ヤブラン。2014 年 9 月 5 日、わが家の庭で撮影。
Big blue lilyturf; taken in my yard on September 5, 2014.
2014年月分7、8月分記事へのエム・ワイ君の感想
M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" への感想を 2014 年 9 月 17 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。
1. 少年時代からの親友への手紙とメール
T・K 君と J・M 君との手紙とメールのやりとりの様子が掲載されていました(J・M 君とはその後もメールの交換が頻繁に行われ、以後のブログに掲載されています)。以下にその内容を引用しながら、感想を述べます。
(1) T・K 君へ:パスカルの三角形の拡張のことなど
「鏡像問題は『立場』などに関係なく、迷答・珍答でも聞かせて貰えばよい」との筆者の言葉は、本ブログ(8月11日付け「鏡の謎について」に、「プラトン以来、若い日の朝永やファインマンの考察を経てなお,近年まで正解が出なかったものであるが,哲学と呼ぶほどの問題ではない」と書かれていることから考えると、当を得たものと思います。
(2) J・M 君へ:最近の読書のこと
次に、加藤周一の著作を網羅的に読んでいることや、筆者が加藤周一の著作を好むようになった理由を述べています。
『日本文学史序説 』に関しては、朝日紙夕刊の、作家・水村美苗について連載されていた「人生の贈りもの」欄の第 3 回(8 月 13 日付け)に、次のような記述がありました。「[イェール大に]日本の企業が基金を創設し、日本から知識人を招聘していて、幸いその時期と重なったのです。[…]私は加藤周一さんと柄谷行人さんの授業を受けました。加藤さんは『日本文学史序説 』をお書きになっている最中で、生徒は私一人だけというセミナーを担当して下さいました。週一回、私どもの家に食事にお越し頂いて、お酒を飲みながら、鎌倉時代のことを書いていらっしゃる時は鎌倉仏教のことを拝聴して、後はしばし雑談、という具合。本当にぜいたくな、最高の時間でしたね。」
2. 「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」
敗戦後間もなく軍隊が武装解除、続いて解体されたとき、子供心にも日本はどうなるのだろうかと、いささか心配でしたが、新憲法 9 条により国際的にも戦争放棄が明確にされ、平和を愛する国に生まれ変わることに喜びを感じました。これも「ヒューマニズムの尊重」の最たるものです。
この掲載文のすぐれているところは、過去の日記の事実に、近くは同窓会での経験を加えてまとめ、筆者が敬愛してやまない湯川博士が 1965 年に書かれた「日本国憲法と世界平和」というエッセイも援用して、「ヒューマニズムの否定につながる憲法改悪は、断じて阻止するほかない」との主張でしめくくったことです。さらに文の短縮法の参考例にもなろうか、という筆者の提示の仕方も、教育者らしい計らいです。
1. 少年時代からの親友への手紙とメール
T・K 君と J・M 君との手紙とメールのやりとりの様子が掲載されていました(J・M 君とはその後もメールの交換が頻繁に行われ、以後のブログに掲載されています)。以下にその内容を引用しながら、感想を述べます。
(1) T・K 君へ:パスカルの三角形の拡張のことなど
前略から始まり、
早速手書きのお返事をいただき、嬉しく拝読しました。毎日新聞の記事について、「コメントできる立場ではありません」とありますが、鏡像問題は「立場」などに関係なく、迷答・珍答でも聞かせて貰えばよい問題です。
貴君が数学などについて他にも書かれたものがありましたら、また読ませて下さい。私のこの手紙には、昨年『日本物理学会誌』の「会員の声」欄に投稿して、10 月号に掲載された文の原稿を同封します。ご笑覧の上、「コメント出来る立場ではありません」などといわないで、率直なご感想を聞かせて貰えれば幸いです。長い手紙になり、失礼しました。で終わっています。筆者の結婚披露宴での祝辞を「再登場」して貰ったこと、同封してあった「数学を楽しむ:生徒とともに AHA 体験を」という話に関して、その文章表現についての指摘、ならびに高校・中学時代の秀才らしい数学的体験に関する思い出が語られ、「他に書かれたものがありましたら、また読ませて下さい」と、自らは最近の会誌への投稿原稿を同封し、「率直なご感想を」と、とらわれない柔軟な発想による意見交換を促しています。
「鏡像問題は『立場』などに関係なく、迷答・珍答でも聞かせて貰えばよい」との筆者の言葉は、本ブログ(8月11日付け「鏡の謎について」に、「プラトン以来、若い日の朝永やファインマンの考察を経てなお,近年まで正解が出なかったものであるが,哲学と呼ぶほどの問題ではない」と書かれていることから考えると、当を得たものと思います。
