わが家の植木鉢に咲いたユリの花。2013 年 7 月 17 日撮影。
(記事とは無関係)
A lily flower blooming on a pot in our yard. Taken July 17, 2013.
(Not related to the text of the post.)
[Abstract] Five short essays on my thoughts against proposals to change Japanese Constitution, originally posted at the blog site of Article 9 Association of Fukuizumi–Ōtori Area from June 21 to July 17, 2013, are collected here. (Main text is given in Japanese only.)
私が別シリーズで書いているブログ「福泉・鳳地域『憲法9条の会』」は、同会の活動、大元の「九条の会」のメルマガの紹介、憲法9条や平和関連の集会・催しの案内、新聞・雑誌記事の紹介などが中心で、私自身の思いを述べた文は少ない。しかし、このブログ "Ted's Coffeehouse 2" とは読者層がかなり異なる可能性もあるので、最近前者のブログに載せた私自身の思いに関する短文をここに集めておく。(前者のブログでは対話体を使っているが、本ブログへの転載に当たっては、ここでの例に習って非対話体に変える。)
「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」(2013 年 6 月 21 日)
私事ながら、1951年、私が高校1年生だったときの親友(中学が同じで、高校が別になった M 君、いまは故人)との交換日記を別のブログに連載している。先日掲載した 1951 年 10 月 11 日付けの私の日記の冒頭に、「『ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重』、何という理知的な解釈、何と整然とした解答だろう」とあった。何についての誰の言葉かを書いてない。
しかし、少し前の日記に社会科の宿題として「明治憲法と日本国憲法の比較」という問題が出たことが書いてあったことから、その宿題の優れた解答(あるいはその要点)として先生が紹介したものだと思い出した。その解答を提出したのは、学年のマドンナ的存在で、私が日記中でヴィッキーというニックネームを与えていた女生徒だった(試験でいつも最高点をとることから、勝利の女神ヴィクトリーに因んで、また、美人でもあることから、美の女神ヴィーナスにも因んでつけたニックネームである)。
何年か前の高校同期会の折に、私が近況報告として、「湯川秀樹を研究する市民の会」や、地域の「9条の会」に関わっていることを話した。「9条の会」といったとき、私の経歴から想像出来なかったという意味で、驚きの声を発した一人または複数の男性がいた。それに対して、すかさず、「湯川博士も憲法9条を大切と思ったでしょう」と助太刀してくれたのも、ヴィッキーだった。確かに、湯川秀樹は 1965 年に「日本国憲法と世界平和」というエッセイを書いて、憲法前文の平和に関わる文と第9条を讃えている。
いま、自民党の改憲草案を読むと、それが明治憲法を彷彿させるものであることに気づく。自民党改憲草案と日本国憲法の相違、それもまさに、「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」ではないだろうか。ヒューマニズムの否定につながる憲法改悪は、断じて阻止しなければならない。
上記の同期会のときには、ヴィッキーの「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」を全く覚えていなかったが、次に彼女に会う機会があれば、その言葉を当時も感心し、いまも大いに感心していることをぜひ伝えたいと思っている。
『草枕』に見る漱石の反戦思想(2013 年 6 月 23 日)
高校 1 年生のときに読んだ夏目漱石の『草枕』を、ふと再読したくなり、読んでみた。先に読んだときに興味を持ったのは、誰もがこの作品の主題と認めると思われる、主人公の画家が主張する「非人情」について、それが、本当に芸術を創造するために不可欠な姿勢だろうか、ということだった。今回もその問題に関心がありはしたが、「改憲論」がやかましいいま、もう一つ、大いに興味を引かれたところがあった。
それは、主人公やヒロインの「那美さん」らが、日露戦争のために応召する彼女の親戚の「久一(きゅういち)さん」を駅まで見送る最終章である。送る人たちの一人である「老人」は次のようにいっている。
「めでたく凱旋(がいせん)をして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢(あ)える。」この言葉は、与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」に通じるものである。
また、次のような記述もある。
