2. 「ある尾行者」("Ted’s Archives" 5月19日掲載、Sam と Ted の高校時代の交換日記から)
いままでに掲載された交換日記にもこの創作に活用されものがありましたが、たまたま昨日読んだ上記の交換日記に書かれた「ある尾行者」は「夏空に輝く星」の本文の第十章に次のように、詳細な描写が日記から取り上げられていますので紹介します。
Ted: 1951 年 9 月 16 日(日)曇り時々雨この文章を読んで私は、筆者が高校 2 年生の時、夏休みの国語の宿題として書いた創作「夏空に輝く星」のウェブの版への序文を思いだしました。ここには「主な筋は全くの創作であるが、細かい挿話や詳細な描写には、日記にあった記述を縦横に活用し、ジグソーパズルのようにはめ込んだ」と、日記に書かれた生活体験が活用さていること述べ、さらに次のように、「夏空に輝く星」は、卒業後も友人から話題にされていた様子が書かれています。
一つのコントの材料のようだった。夢中になって歩いた。天下る水の途切れるのを待って、午後 Jack の家へ行ってみた。戸はぴたりと閉まっていて、応じる者は誰もいない。来るときと反対に、木曽坂のコースを取ることにした。雨後の坂道はすごくぬかっていた。水を多分に含んだ泥と小石が、晴れた日のような響く音を立てないで…中略…その頃から何者かに尾行され始めていた。大学前の停留場の方へ出て、上石引町を歩いた。ついて来る。…中略…小路の角の寺の前を通るとき、尾行者は横へ添って来た。一歩先へも出た。道草もした。小さな褐色のイヌだ。…中略…道草をしては、また追って来る。「ベニー」の前から UT 医院の方へ。振り向く。尾行者は足を速める。とっさに、ある考えが浮かんだ。どこへでも行ける!…中略…下りて行く坂の近くへ来た。そこを下りる予定だった。ところが、向こうに一匹の大型の白いイヌがいるのを、尾行者も被尾行者も認めた。被尾行者にはほとんど眼中にない対象だったが、尾行者にとっては、それは大きな存在だった。尾行者はもはや、ぼくについて坂を下りようとはしないで、小立野新町をかの白い魅惑者に向かって直進した。いや、しようとしたのだ。ぼくは小さな彼を見た。もう、飽きちゃったのか? そのとき、目と目がぶつかった。小動物の黒みがかった茶色の目は、寂しそうだった。「ついて来る。」こう信じて、ぼくは振り返りもしないで坂を下りた。…中略…恐る恐る後ろを見た。誰もいない…中略…空は灰色で、地面は茶色だった。引き返した。いた、いた。走っている。ああ、一緒になった。戯れている、白と褐色と。ぼくは彼らに接近した。
Ted: 1951 年 9 月 16 日(日)曇り時々雨[つづき]
また、目と目がまともにぶつかった。わびしげな目——。「白」はそこで引き離された。水たまりをよけながら、尾行者——もう尾行者ではなくて、従者だ—…中略…幼児の群れに行き会った。彼らの声によって、ぼくがまだ従者を従えていることが分った。「あの子犬、バンビみたいや!」と言う声があった。バンビ! もっともっと、ついて来い。…中略…キチョッ、キチョッ、キチョッ、キチョッという足音は、直ぐ後ろに続く。道路の右へ行き左へ行きして、バンビは長い距離を歩いている。ぼくの持っている傘の先に餌でもついているかのように、一定の時間をおく毎に、すり寄って来る。——上菊橋へ出た。
高校 3 年生の 3 学期初め頃、2 年のときの国語の担任だった桑山先生から、この作品を『新樹』に載せてはどうかと訊かれた。『新樹』は、毎年その年の卒業生を記念して発行されていた生徒会編集の雑誌である。…略…この創作「夏空に輝く星」の序文に「前期青年期の、それ以前の時代における自己中心観を破壊しなければならないときに生ずる内省、そのときに必要とされる客観的なものの見方、この転機を通じても動揺させてはならない自己高揚への努力、そのための苦悩、そして、そのために必要な真摯な沈黙……これらのまとまりのない小説化」と説明してあります。難解なところもありますが、まとまりのない小説化というのも文章上の一つのすぐれた技術でもあります。もちろん小説の主人公稔のモデルは筆者自身であります。この小説は、前期青年期の筆者を、自己分析し、上記の趣旨に沿って描かれた傑作だと思います。
大学生になってから、親友の K 君(本作品中の登場人物、野間繁行のモデル)と高校時代の思い出を語り合っていたとき、彼が「こんなこともあったなぁ」といって話し始めたのが、この創作中の一場面だったのには大笑いした。もう一人の親友 M 君(里内敏夫のモデル)は、原稿を一読後、「多分に理想化してあるな」といったが、それは「日常的な日記という素材を駆使して、なんとか創作らしいものをでっち上げたな」ということの、簡略化した表現だったのだろうと解釈している。M 君は数年前に死去し、ウェブ版で再読して貰えなかったのが遺憾である。…略…
