M.Y. 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2010年3月分への感想を4月27日づけで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。
1. 「自発の助動詞など」、「日本語の受動態など」
W さんは2月20日の「姫路で」に登場しています。筆者から私宛のメールには、「京友会の翌日、友人の A 君夫妻との昼食に同席した W さんから論文抜刷りを手渡され、感想を聞かせて欲しいといわれました」とあります。筆者は W さんの日本語はかなり上手だが、日本語の助詞の使い方は難しいので、その点で気になる箇所が多いと、とりあえず知らせ、2月23日付けブログに天声人語の文に関して書いたことが、たまたま助詞の難しさに触れていたので、それを読むようにとメールで伝えました。これを起点とし、W さんからの質問に答える形式で、2月25日の「残念な思いはします」から始まる3篇が掲載されました。
第1編では、W さんから、「天声人語」欄に関連して助詞の難しさについて書いたブログが分かりやすかったとのメールを貰ったことに感謝し、「は」と「が」の説明をしています。論文中の「…を目したものであったことは」の「は」とこれに続く「本論では主張したいのである」をとり上げて説明し、このような「は」と「が」の相違については、大野 晋著『日本語練習帳』(岩波新書 1999) の第 II 章に詳しく述べられていて、また、日本語の他の点でも大いに参考になると思うと、一読を勧めています。
第2編では、助動詞「れる」「られる」を自発の意味で使う場合が難しいと W さんからメールがあり、例として挙げてあった「感動された」について説明しています。第3編では、「『私はあの映画に感動された』は、中国語では使われるとのことですが、日本語では使われません」と、「日本語の受動態など」について説明しています。「私は読んで慣れることをあなたにお勧めしましたが、あなたが、外国語としての自然な日本語は、母国語との比較をしないと理解が難しい、といわれるのも、もっともです。いったん比較によって相違を理解して、頭を整理した上で、慣れることに努めるのがよいでしょうね」とまとめています。筆者は、相手の願いにそい、協力を惜しまず、友情の輪を広げています。W さんがよい友を得られたことは喜ばしいことです。
2. 「『ふと思いあたった』の謎(改訂版)」
——湯川は、中間子論の形成においての重要な出来事について、半生の自伝『旅人』の中で、次のように述べている。「十月初めのある晩、私はふと思いあたった。核力は、非常に短い到達距離しか持っていない。それは十兆分の二センチ程度である。このことは前からわかっていた。私の気づいたことは、この到達距離と、核力に付随する新粒子の質量とは、たがいに逆比例するだろうということである。こんなことに、私は今までどうして気がつかなかったのだろう。」この記述は、1933年春の学会講演要旨と矛盾するように思われる。——2007年9月19日づけの同題の和文初版に、その理由を分かりやすく解説していました。
ところで、『旅人』の記述については、当時、筆者は執筆協力者澤野久雄の存在を知らなかったので、湯川は『旅人』を書く際に、講演要旨の存在を忘れていたのか、または、中間子論の着想をドラマティックに表現するための創作なのか、あるいは、朝日新聞紙連載担当者の入れ知恵によって、このように書いたのだろうか——と考えあぐねていました。この改訂版では、「湯川も澤野も故人となったいま、どちらの可能性が真実だったかを見定めることは困難である」とし、矛盾の理由としては次の二通りの可能性が考えられると、最終結論を下しています。
(1) 湯川は講演要旨で使った関係を、その後、誤りと見て、いったん忘れていた。
(2)「ふと思いあたった」あたりの表現は、『旅人』を連載していた朝日紙の協力担当者(澤野久雄)によって、書き換えあるいは書き加えがなされたものである。
2年余にわたる謎に、納得いく答えを得られた粘り強さを賞讃いたします。
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