2010年4月14日水曜日

街頭で名を叫んだ日に:井上ひさしさんを悼む


シロヤマブキ(白山吹、学名Rhodotypos scandens)。
2010年4月11日、堺・鈴の宮団地で撮影。

 ユーモアのある作品で知られた作家・劇作家で文化功労者の井上ひさしさんが亡くなった。反核・護憲・平和運動にも活躍した人だった。さる4月9日は、「福泉・鳳憲法9条の会」の署名活動の日で、午前中に私は何人かの仲間と街を歩き、マイクで「日本が二度と戦争を起こさない平和な国であるように、憲法9条を守り、また、これを世界に輝かせようと、井上ひさしさん、大江健三郎さん、故加藤周一さんらの呼びかけで、2004年に『九条の会』が発足しました」と叫んだ。井上さんの他界はその晩のことだった。

 戯曲は60を超え、小説、随筆も多数執筆しているとのことだが、私はそのどれをも知らない。ただ、彼と「こまつ座」が編集した写真集『井上ひさしの大連』[1] を持っている。開いて見ると、巻頭に「大連は夢の都」と題する彼の随筆がある。それをいま始めて読み、井上さんと大連の関係を知った。この写真集は戯曲の取材であろうとは思っていたが、はるか以前にも、大連の国民学校へ移っていった親友から絵はがきを貰ったという関係があったのである。それは1943年の冬のことで、私が大連の国民学校へ移ったのは、その翌年の9月だった。井上さんの親友と私は、似たような経験をしていたことになる。

 井上さんの大連への思いを役立てた戯曲は、こまつ座が2005年に初演した「円生と志ん生」[2] となって実を結んでいる。落語家の古今亭志ん生と三遊亭円生は、満州興行の途中で敗戦となって足止めを食い、大連で600日を過ごした。そのときの様子を描いたものである。「幼時に焼きついた『大連は夢の都』という文句は、その意味を変えながらであるが、とにかく死ぬまで消えぬ」という随筆末尾の文をかみしめながら、井上さんの冥福を祈る。

文献

  1. 井上ひさし・こまつ座編, 井上ひさしの大連 (小学館, 2002).
  2. 「円生と志ん生」チラシ (こまつ座, 2005).

2 件のコメント:

  1. 井上ひさしさん追悼文は心にしみました。
    九条活動と井上ひさしさん。そして志ん生・円生・敗戦時の大蓮、全てが深部で九条を守り平和を訴える井上ひさしさんの活動の紹介。「吉里吉里人」の奇想天外な世界を楽しんでいただけではあきませんな。反省です。

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  2.  匿名さん、コメントありがとうございます。この記事を書いた頃、外国の二人の科学者たちから、日本国憲法九条が外国でまだあまり知られていないことをツイッターで知らされました。とりあえず、九条と「九条の会」の説明をつけ加えたこの記事の前半の英語版を別途掲載し、ツイッターでも九条について和英両文で発言するように努めています。

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