宏子の手帳に記されていた読書の感想メモは、私自身の読書メモを利用している。このことは、次のような面白い誤解を紹介するため、また、読者の方がたに同様な誤解のないようにしていただくため、あえて記しておく。大学生時代からの親友 A 君がこの作を読みながら、「こんな感想を書くとは、宏子のモデルは大した女性だなぁ」といったのである。
いままでに掲載された交換日記にもこの創作に活用されものがありましたが、たまたま昨日読んだ上記の交換日記に書かれた「ある尾行者」は「夏空に輝く星」の本文の第十章に次のように、詳細な描写が日記から取り上げられていますので紹介します。
一学期の終った七月十五日、稔は雨のやむのを待って、敏夫の家ヘノートの交換に行った。敏夫は祖母と墓参りに出かけるところだったので、交換をしただけで、長い話はできないままに帰らなければならなかった。稔は電車に乗らないで、濁ってとうとうと流れる水面を見ながら、川沿いに歩いた。彼は明日から文雄の家で絵を描くことを考え、それと一緒に文雄の性格を解剖して考えた。その考えは次第に大きくなって焦点の位置を変え、彼が傘を振って歩きながら練って行くうちに、次のように発展した。…略…このくだりは、稔が宏子に単独で会うには心理的に高い閾があったが、そこに子犬の天使が現れて、宏子に会う機会を授けた名場面です。
この頃から稔は何者かに尾行されていた。小刻みな足音が彼の後を離れない。川縁から折れて細い道へ入ったとき、尾行者は横へ寄り沿って来た。小さな褐色の犬だ。ちょっと先へも出た。道草もした。それでもついて来る。稔は気味が悪くなった。直接に見るのが恐ろしいかのように、彼は後から来るヤツの店のガラス戸に映る姿を眺めた。
稔は〈どこまでもついて来る! よし、どこへでも行ける!〉…中略…そこへ、白い大きな犬が向こうから現われた。尾行者も被尾行者も、それを認めた。稔は何とも思わなかったが、彼の尾行者にとっては、この出現者は大きな存在だった。褐色の彼は、白い魅惑的な彼…略…の方へ行こうとした。稔は〈もうこのご主人様には飽きたのか?〉と、小さな彼を見た。すると目と目がかち合った。四本足の動物の目は寂しそうだった。こう信じて、稔は振り向きもせずに坂を降りた。…略…
子供たちが数人いるのに出会った彼は、「あの子犬、バンビに似てる!」という叫びを聞いて、振り返らないままに従者がおとなしくついて来ることを知った。〈バンビか。これは愉快だ。バンビ! もっともっと、ついて来い。でも、何を思って、何を求めて、どこまで来る気だろう。…略…〉
〈——ところで、自分のひそかに期待している奇跡に出会ったらなんといおうか。「おや、こんにちは。」「可愛いらしい犬ね。」「はぁ、それが不思議なんですよ。この犬がぼくにこちらの方へ来させたのです。そしたらここで、あなたに会うことができたんですから、こいつはまったく天使かも知れません。」それからぼくは Vega に何をいわなければならないか。——彼女に聞こうとしたことが、自分で相当、分かってきたということだ。どういうふうにいい出せばよいだろうか。——だが、この奇跡はとうてい起こりそうにない。そこがもう彼女の家のある小路じゃないか。犬は? 聞こえる、キチョツキチョツという彼の足音が。呪われているようだ。こいつめ、忠実な従者か執拗な追跡者か分からなくなったぞ。〉…略…〈Vega には会えない。もう用はない。〉…略…
と、彼の意が通じたものか、道の右へ行き左へ行きジクザグに歩いていた子犬は、すっと彼の先に出て、宏子の家のある小路には目もくれずに真直ぐに走った。…中略…犬の後を追って醤油屋のところへ向けられた稔の目は、何かアズキ色のものが落ちているのを見つけた。〈なんだろう?〉彼もそこまで走った。〈手帳だ。〉拾い上げて見ると、地面に接していた表紙に湿った土が少しついていたが、他は汚れていなかった。彼はパラパラと中を見た。…略…これは、なんということだ!…… H. Kikuchi とある……。稔は脇に挾んでいた傘をとり落としたのにも気づかないで、穴のあくほどそのローマ字を見つめた。目を疑ってもみた。だが、事実そう書いてある。
〈お前はやはり天使だった〉と彼は思って、あたりを見回したが、子犬の天使はすでにいなかった。
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