上、三重県立美術館。下、『中澤弘光展』の看板。
Upper: Mie Prefectural Art Museum. Lower: Sign of NAKAZAWA Hiromitsu Exhibition.
2014 年 8 月30 日
M 君
「ウォッチャンのこと」へのご返信、ありがとうございました。それを拝読して、またまた、書きたいことが増えましたが、まずは、ご要望に応えて、中澤弘光展のことを書きます。
私がこの展覧会を知ったのは、妻がよく見ているテレビ東京系列の放送番組『なんでも鑑定団』の、さる 3 月 11 日分を私もしばらく見ていてのことでした。その日の放送は、過去の放送から選りすぐったものの再放送で、中澤弘光の『潮風』の鑑定依頼も取り上げられており、その末尾にこの展覧会の案内を挿入してあったのです。その放送記録を見ると、鑑定額は 400 万円です。貴君が購入された瀬田の唐橋方面の油絵も、さぞ高価だったことでしょう。
中澤弘光展を開催中の三重県立美術館のある津市へは、これまで、大連嶺前小学校での恩師 M 先生が亡くなられたあと、その夫人を尋ねて一回行ったことがあるだけでした。私がまだ 50 代の頃のことで、近鉄の津駅からどのようにして先生宅へ向かったのかを、もう全く思い出せません。美術館は、駅から街路樹や道路脇に広がる津偕楽公園(奇しくも貴君は 28 日付けメールに、この公園の名がそれに似せられたと思われる水戸の偕楽園について書かれましたね)の豊かな緑を眺めながらの徒歩、約十分で行けるところにあります。
中澤弘光展の副題には「知られざる画家の軌跡」とあり、最近まで中澤の名を知らなかった私などは「知られざる画家」だったのかと思いがちですが、チラシの説明をよく読むと、保存されていたアトリエを今回調査して発見された貴重な資料をもとに、彼のいままで知られていなかった一面をも明らかする展示を行なっている、ということだと分ります。誤解されないように、「画家の知られざる軌跡」と書くべきだと思います。それはともかく、見応えのある展覧会でした。常設展にも内外の著名な画家たちの絵が含まれており、レストランが上質のフランス料理を提供しているのもよく、また訪れたい美術館だと思いました。
中澤の絵そのものの印象については、画家の奥様をお持ちの貴君に私が下手な感想を書くのは気がひけますので、ほんの二、三言だけにしておきます。中澤がいろいろな画風を比較的長期にわたって模索したことを示す絵も沢山ありました。それで、他の内外の著名な画家の絵の多くが、これは誰々の絵だと分りやすいのに比べ、特徴が掴み難い感じがしました(最終的には、初期の、黒田清輝の影響の大きいスタイルに戻った、というか、それを発展させたものに落ち着いたのでしょうか)。それだけに、いろいろな試みの絵に接することが出来るとともに、小ぶりの水彩画多数、そして、デザイナーとしての一面を示す展示(与謝野鉄幹・晶子の著書他、多くの本の装丁と挿絵や雑誌の表紙絵など)も見ることが出来、興味の尽きない展覧会でした。亡くなる 90 歳の年にも、大きな油彩画を描いているのが印象的でした。こちらに同展の案内、また、こちらに 9 月 12 日からの、そごう美術館(そごう横浜店内)での開催案内があります。
ではまた、多分すぐに。
T・T
M 君
「ウォッチャンのこと」へのご返信、ありがとうございました。それを拝読して、またまた、書きたいことが増えましたが、まずは、ご要望に応えて、中澤弘光展のことを書きます。
私がこの展覧会を知ったのは、妻がよく見ているテレビ東京系列の放送番組『なんでも鑑定団』の、さる 3 月 11 日分を私もしばらく見ていてのことでした。その日の放送は、過去の放送から選りすぐったものの再放送で、中澤弘光の『潮風』の鑑定依頼も取り上げられており、その末尾にこの展覧会の案内を挿入してあったのです。その放送記録を見ると、鑑定額は 400 万円です。貴君が購入された瀬田の唐橋方面の油絵も、さぞ高価だったことでしょう。
中澤弘光展を開催中の三重県立美術館のある津市へは、これまで、大連嶺前小学校での恩師 M 先生が亡くなられたあと、その夫人を尋ねて一回行ったことがあるだけでした。私がまだ 50 代の頃のことで、近鉄の津駅からどのようにして先生宅へ向かったのかを、もう全く思い出せません。美術館は、駅から街路樹や道路脇に広がる津偕楽公園(奇しくも貴君は 28 日付けメールに、この公園の名がそれに似せられたと思われる水戸の偕楽園について書かれましたね)の豊かな緑を眺めながらの徒歩、約十分で行けるところにあります。
中澤弘光展の副題には「知られざる画家の軌跡」とあり、最近まで中澤の名を知らなかった私などは「知られざる画家」だったのかと思いがちですが、チラシの説明をよく読むと、保存されていたアトリエを今回調査して発見された貴重な資料をもとに、彼のいままで知られていなかった一面をも明らかする展示を行なっている、ということだと分ります。誤解されないように、「画家の知られざる軌跡」と書くべきだと思います。それはともかく、見応えのある展覧会でした。常設展にも内外の著名な画家たちの絵が含まれており、レストランが上質のフランス料理を提供しているのもよく、また訪れたい美術館だと思いました。
中澤の絵そのものの印象については、画家の奥様をお持ちの貴君に私が下手な感想を書くのは気がひけますので、ほんの二、三言だけにしておきます。中澤がいろいろな画風を比較的長期にわたって模索したことを示す絵も沢山ありました。それで、他の内外の著名な画家の絵の多くが、これは誰々の絵だと分りやすいのに比べ、特徴が掴み難い感じがしました(最終的には、初期の、黒田清輝の影響の大きいスタイルに戻った、というか、それを発展させたものに落ち着いたのでしょうか)。それだけに、いろいろな試みの絵に接することが出来るとともに、小ぶりの水彩画多数、そして、デザイナーとしての一面を示す展示(与謝野鉄幹・晶子の著書他、多くの本の装丁と挿絵や雑誌の表紙絵など)も見ることが出来、興味の尽きない展覧会でした。亡くなる 90 歳の年にも、大きな油彩画を描いているのが印象的でした。こちらに同展の案内、また、こちらに 9 月 12 日からの、そごう美術館(そごう横浜店内)での開催案内があります。
ではまた、多分すぐに。
T・T
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