点に基づくクラス分けにおいての、湯川秀樹、朝永振一郎の評価結果についての議論であり、筆者は持ちまえの論理的な考察を加え、興味深いエッセイとしてまとめています。後半部の概訳を試みました。
 亀淵氏の分類は次のように考察によっている。——坂田は方法の人で、彼が成功した研究、すなわち二中間子論と素粒子の坂田モデルは、現象論的であるので、タイプ I とする。朝永は数学に精通し、くみこみ理論を見出しノーベル賞の受賞につながった超多時間理論を作り出したように、色々な物理的要請に基づき理論を組み立てる達人であり、タイプ II とする。湯川の非局所場または素領域から出発した包括的な素粒子論を創出しようとする研究は、知ることから分かることへ、そして感じることへの過程をたどっているが、完成しなかった。しかしながら、「そのような基本的理論が私の究極の目標であり、中間子論は私の研究過程の副産物であった」と、湯川は晩年に述懐している。また平和にまで広がる文化面の諸問題にも意見を表明しているので、タイプ III に分類した。——

 筆者は南部氏による次のような類似の分類を思い出す。
 「かつて私は理論物理学者を手法のスタイルによって三つのタイプに分類し、それらを Hisenberg (H)、Einstain (E)、Dirac (D) 型と名づけた。これは、彼らのもっとも特徴ある業績、すなわち、量子力学、重力理論、Dirac 方程式をもとにしたものである。Hisenberg 型は発見的、ボトムアップ、帰納的。Einstain 型は公理的、トップダウン、演繹的。Dirac 型は抽象的、革命的、審美的である。…中略…湯川は中間子論を提起したときは、H に属するといっても差し支えないであろう。非局所理論を手がけたときには、E になり損ねている。私は朝永には、少しためらいがあるが、E を割り当てる。大抵の理論家は H または E に属するが、湯川と朝永を比較するとき、設計者と名工に例えるのが適当であろう。」
そして筆者は、次のように結論づけています。
亀淵のタイプ II と III は、それぞれ南部の H と E に対応するように思われる。しかし、この対応が同一と考えると、亀淵と南部による湯川と朝永の分類に矛盾をきたす。この矛盾は亀淵と南部の観点の相違によるものである。すなわち、亀淵は物理学者の方法論に重点を置いている(ことに湯川の分類に対して)が、南部は成功した研究に重点を置いている。他方、亀淵のタイプ II と III は、南部の設計者と名工のカテゴリーにそれぞれ対応しているように思われる。この場合には、二人の物理学者に対する亀淵と南部の分類の間には矛盾はないと見ることが出来る。この一致は、南部のこちらの分類が亀淵と同様に物理学者の方法論に基づいているからである。

2. 冬に笑う
 昨日の衆院選で多数当選した自民党は笑っているだろうが、私は政治の冬の到来を思い、その党の、暗い戦争の時代に対して何の反省もない、歴史に大逆行する恐ろしい改憲草案をあざ笑わざるを得ない。

 日本語で読んでいる方へのお知らせ:最近の私の政治や平和に関するブログ記事は、おおむね『福泉・鳳地域「憲法9条の会」』の方で書いています。
と述べています。

 このブログ記事を見て、筆者が以前から掲載された数多くの記事が、項目別に系統的整理されて保存されていることを知りました。最近の記事、「歴史観、見直せば孤立」藤原帰一氏、朝日紙「時事小言」欄で (2012.12.27)、「日本国憲法を起草のベアテ・シロタ・ゴードンさん死去」毎日新聞など (2013.1.1)、「漱石が『それから』に映した日本」 (2012.12.30)、情報短信「日本国憲法が最先端」と米憲法学者ら分析 (2012.6.6) などが参考になりました。

 憲法改正派の説得材料になっている根底は、新憲法が占領軍によって作られたということです。このことに関して、当時の憲法改訂は次のように行われていました。GHQ(連合国最高司令官総司令部)から大日本帝国憲法を改め民主憲法の策定を指示され、1945 年 10 月から政府は草案の検討に入りました。この途中段階で明治憲法とあまり変わらない政府憲法草案が新聞にスクープされ、国民の知るところとなりました。これを知ったマッカーサーは、憲法草案に盛り込む必須3項目、いわゆるマッカーサーノートで、天皇の地位、戦争の廃止、封建制度の廃止、を要請し、極東委員会(1945.12.28 設立、GHQ の上位組織)が機能し憲法策定にいたる前に、民生局が憲法案の作成を完成するよう要請しました。

