2011年7月23日土曜日

「勇気を与える」 (The Strange Usage and Non-usage of the Honorific in Japanese)

Abstract: These days we find on TV that sports-persons say like this, "By achieving a good result, I want to give courage to the people in Tohoku Region." In saying this, they do not use an honorific of the Japanese word "give" for "the people." On the other hand, it is now fashionable to use an honorific in saying that one gives food to one's own pet. Isn't this contradictory? (The main text is in Japanese only.)

 最近テレビでスポーツ選手などが、「よい成績を挙げて、被災地の人々に勇気を与えたい」というような発言をよくする。他方、自分のペットに餌を与えることをいう場合には、「上げる」と、敬語表現を使うことが流行になっている。人々には与えて、ペットには上げる。これはいかがなものか。

 新聞記事などで、「誰々の活躍は、いまの日本人に勇気を与えるものである」と客観的(「与える」の目的語は第3人称)に書く場合はよいのだが、選手自身がいう場合には、「人々」は、意味上の第2人称なので、いささか失礼に聞こえて仕方がない。「被災地の人々に勇気を届けたい」といって貰えば、敬語の使い方にこだわる私でも、まだ気にならないのだが。

 「届ける」も敬語ではないが、「与える」との相違は、後者は敬語でない以外に、目下のものに渡すというニュアンスがあることだろう。しかし、従来ペットや子どもに渡すことを「やる」といったのに比べれば、「与える」はより丁寧であり、ペットの場合にこそ「与える」といって欲しい。ペットや自分の子どもに対して「上げる」というのは、丁寧すぎる。

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