2014年9月4日木曜日

J・M 君へ:貴君にとって意外だったこと 2 題について (To J. M: On the Two Topics That Surprised You)

[The main text of this post is in Japanese only.]


筆者が大学院生のときの物理学科研究室対抗ソフトボール大会の様子。打者は筆者。
A scene of the softball tournament among divisions of Physics Department when I was a graduate student. The batter is the author.

J・M 君へ:貴君にとって意外だったこと 2 題について

2014 年 8 月 4 日

M 君

2 題の 1

 加藤周一が医業を止めたのは 1958 年ということです(http://ja.wikipedia.org/wiki/加藤周一参照)から、39 歳くらいまでは二刀流だったことになり、貴君が生涯二刀流の人と思っても、さほどおかしくはありません。しかも、『日本文学史序説』は 1960 年秋にブリティッシュ・コロンビア大学に招聘されて行なった講義をまとめたものということですから、その素材は二刀流時代に仕込んでいたことになりますね。

2 題の 2

 ハハハ。「唯一無二」の阪急ファンだった貴君の友人が2人になりましたか。浜崎監督は大連にいた人だったので、阪急ファンになった次第です。それにしても、南海ファンだった貴君が、「ヘソ伝」から「山口」「加藤」らまでよくご存じですね。

 私はスポーツは全く苦手でしたが、野球の真似事やソフトボールだけは好きでした。T・KJ 君の家が小立野を出外れたところにあった頃は、そこを訪れると、稲刈りの終わった田んぼで、怪しげなバットを使い、よく野球の真似事をしたものです。

 紫中 2 年のときは、石引小の名ピッチャーだった U 君と同じクラス(3 組でした。貴君は 5 組でしたか)で、昼休みや自習時間などに「東西対抗」と称して、打つと硬球に似た音を出す U 君手製のボールを使って野球をする仲間の端っこに加わっていました。ある日、相手の A 君という、軟投型のピッチャーから、3 打席目にうまくレフト前へヒットしたことを、いまでも覚えています。1 打席目ではサードライナー、2 打席目はもっと力を入れて打ったところ、レフトフライ、そこで 3 打席目では、前の 2 打席の中間ぐらいの力で打ったのです。私にしては珍しいヒットだったからでしょうか、U 君からそのあとで、「サードオーバー、レフト前ヒーット! やな」と冷やかされました。

 その頃、同様の仲間でソフトボール試合をして、ランニングホーマーを放ったこともあります。これは多分生涯に一本だけの記録でしょう。また、自習時間に一斉に抜け出してソフトボール試合か「東西対抗」をしていたところ、あとでクラス担任の N 先生から、壊れた椅子の足だったか、木の棒で、頭のてっぺんをごつんと一同が一発ずつやられました。それを見ていた女生徒たちの中の、I さんというのが、「T さんまで!」と、同情の声をあげてくれました。つまらないことを覚えているものですね。

 ソフトボール試合といえば、大学院生のときの研究室対抗(写真参照)や、大放研での部対抗でも、ある程度活躍しました。大抵、捕手を勤めました。走るのが遅くてもよいので。

 また、中学時代には、二つのサイコロと、統計と確率に基づいて多数の表を使う野球ゲームを作成して、主に T・KB 君とそれでよく遊んでいました。それで、高校の数学で習う確率や統計は、いたってやさしく感じられました。その野球ゲームは、研究者になってからの、電子の物質透過のモンテカルロ法による計算に通じるところがあります。そのモンテカルロ法というのは、電子が物質内を通過するときにくり返し起す素過程を、サイコロの代りに乱数表を使って、各素過程の理論的確率分布に従うようにコンピュータ内で発生させ、結果を統計的に求める方法ですから。自分たちで直接モンテカルロ計算はしませんでしたが、それを学び、その方法の簡略化に役立ちそうな研究をしたり、国外の共同研究者がその方法で計算してくれた結果を経験式作成に利用したりしました。

 雑談を多く書き、失礼しました。

 T・T

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