 その後、極東委員会が憲法の基本原則を決定し(1946.7)、GHQ を通じて、吉田内閣にその旨伝えました。吉田総理は芦田均を委員長とする帝国憲法改正委員会で、修正案の作成を指示しました。この案は国会の審議、修正を経て、1946 年 10 月に衆議院で可決されました。このようなことから、憲法9条はマッカーサーノートの第2項が枠組みとなっていますが、わが国の当時の現状と将来の世界を考えて真剣な検討がなされ、GHQ との交渉を繰り返し制定されたように思われます。この作成過程の詳細については、国会図書館の日本憲法のウェブサイトに資料があるそうです*。
* Ted の注:そのサイトは、「日本国憲法の誕生」です。戦争放棄については「論点 2 戦争放棄」のページ参照。
 この世界平和を理想に掲げた憲法9条が実施されて、すでに 60 数年の歳月が経ちました。その間わが国は世界でトップレベルの経済大国となり、繁栄を享受してきました。これには、良きにつけ悪しきにつけ、米国との友好関係が支えとなりました。芸術も古典から現代まで、日本文化になじむ人々が世界中に広がり、日本を好ましく思う人の輪が広がりつつあります。憲法9条の改正が現実味を帯てくる現在、地政学的にも大きく変化する世界情勢の中で、憲法9条の真意について世界の認識と理解を深める努力をし、わが国が国連などで誇りをもって、世界の紛争などの解決に活躍できる道筋を真剣に考える時期にさしかかっていると思います。筆者の『福泉・鳳地域「憲法9条の会」』でのご活躍を祈ります。

2013年1月19日土曜日

映画『レ・ミゼラブル』(Film Les Misérables)


[Abstract] The day before yesterday, I went to the nearby cinema complex with my wife to see the 2012 British musical drama film Les Misérables. Yesterday, a friend of mine on Facebook happened to mention the Japanese version of the online article "Korean viewers touched by story of Les Misérables"* of the newspaper The Hankyoreh, and asked "If you were impressed by Les Misérables, what was the factor that moved you?" The article of The Hankyoreh reports opinions of experts in history, literature and music about the reasons for Koreans' passion for Les Misérables. I was also impressed by all of the three aspects reported by the article, but the deepest impression came from the historical aspect. [* Note: Passages of the English article with this title (dated January 5, 2013) are different from those of the Japanese version (dated January 11, 2013) and does not report about opinions of experts.] (The main text of this post is given in Japanese only.)

 一昨日、妻と近くのシネマ・コンプレックスへ、2012 年のイギリスのミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を見に行った。たまたま昨日、フェイスブックの友人が韓国の The Hankyoreh 紙の日本語版オンライ記事「レ・ミゼラブル熱病に罹った韓国社会…:興行成功の秘訣は 'ヒューマニズム'」を紹介して、「ご覧になって感動を覚えられた方、どこに共感されましたか?」との質問を記していた。

 The Hankyoreh 紙の記事は、韓国人が『レ・ミゼラブル』に熱狂する理由について、歴史・文学・音楽の各専門家の意見を聞いている。歴史の側面では、チェ・カプス教授(ソウル大西洋史学科)が、「大革命以後にも依然として貧困と不平等が広がった 19 世紀フランス社会と、民主化以後にも貧富格差と経済的不平等が解消されなかった現在の韓国社会の類似点」を指摘している。文学の面では、イ・ヒョンシク名誉教授(ソウル大)が、「多様な人間群像と 19 世紀のパリの様子を忠実に描いた豊かな原作の力こそ、一部の階層に限定されず 440 万人を越える観客の心を泣かせた理由」と指摘し、また、原作に流れている深く広いヒューマニズムに触れている。音楽的には、ミュージカル 『レ・ミゼラブル』韓国語版公演音楽を総括するキム・ムンジョン音楽監督が、「ミュージカルと映画は主要テーマになる歌を伴奏とコーラスを通じて繰り返し観客の脳裏に植え付け、後に主要人物の歌を通じてさく烈させる方式で音楽を賢く展開している」ことを、成功の要因として挙げている。