後日、図書館の倉庫に眠っていた R. Fricke の "Lehrbuch der Algebra" 中に多項係数の関係式を見出したという話がつけ加えられているのが、高級感のある締めくくりになっていると思います。と、T・K 君の「数学を楽しむ」について筆者は評しています。この本には、パスカルの三角形の拡張に関連する式についての説明があるようです。筆者は三項展開へのパスカルの三角形の拡張は、いつ頃から知られていたのだろうかと思い、インターネット検索をしてみます。そして、
貴君の文中の図 1 に相当するものは、「パスカルのピラミッド」または「パスカルの四面体」の名で呼ばれていることを知りました。また、加藤一郎という人のウェブサイト[注:ここには、パスカルのピラミッドが分りやすく説明されています]に、彼が高校生の頃、パスカルの三角形の拡張を考えたという話が書いてあるのを見つけました。[…]同じことを高校時代に考えた人が貴君の生徒たち以外にもいたようです。とT・K 君に伝えています[注:T・K 君の「数学を楽しむ」には、彼が教えていた高校の生徒たちと一緒にパスカルの三角形の拡張を考えたとが書かれていたのです]。このように筆者は丹念に調べ、T・K 君の業績を理解し、彼が知らなかったことを教えています。
ところで、[高 1 のとき]ヨウコ先生が休まれた日があり、K 先生が代理で来て、私たち一同に何か質問がないかと尋ねられました。すると、T 君が、先生を困らせようと思ってでしょうか、(a+b) の 10 乗を展開するとどうなりますかと質問しました。K 先生はもちろんパスカルの三角形をご存じで、記号 C を使った二項係数の性質までも説明して下さいました。貴君はこの出来事を覚えていませんか。と筆者は問いかけ、続いて、次のような思い出も記して、往時を回想しています。
私が生徒の頃に楽しんだ数学の問題の一つは、中 3 のときに M 君から出題されたもので、正三角形の一辺を n 等分した長さを一辺とする正三角形を、もとの正三角形の中にぎっしり埋め込んだとき、いろいろな大きさの正三角形が全部で幾つあるか、というものでした。[…]M 君も答を知らなくて、二人で放課後などに黒板にいろいろな式を書き合っていました。そのとき、研究する喜びとはこういうものだろうかという思いをしたことをいまでも覚えています。この手紙を読みながら、T・K 君と筆者との年来の友情を感じ、心温まるひとときを過ごしました。
(2) J・M 君へ:最近の読書のこと
昨日のメールの続きとして、読書のことなどを書きます。貴君は聖書を精読しておられるとのことですが、私は聖書(和英とも)を持っていながら、ときおり部分的に眺めるだけです。との書き出しでJ・M 君へ最近の読書について書いています。
春頃に、作家の高橋源一郎氏が金沢を紹介するテレビ番組に出ていて、井上靖の『北の海』に触れていました。[…]かなりの長編小説、そして、金沢が舞台になっているのはその一部分だけのようだったので、読むほどでもないかと思いました。ところが、[…]娘たちが結婚するときに残して行った文庫本の中にその作品があるのを見つけて、2 週間ほどで読みました。『北の海』には、金沢が舞台の話が結構長く続いていました。と書き進められ、筆者も異なる形でながら通りすぎた青春時代が、こと細かに描かれているせいか、興味深く速読できたと記しています。内灘についての記述や、筆者が就職して金沢を離れるときに何人も見送ってくれた人がいたという、『北の海』と類似の追憶の記述があり、同郷の J・M 君も興味をそそられる話だろうと思いました。
次に、加藤周一の著作を網羅的に読んでいることや、筆者が加藤周一の著作を好むようになった理由を述べています。
『北の海』より先に、『加藤周一最終講義』を買って読みました。続いて、18 年も前に買って第一巻の始めを少し読んだだけにしてあった『加藤周一講演集』(全二巻)を読みました。第一巻は政治の話が多かったですが、第二巻は日本の文学、美術、文化の話でした。それを読んでいると、彼の主著の一つ『日本文学史序説 上・下』を読みたくなって、購入しました。そして、7 年前に買って、これも少しだけしか読んでなかった、加藤周一の『日本文化における時間と空間』を読了してから、『日本文学史序説 』に移り、目下それを読み続けています。文学を広い意味にとらえて書かれていて、文化・思想史ともいえる重厚な内容です。と書いており、異論などをまとめる、筆者の読みの深い読書力がよく表現されています。
私が加藤周一の著作を好むようになったのは、彼が朝日紙に毎月一回書いていた評論を読み、その文体のよさに加えて、政治観にも大いに同感出来たところからです。[…]加藤周一は現代の著作家の中では最も尊敬出来る人の一人と思っています。それでも、『日本文化における…』中の加藤氏の日本語文法解釈には、少しばかり異論を持ったので、それについてブログ記事を書きました。
『日本文学史序説 』に関しては、朝日紙夕刊の、作家・水村美苗について連載されていた「人生の贈りもの」欄の第 3 回(8 月 13 日付け)に、次のような記述がありました。「[イェール大に]日本の企業が基金を創設し、日本から知識人を招聘していて、幸いその時期と重なったのです。[…]私は加藤周一さんと柄谷行人さんの授業を受けました。加藤さんは『日本文学史序説 』をお書きになっている最中で、生徒は私一人だけというセミナーを担当して下さいました。週一回、私どもの家に食事にお越し頂いて、お酒を飲みながら、鎌倉時代のことを書いていらっしゃる時は鎌倉仏教のことを拝聴して、後はしばし雑談、という具合。本当にぜいたくな、最高の時間でしたね。」