車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝(えんしょう)の臭(にお)いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑(す)べって、むやみに転(ころ)ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺(なが)めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果(いんが)はここで切れる。「赤いもの」とは血を指していて、ここには、若い人を戦場へ送る悲しみや、戦場のむなしくも殺伐な様子が描かれている。
さらに、末尾近くには、
那美さんは茫然(ぼうぜん)として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐(あわ)れ」が一面に浮いている。とある。主人公を那美さんに対して、「それだ! それだ! それが出れば画(え)になりますよ」と叫ばせた「憐れ」の表情は、先に彼女が久一さんにいった「死んで御出(おい)で」という言葉とは裏腹な、彼女の真情を吐露したものであろう。
これらの記述に、軍国主義の盛んだった時代にもかかわらず、漱石が抱いていた反戦の精神がはっきり現れていると思う。彼がいま生きていたならば、「九条の会」の心強い味方だったに違いない。
(『草枕』からの引用は「青空文庫」版によった。)
「朝令暮改」の戒め:憲法 96 条改悪案に思う(2013 年 6 月 26 日)
「朝令暮改」という言葉がある。『広辞苑』には、「朝に政令を下して夕方それを改めかえること。命令や方針がたえず改められてあてにならないこと。朝改暮変」と説明してある。この言葉の源はいくつかあるようだが、一つは、『漢書』24 巻「食貨志」第 4 上に記述されているものだということだ。
それは、前漢時代に晁錯(ちょうそ)が文帝に出した奏上文中の、「勤苦如此 尚復被水旱之災 急政暴賦 賦斂不時 朝令而暮改」という箇所である。これは、「(農民たちは春夏秋冬、一年中休みなく働かなければならないほか、弔問や病気の見舞いでの行き来などもあり)このように苦しいものであるうえに、水害や干害にも見舞われ、必要以上の租税を臨時に取り立てられ、朝出された法令が、夜には改められているといった有様です」と伝えている文である。
上奏文はさらに続いていて、役人や商人が思いのままに搾取するのを制限し、農民が零落するのを防ぐべきだとの意見が述べられているということだ。晁錯は、政策が変更し続け、一定せずにあてにならないような事態を戒めたのである(文献1、2)。
命令や方針でさえしばしば改められるのは悪政であるとの戒めが古来あるにもかかわらず、国家存立の基本的条件を定めた根本法である憲法を、96 条を変えて、ときの政治勢力の都合によって容易に変更出来るようにするなどとは、もってのほかではないだろうか。
文 献
トルストイの作品に見る憲法9条の精神(2013 年 6 月 27 日)
若い頃に好きだったロシアの小説家、レフ・トルストイの作品を最近また読んでいる。目下読んでいるのは、『五月のセワストーポリ』。1853 年からロシアがオスマン帝国、そして、これと同盟を結んで参戦してきたイギリスとフランスを迎え撃って戦ったクリミア戦争の舞台となったセワストーポリの状況を描き、戦争の無意味さを訴えた 3 部作中の第 2 作で、1855 年、トルストイが 27 歳のときの作品である。
冒頭近くに次の言葉があった
外交によって解決されぬ問題が、火薬と血で解決される可能性はさらに少ない。これはまさに、憲法9条の精神である。先哲の教えを重んじることなく、集団的自衛権の行使を認め、憲法9条を変えて、軍事対抗主義に走ろうとする政治家たちがいることは、実に情けない状況といわなければならない。
「日本国憲法第9条について論ぜよ」にアクセス急増(2013 年 7 月 17 日)
本ブログ[福泉・鳳地域「憲法9条の会」]と同じプロバイダーのところに、筆者は個人的なエッセイを書く "Ted's Coffeehouse 2" というサイトを持っている。その中の 2004 年 11 月 22 日付け記事「日本国憲法第9条について論ぜよ」へのアクセスがこのところ急増している。
急増といっても、それほど厖大な数字ではなく、この 30 日間で 118 のアクセスがあり、プロバイダーが 2008 年 5 月に統計を提供し始めてから 30 日前までの 59 を加えて 177 となり、"Ted's Coffeehouse 2" の記事への全期間アクセス数第 6 位に顔を出したというだけのことである。それにしても、「改憲」論がやかましいいま、この記事が少しでも役立てば嬉しい。
まだご覧でない方は、上記のリンクをクリックして一読していただければ幸いである。
一昨日コメントを送れませんでした。
返信削除まるで読めない二つの単語を、別の文字に変える方法が、この前はできたのに、できなかったのです。
今日は気がもめますね。
憲法九条が、風前の灯火になるのではないかと---
19日に掲載した、私の二つの記事を読んでいただきたいのです。私が、ゴーストライターを務めた「96歳の遺言」です。
さて今日はコメント送れるでしょうか?
hisako-baaba さん、コメントありがとうございます。実は昨日、「96歳の遺言」をちらっと拝見して、よい記事を掲載していらっしゃると思いましたが、ゆっくり読み通す時間がなく、コメントも書かないで閉じたのでした。ゴーストライターを務められたとお知らせいただき、改めて読みに上がります。
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