 私も The Hankyoreh 紙が紹介している三つの因子のいずれによっても、見てよかったという印象を受けたが、最も関心を持ったのは歴史であった。『レ・ミゼラブル』といえば、子ども向けに書き直されたものを幼い頃に読み、冒頭のエピソードが記憶にあっただけである。そして、フランス革命の後になお貧困と不平等が広がっていたことや、それをヴィクトル・ユーゴーが『レ・ミゼラブル』の中で取り上げていたことを、不勉強にして知らなかったので、目を開かされた思いをしたのである。そこで、フェイスブックの友人の問いには、次のように答えた。
 私は昨日、『レ・ミゼラブル』を見たところです。チェ教授は1848年の「6月蜂起」(英語では June Days Uprising)に触れていますが、『レ・ミゼラブル』で描写されているのは、これに似た1832年の June Rebellion です。どちらも、1830年の、いわゆるフランス革命後に、民衆の不満がつのる状況がくり返されていたことを示すものですが…。June Rebellion も政府によって弾圧されてしまいますが、最終の場面で、いずれは民衆が勝利するという希望を抱かせるような歌と映像が続いたことに私は共感しました。
 日本の多くの人の関心も、[イ・ヒョンシク名誉教授が指摘し、記事の題名にも取り上げられているように、]許しや愛といったヒューマニズムに向うかと思います。私のように革命[に関わる歴史]に注目するのは、少数派ではないでしょうか。(角カッコ内はここに引用するにあたっての追加)

2013年1月17日木曜日

冬には冬の美 6 (Winter has Its Own Beauty -6-)


 1 枚目の写真は、鈴の宮団地内の小径。以前にもこの場所の写真を掲載したが、ウォーキング経路中の、何度でも写真を撮ってみたい場所の一つである。2 枚目は、笠池公園で元気にサッカー遊びをする子どもたち。3 枚目は、書斎の窓から撮った夕焼け。美しい夕焼けにも関わらず、翌日の天気はよくなかった。いずれも 2012 年 12 月 29 日の撮影。

The top photo shows a footpath in Suzunomiya housing complex. I posted a picture of this place before. This is one of such spots on my way of walking exercise that repeatedly allures me to shot. The second picture shows children playing football in Kasaike Park without minding cold air. The third piece shows sunset viewed from the window of my study. Despite the beautiful sunset, it was not sunny the next day. All the photos were taken on December 29, 2012.

2013年1月15日火曜日

冬には冬の美 5 (Winter has Its Own Beauty -5-)


 ウォーキングの目的地としてよく行く堺市・八田荘公園には、二つの小高い丘があり、新緑や紅葉の季節には格別美しくなる木々が植えられているが、全て落葉樹で、冬には上の写真の姿となる。しかし、枝ばかりの風景も悪くない。下の写真は、このような木の一つの枝に留まっていた二羽のハト。2013 年 1 月 5 日撮影。

In Handasho (or Hattaso) Park, Sakai, where I often go as a destination for walking exercise, there are two small hills covered with trees. Those trees become exceptionally beautiful in the seasons of fresh green and autumn leaves, but all of them are deciduous trees. Thus, all leaves of those trees are fallen in winter, and the hills show the landscape as given in the photo above. However, the scenery of branches only is not necessarily disagreeable. The photo below shows two pigeons sitting on a branch of one of the trees on the hills. Taken on January 5, 2013.

2013年1月13日日曜日

冬には冬の美 4 (Winter has Its Own Beauty -4-)


 1 枚目の写真は鈴の宮公園の松。2 枚目は鈴の宮公園へ行く途中の竹林。3 枚目としてはウメを載せて、慶事・吉祥のシンボルである松・竹・梅の 3 点セットにしたいところだが、ウメの花はまだ咲かない。そこで、ウンシュウミカンを代用する。

 ちなみに、「松竹梅」の起源は、宋代から始まった中国の文人画で好まれる画題のひとつ「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」(具体的には松・竹・梅)で、これは「清廉潔白・節操」という、文人の理想を表現したものと認識されていた。それが、「目出度い」ことの象徴と、認識を変えて日本に伝わったものである(文献 1)。

文 献
  1. 「歳寒三友」, ウィキペディア:フリー百科事典 [2012年8月30日 (木) 13:24].