上記のような日本語の本の他に、英語で書かれた物理学関係の本も併読しています。いま読んでいるのは、Jim Baggott というサイエンスライターの "Farewell to Reality: How Modern Physics Has Betrayed the Search for Scientific Truth" です。Part I は "The Authorized Version2" と題して、すでに正しいとされた物理学の説について解説してあります。かなり難しいことを易しい言葉で巧みに説明していることに感心するくらいで、私としては新しく知るところが少ないです。しかし、これから読む Part II は "The Grand Delusion" と題して、 近年提唱されている諸理論の問題点を批判的な観点で紹介しているようで、面白そうだと思います。と、筆者は物理関係の本の原書を併読していて、新刊でめぼしい科学関係の情報にも広く読書の関心を広げています。最後に、
話は変わって、わが家では先月 13、14 日に金沢へ墓参に行ってきました。…金沢市内の見物もしました(ブログ記事参照)。長町の武家屋敷跡へも行きましたが、高校時代にお邪魔したことのある貴君の家がどの辺りだったか、全く思い出せませんでした。次のメールででも地図で教えていただければ幸いです。と記して、メールは終わっています。充実した内容の「最近の読書のこと」を興味深く拝見しました。これからも頻繁に続くメールで、高質な対話をされるよき間柄の旧友をお持ちのことにも感銘を受けました。
2. 「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」
先般、『自由と自治・進歩と革新をめざす堺市民の会だより』第 45 号への原稿を依頼された。400 字以内で何を書いてもよいということだった。会の趣旨から考えて、昨年 7 月 20 日付けの本欄にいくつかの短文をまとめて「改憲論に抗して思う」の題名で載せた中の「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」を選び、これを短縮して送った。[…]以下に[上記紙]「鬼太鼓」欄掲載の文を転載する。昨年本ブログに掲載した文と比較して読んで貰えば、文の短縮法の参考にもなろうか。という内容の記事が掲載されています。日本国憲法は 1946 年 11 月 3 日に公布され、筆者たちは小学 5 年から中学時代にかけて新憲法について教わったことと思います。高校 1 年の社会の宿題「明治憲法と日本国憲法の比較」への『ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重』と題した優秀回答については、ヒューマニズムの尊重というと、まず、「人権の尊重」が思い浮かび、当時を思い起こし、たいへん新鮮味があり優れていると感心しました。
私の高校1年のある日の日記(1951 年)に、「『ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重』、何と知的で整然とした解答だろう」とある。『』内は、社会科の宿題「明治憲法と日本国憲法の比較」への優秀解答として先生が紹介したもので、それを書いたのは、学年のマドンナ的存在の女生徒、S 子だった。
何年か前の高校同期会の折に、私は「湯川秀樹を研究する市民の会」や、地域の「9 条の会」に関わっていることを話した。「9 条の会」といったとき、驚きの声を発した男性たちがいた。そのとき、すかさず、「湯川博士も憲法 9 条を大切と思ったでしょう」と助太刀してくれたのも、S 子だった。確かに、湯川秀樹は 1965 年に「日本国憲法と世界平和」というエッセイを書き、憲法前文の平和に関わる文と第 9 条を讃えている。
自民党の改憲草案は明治憲法を彷彿させ、まさに、「ヒューマニズムの否定」である。そういう憲法改悪は、断じて阻止するほかない。
敗戦後間もなく軍隊が武装解除、続いて解体されたとき、子供心にも日本はどうなるのだろうかと、いささか心配でしたが、新憲法 9 条により国際的にも戦争放棄が明確にされ、平和を愛する国に生まれ変わることに喜びを感じました。これも「ヒューマニズムの尊重」の最たるものです。
この掲載文のすぐれているところは、過去の日記の事実に、近くは同窓会での経験を加えてまとめ、筆者が敬愛してやまない湯川博士が 1965 年に書かれた「日本国憲法と世界平和」というエッセイも援用して、「ヒューマニズムの否定につながる憲法改悪は、断じて阻止するほかない」との主張でしめくくったことです。さらに文の短縮法の参考例にもなろうか、という筆者の提示の仕方も、教育者らしい計らいです。
0 件のコメント:
コメントを投稿