2013年5月9日木曜日

湯川の「うつしえ」(Yukawa's Utushi-e)

【Read in English.】

 私はかつて湯川秀樹の自伝『旅人』の英訳に間違いが沢山あることに気づき、訳者の一人であるブラウンさんに正誤表を送った。その中には「うつしえ」の訳 "shadow pictures" を "transfer pictures" に直した一項を含めていた。旅人の中の「うつしえ」は、湯川が子どもの頃、祭りの店で売っていたものの一つとして書いてあり、"shadow pictures" といえば、売るというより実演するものだと思ったからである。また、私が子どもの頃には、「うつしえ」といえば、いろいろな絵を特殊な方法でプリントしてある紙を裏からこすって、絵を別の紙に転写する「移し絵」を意味した。しかし、湯川の子どもの頃には、幻灯で「写し絵」をして遊ぶための、セロファン紙に絵を描いたような、いまのスライドに相当するものが売られていたのかもしれないとも思い(このことも注記しておいた)、この修正には自信がなかった。

 この、湯川の「うつしえ」は「写し絵」か「移し絵」かという問題に答を与えるような記述を先般、夏目漱石の自伝的小説『道草』の中に見出した。漱石自身をモデルにした主人公・健三の子どもの頃について記した第四十章に次の文があったのである。
 「彼の望む玩具は無論彼の自由になった。其中には写し絵の道具も交っていた。」
この「写し絵」について、巻末の「注解」は次のように記している。
 「暗いところで、光線の作用によって、ガラスに描いた絵などを布や紙の幕に映し出すもの。幻灯。」

 漱石の子どもの頃には、「写し絵」の道具がやや高級な子どもの玩具だったのである。生年は、漱石が 1967 年、湯川が 1907 年で、どちらも子ども時代は明治時代の中に入る。私は 1935 年生まれで、湯川との生年の隔たりは、漱石と湯川の隔たりより少ない。しかし、東京市内に電灯がほぼ完全普及したのが 1912 年であり(文献 1)、電灯の全国的普及が日本の文化環境を大きく変えたであろうことを考えると、漱石と湯川の子ども時代は、湯川と私の子ども時代より、共通点がはるかに多かったに違いない。(実際、私の子どもの頃には、幻灯に取って代わる 8 ミリフィルムの自家用映写機を使って、近所の家で映画を見せて貰ったことさえある。)以上のことから、『旅人』の英訳における "shadow pictures" は正しかったと認めなければならない。

文 献
  1. 大正から昭和へ:電気の歴史年表, 電気事業連合会ウェブサイト.

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