The first photo shows a pine tree in Suzunomiya Park. The second piece shows a bamboo forest on my way to that park. As the third, it would be a good choice to use a photo of plum blossoms to realize the set of three plants known as Sho Chiku Bai ('the three auspicious friends'; literally 'pine, bamboo, plum') in Japan. However, plum blossoms are not blooming yet. Thus, I have used a tree of satsuma with its fruits as a substitute.

By the way, the origins of the three auspicious friends is the 'Three Friends of Winter,' also known as Suihan Sanyou, which were common in works of Chinese art. Together they symbolized perseverance, integrity and modesty. The symbolism of the three plants was introduced to Japan with the different meaning of celebration, and they are particularly associated with the start of the New Year (Ref. 1).

Reference

  1. "Three Friends of Winter," Wikipedia: The Free Encyclopedia (December 3, 2012 at 15:02).

2013年1月11日金曜日

冬には冬の美 3 (Winter has Its Own Beauty -3-)


 写真は、昨年の大晦日、午後1時半近くに、雲間から射し出る太陽光線を、書斎の窓から撮ったもの。この光線は、「薄明光線」、「天使のはしご」、「レンブラント光」などと呼ばれる。当地では、12 月から 1 月にかけて、厚い雲が多くなるせいか、よく見られる。先年、ウォーキング途中で撮った写真(こちらこちら、そしてこちら)の方が美しく撮れていたようだ。何かと暗い今の世の中にも、明るい光線が射し込んで欲しい。

Photos above, taken from the window of my study around 1:30 pm on December 31, 2012, show sun's rays shining out from behind the clouds. These rays are called "crepuscular rays," "angel's stairs" or "Rembrandt ray." In the area where I live, these rays are often seen from December to January, possibly because there are many thick clouds in the sky of this season. The photos of crepuscular rays I took on my way of walking exercise past years seem to be more beautiful (see here, here, and here). Nowadays we hear a lot of gloomy news stories. Therefore, I want to see such rays that brighten the society.

2013年1月9日水曜日

冬には冬の美 2 (Winter has Its Own Beauty -2-)



 写真はいずれも 2012 年 12 月 29 日、ウォーキング途中で撮影。1 枚目は、堺市・鈴の宮公園の冬景色。2 枚目は、よく剪定された気の枝振りが面白い。3 枚目は、青空に映えるクロガネモチの実。

Photos above were taken on December 29, 2012, in the course of my walking exercise. The top one shows winter landscape of Suzunomiya Park, Sakai; the middle one, fancy appearance of a well pruned tree; and the bottom one, fruits of round leaf holly shining in the blue sky.

2013年1月7日月曜日

冬には冬の美 1 (Winter has Its Own Beauty -1-)


 この時季にウォーキングの道すがら見つける花といえば、サザンカぐらいのもので、ブログに掲載できるような写真を撮る機会に恵まれない。しかし、冬には冬なりの美もあろうかと、相変わらずカメラ持参でウォーキングに出かけている。そのような気持で撮った写真を、少し古いものから順次紹介することにする。

 上に掲載の写真は、ウォーキング中でなく、書斎の窓から、年暮れの日暮れどきの空を撮影したもの(2012 年 12 月 28 日)。一枚目では、空自体の夕焼け色は白く抜けてしまったが、書斎の戸袋に夕焼けが映っている。


In this season of the year, flowers I find along the way of walking exercise are only those of sasanqua and rarely have the opportunity to take such photos as can be posted at the blog site. However, thinking that, in winter, there may also be some beauty of its own, I go out for a walk with a camera like other seasons. I have decided to post some photos taken with a thought like this, in the order of the date.

Pictures above were taken, not in the course of walking, but from the window of my study room and show the twilight sky of a day near the end of the last year (December 28, 2012). In the top photo, the colors of the sunset in the sky turned white due to overexposure, but they are reflected on the shutter box of the room.

