2011年7月5日火曜日

壮年の日の反逆:住民運動擁護の弁 2 (Rebellion in My Maturity: Defending Public Movements -2-)

Abstract: As continuation to the previous post, the latter half of my contribution to the organ of our labor union against the director's words published in the circular of our institute (1977) is reproduced. (The main text is in Japanese only.)

 前報に続いて、私の勤務していた研究機関の所長が所の機関紙に書いた「年頭所感」(1977年)について、私が同所労組の機関紙に投稿した原稿の残りの部分を掲載する。

  所長の「年頭所感」について:問題の核心をそらした
  科学者らしくない発言(続き)

 所長は原子力船「むつ」の問題でも、「実験過程ですこしばかり放射線漏れがあった」ものと書いておられますが、実際は出力1.4%ですでに設計値を越える漏れが検出されており、出力100%では1000倍以上になると報告されています。このことは、安全審査が政府のずさんな体制の中で行なわれていたことを示すものにほかならず、その意味で重大な事件であるといわなければなりません。原子力行政が安全を重んじない無責任なものである限り、住民は不安をぬぐい切れず、事態の責任の所在を明らかにすることを求め、「むつ」の寄港に反対するのは無理のないことで、これを非難することは出来ません。
 次に、水俣の水銀中毒に似た症状の病気が発生すると「確たる証拠もないままに」住民が騒いだと書いておられます。そのような騒ぎの中に、行き過ぎが実際あったとすれば残念なことです。しかしながら、病気と付近の企業の工場廃液との関係に「確たる証拠」がなくても、無関係だという方の確かな証拠がない限りは、似た症状という一つの可能な証拠をもって住民が行動を起こすことは、公害の拡大を未然に防ぐためにはむしろ必要なのであり、住民がそれだけ神経をとがらせていなければ自分たちの健康が守れないような大企業の姿勢や科学技術行政が従来横行して来たところに、より大きな問題があるのではないでしょうか。
 主題から少しはずれますが、人口急増に伴う食糧不足の解決が人類の一つの課題であるとの話に関連して述べられている所長のマルサス評価は、修正が必要であることにも触れておきたいと思います。マルサスの「人口論」は、彼の時代の人口増加と食料生産の増大の傾向をそのまま未来にわたって延長したのみで、彼の死後の科学技術の発展については、これを予測出来なかったという思考上の欠陥のため、歴史の現実からはほど遠い予見にしかならなかったのです。つまり、マルサスの警告した事態は、正しくいえば、所長の書かれたように「一層深刻になりつつある」のでなく、科学技術の発展がマルサスの到底予見し得なかった人口増加率を支えるという形で現実には避けられて来たのです。(といっても、避けられて来たという最近の傾向をそのまま延長して考えることは、マルサスのわだちを踏む結果になる恐れがあることはいうまでもありません。)
 投稿が大分長くなりましたので、石油蛋白、SCP、リジンの問題についてはいちいち論じませんが、本稿の最初に引用した所長の「年頭所感」末尾の文、「安全性の問題を巧みについた…」というところに所長のお考えは要約されているわけで、これに対する反論を述べて終わりにしたいと思います。
 所長は冒頭の近くで、科学の「恐ろしい悪魔の半面」に対し「科学者たるもの」は「自ら戒めなければならない」と述べながら、安全の問題を軽視して通ることで、どうしてこの自戒が達成出来るとお考えなのでしょうか。公害病に苦しむ方がたは水俣に限らず、大阪府下にも大勢おられるという現実の中で、府立研究機関の一つの長である所長が安全を重んじる立場を敵視したような、的はずれの「科学不在」論を書かれたことは、誠に恥ずかしく残念なことだといわなければなりません。
 [本稿の一部を書くに当り、三宅泰雄・中島篤之助編『原子力発電をどう考えるか』(時事通信社)、田中一著『現代と自然科学』(汐文社)を参考にしました。](逆同人)[労組機関紙 No. 2190 (1977年2月4日)]

(続く)

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