2014年8月9日土曜日

追悼:岡部茂博士 [Obituary: Shigeru Okabe (1923–2013)]

[English version of this post is given at http://bit.ly/1oksz9I.]


1961年の岡部博士。
Shigeru Okabe in 1961.

 私の最初の職場の上司として、長年親切で適切なご指導をいただいた岡部茂博士が、昨年他界され、さる 6 月 25 日に、当時の仲間たちとともに「岡部先生を偲ぶ会」を旧・大阪府立放射線中央研究所(現・大阪府立大学・地域連携研究機構・放射線研究センター)の講堂で開催しました。ご遺族の岡部夫人と 2 人の令嬢も加えて約 20 名が集まり、記念すべき催しとなりました。当日、私が担当して述べた岡部博士の経歴紹介に若干の補足をして以下に掲載し、重ねて哀悼の意を表します(経歴紹介文の作成に当たっては、K・K 氏が作成した「偲ぶ会」案内状も参考にしました)。

 なお、上掲の写真は 1961 年 5 月 5 日に開催された荒勝・木村研究室同窓会の集合写真から作成しました。また、本記事英語版中の写真は、同年 4 月 7 日の昼休みに、岡部博士以下、私を含む数名が職場を抜け出して、近くへ花見に行った折の写真から作成したものです。



 岡部茂さんは、1923 年に鹿児島市でお生まれになり、旧制第七高等学校を経て、京都大学理学部に入学されました。物理学科において、太平洋戦争中と終戦直後の何かと不自由な中、荒勝文策教授のもとで原子核実験物理学を専攻し、1946 年に京都大学を卒業されました。そして、1949 年には、鳥取大学助教授になられました。鳥取大学では、世界有数のラドン含有量を誇る三朝温泉が近いという地の利を生かして、自然放射能の研究を手がけられました。中でも、岡部さんの大気中のラドン濃度の変化による地震予知の研究(文献 1)は、世界に先駆けた研究として、国際的に知られています。

 岡部さんは 1949 年に、創立早々の大阪府立放射線中央研究所に第 1 部放射線源課長として着任し、電子ライナックの設置・維持・管理の傍ら、同装置を利用して、電子線諸元の監視方法、電子の物質透過、光核反応、水和電子の性質などなどの幅広い研究を指導・推進されました。この間、6 年度にわたり連続して科学技術庁所管の「原子力平和利用研究費補助金」を獲得されたことは、岡部さんが研究を立案・推進する高い能力の持ち主だったことを証明するものです。研究や一般業務の推進に当たっては、放射線源課の各メンバーを適材適所に割り当てるとともに、各メンバーの学位取得や所外への栄転などにも配慮するなど、部下に対する面倒見のよさも示されました。

 岡部さんは 1973 年に、放射線中央研究所第 1 部長に昇任されました。その後間もなく、研究所の組織が課制から研究グループ制に移行し、施設や装置の運転・維持・管理には別途、作業班を設けるという大きな変革があり、また、大阪府議会から大阪府に役立つ研究を求められるという状況もある中で、優れた研究管理能力を発揮されました。他方、研究面では、応用物理学会誌や原子力学会誌に総説・解説論文を多く寄稿され、応用物理学会放射線分科会の大御所として、会の発展に尽力もされました。

 部長職定年後の 1981 年、岡部さんは福井大学工学部に教授として赴任されました。福井大学では教育の傍ら、自然放射能の研究に戻られ、ここでも地の利を生かした雪の中のラドンの研究などをされるとともに、学外のラドン研究委員会やエキソ電子研究委員会などでも活躍されました。

 岡部さんは 1989 年に、福井大学を定年退官されました。同時に、ご自宅にラドン科学研究所を設置して、精力的に研究を継続されました。1993 年には、学生時代から趣味として描いて来られたスケッチを集めて、「折々のスケッチ画集」と題する立派な画集を出版されました。岡部さんはグルメ趣味を持っておられたことでも、よく知られています。以上のように、数々の素晴らしい業績を残して、岡部さんは 2013 年 6 月 30 日に、89 歳で永眠されました。

 (2014 年 8 月 16 日、一部追加修正)

文 献
  1. S. Okabe, Time variation of the atmospheric radon-content near the ground surface with relation to some geophysical phenomena. Memoirs of the College of Science, University of Kyoto, Series A, Vol. XXVIII, No. 2, Article 1, pp. 99–115 (1956).[Google Scholar によれば、2914 年 8 月 9 日現在、この論文は 39 編の論文に引用されたということです。]

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