2013年1月5日土曜日

孫娘の絵:自分の近未来像 (Granddaughter's Drawing: Herself in the Near Future)


 上の絵は、さる 2 日に娘たち一家が揃ってわが家を訪れていたとき、次女の娘(幼稚園児)が描いたもの。右横に平仮名で、自分の名に「ちゃん」をつけて書いてあるので、自分の近未来の理想像を描いたものと思われる。顔の左右に大きく下がっているものは、長く伸ばした茶色の髪のつもりである(原画では茶色の色鉛筆で塗ってあるが、スキャンとコントラストを強める修正の結果、ご覧の色に変わった)。

 私たちの世代が幼時に描いた女の子の絵は、おかっぱ頭に富士山型のスカートで、スカートの両端から太い脚が垂直に出ているものと相場が決まっていた。他方、いまどきの幼時の絵は、大きな目や口、細長い脚など、時代の美意識の影響を大きく受けているようだ。

 ちなみに、私がごく幼い頃に描いた女の子の絵でも、スカートの両端から脚が出ていたが、母からすぐに、「脚はスカートの中程から揃って出ているように描くと、本当の女の子らしく見えるよ」と教えられ、以後はそのように描いていた。


On Wednesday, families of my daughters came to our house. Then, my second daughter's daughter (a kindergartener) drew the picture above. To the right of the drawing, she wrote her own name by adding "chan" (the diminutive suffix to call a little girl) in hiragana. Therefore, I think that the picture shows a vision of herself in the near future. The large things hanging on both sides of the girl's face express brown hair stretched long (in the original picture, those were colored with a brown pencil; but scanning and enhancement of contrast have changed the color as seen here).

The picture of a girl people of our generation drew at an early age typically had bobbed hair and a skirt of the shape like Mt. Fuji, from side ends of which thick legs came vertically downwards. On the other hand, pictures drawn by small children of these days seem to be much affected by the aesthetic sense of the present time, showing large eyes, wide mouth and thin and long legs.

By the way, I also drew, in my childhood, pictures of girls with legs coming out from the side ends of the skirt. However, my mother soon said to me, "If you draw legs so as to come out together from the middle of the skirt, it will look like a real girl." After that, I drew girls in the way she told me.

2013年1月2日水曜日

元旦の空 (The Sky in the Morning of New Year's Day)


 元旦は晴天で、放射状の珍しい雲が見られた。1 枚目の写真は、午前 8 時過ぎにわが家から見た南の空。2 枚目の写真は、同じく北の空。日中、曇った時間帯もあったが、おおむね晴れの一日だった。

 午後、妻と長女のお供をして、蜂田神社(3 枚目の写真)と日部神社(4 枚目の写真)を訪れた。歩数 8600 余り。鳥居が写っていない写真では、神社は寺と区別がつきにくいと、あとで気づく。本殿の前面に(蜂田神社の写真では柱状の門にも)しめなわが飾りつけてあることで、かろうじて神社と分かる。

The sky was clear in the morning of New Year's Day. Clouds of a rare pattern like radial rays were seen. The top photo shows the southern sky seen from my house a little after 8:00 am; the second one, the northern sky. During the daytime, it was cloudy sometimes but sunny in general.

In the afternoon, I accompanied my wife and daughter to visit Hachita Shrine (the third photo) and Kusabe Shrine (the bottom photo). When we came back home, my pedometer showed a number more than 8600. I have noticed that we can hardly distinguish shrines from temples in these photos that do not include a torii (Shinto shrine archway). Only a Shinto straw festoon decorated in front of the main building (also between gate poles, in the photo of Hachita Shrine) shows that those are shrines.

2013年1月1日火曜日

巳年の新年 (New Year of Snake)


モンテ・ボルカから出た始新世のヘビ "Archaeophis proavus Massalongo" の化石、自然史博物館(ベルリン)所蔵。写真の版権については英文説明の後半を参照されたい。
Fossil of Archaeophis proavus Massalongo, Monte Bolca (a snake of the Eocene). Museum für Naturkunde (Berlin). © Raimond Spekking [CC-BY-SA-3.0 or GFDL], via Wikimedia Commons.


 皆さん、新年おめでとうございます。

 巳年に因むよい写真がないかと思って、『ウィキペディア』英語版の "Snake" のページを見ていたところ、上掲の写真が見つかった。古生物の形をよくとどめたきれいな化石であるばかりでなく、曲がりくねった身体の中央部分が漢字の「巳」に似ているところも面白い。

Happy New Year to everyone!

To find a good picture to celebrate the year of snake (according to Chinese zodiac), I looked at the page of "Snake" in the English version of Wikipedia and found the photo above. The fossil not only has beautifully kept the shape of the ancient creature but is also attractive in that its coiled central portion is similar to the Chinese character "巳" to represent the snake.