可愛らしい小さな花だが、名を知らない。教えていただければ幸いである。
2013 年 9 月 24 日、堺市・鈴の宮公園で撮影。
Please tell me the name of this plant. The photo was taken in Suzunomiya Park, Sakai,
on September 24, 2013.
エリオットの詩への異論?
『図書』2013 年 10 月号 p. 29 の大江健三郎さんのエッセイ「本質的な詩集(二)」に、同氏が 70 歳になって書いた長編小説『さようなら、私の本よ!』のしめくくりに引用したという、エリオット著、西脇順三郎訳『四つの四重奏曲』からの次の 3 行が紹介されている。
原詩についての異論とはどういうことだろうか。詩そのものは、論文などと異なって、異論を唱える対象になるものではない。詩の解釈について、相異なる論があるということではないだろうか。そう思って、3 行目の原詩とその西脇訳を比べてみると、英文学の専門家でないながら、別の訳が出来そうな気がする。しかし、念のため、インターネットで、原詩のこの行の前後や、その行の意味についての記述を調べてみた。問題の行は、詩集 Four Quartets の中の詩 "East Coker" の最終章 V の、以下のような最後の節、人びとが高齢化したときのことを詠んだところにある。大江さんが引用している西脇訳に対応する部分を太字で示す。
問題の行の意味・解釈を記したものとしては、次の三つが見つかった(下線はいずれも筆者による)。
これらの解釈のどれもが、下線をつけた部分に、西脇訳の「静かに」に相当する言葉があり、私が想像した次のような「異論」は見当たらない。——"Still" が「静か」という意味を表すときは形容詞であり、問題の行の中では、"be" に直結し、"We" の補語になる。そうすると、"be" は "moving" とは結ばれない。"And still" のあとにコンマはないものの、"We must be still and still, moving ..." のように理解しなければならない。しかし、"still" は「いまなお」という意味の副詞でもあり得る。この意味と考えれば、コンマはないままでよい。"Still" がくり返されているのがいささか不思議だが、「年をとってから、なおも、なおも」という意味の、副詞の強調だとはとれないだろうか。——
私の想像は当たっていないかどうか、この行の「異論」をご存じの方があれば、お教えいただけるとありがたい。
『図書』2013 年 10 月号 p. 29 の大江健三郎さんのエッセイ「本質的な詩集(二)」に、同氏が 70 歳になって書いた長編小説『さようなら、私の本よ!』のしめくくりに引用したという、エリオット著、西脇順三郎訳『四つの四重奏曲』からの次の 3 行が紹介されている。
老人は探検者になるべきだそして、大江さんは、
現世の場所は問題ではない
われわれは静かに静かに動き始めなければならない
この三行目の原詩 We must be still and still moving については、専門家の異論を見たこともあるけれど、いま老年もさらに深まっている私の、生き方の指標をなしている……と記している。
原詩についての異論とはどういうことだろうか。詩そのものは、論文などと異なって、異論を唱える対象になるものではない。詩の解釈について、相異なる論があるということではないだろうか。そう思って、3 行目の原詩とその西脇訳を比べてみると、英文学の専門家でないながら、別の訳が出来そうな気がする。しかし、念のため、インターネットで、原詩のこの行の前後や、その行の意味についての記述を調べてみた。問題の行は、詩集 Four Quartets の中の詩 "East Coker" の最終章 V の、以下のような最後の節、人びとが高齢化したときのことを詠んだところにある。大江さんが引用している西脇訳に対応する部分を太字で示す。
Home is where one starts from. As we grow older
The world becomes stranger, the pattern more complicated
Of dead and living. Not the intense moment
Isolated, with no before and after
But a lifetime burning in every moment
And not the lifetime of one man only
But of old stones that cannot be deciphered
There is a time for the evening under starlight
A time for the evening under lamplight
(The evening with the photograph album)
Love is most nearly itself
When here and now cease to matter
Old men ought to be explorers
Here or there does not matter
We must be still and still moving
Into another intensity
For a further union, a deeper communion
Through the dark cold and the empty desolation
The wave cry, the wind cry, the vast waters
Of the petrel and the porpoise. In my end is my beginning
問題の行の意味・解釈を記したものとしては、次の三つが見つかった(下線はいずれも筆者による)。
"We must be still and still moving," that is, we must be full of that inner, non-active, silence. (Terry L. Fairchild, Time, Eternity, and Immortality in T. S. Eliot's Four Quartets)
"The Cloud of Unknowing teaches that we can achieve communion with God only through the Grace of divine Love. To prepare ourselves to receive this gift, we must enter a state of quiet stillness, suspended between heaven and earth. Above -- between us and God -- lies a mysterious "cloud of unknowing", which our understanding can never penetrate. Between us and the world, we must create a "cloud of forgetting", leaving conscious thought and desire below. In this timeless place of forgetting and unknowing, we may begin to hear that for which we are listening. T.S. Eliot said it this way:
'We must be still and still moving
Into another intensity for a further union, a deeper communion
Through the dark cold and the empty desolation...' "
(John Luther Adams, Clouds of Forgetting, Clouds of Unknowing)
Oliver Barratt’s still moving takes its cue from TS Eliot’s Four Quarters:
'Here and there does not matter
We must be still and still moving.'
Motionless yet seemingly alive, inert yet bristling with energy, the sculptures explore the paradox at the heart of Eliot’s poem. The opposition between stillness and movement is just one of a series which dominates the show. (Chris Greenhalgh, Oliver Barratt: Still moving)
これらの解釈のどれもが、下線をつけた部分に、西脇訳の「静かに」に相当する言葉があり、私が想像した次のような「異論」は見当たらない。——"Still" が「静か」という意味を表すときは形容詞であり、問題の行の中では、"be" に直結し、"We" の補語になる。そうすると、"be" は "moving" とは結ばれない。"And still" のあとにコンマはないものの、"We must be still and still, moving ..." のように理解しなければならない。しかし、"still" は「いまなお」という意味の副詞でもあり得る。この意味と考えれば、コンマはないままでよい。"Still" がくり返されているのがいささか不思議だが、「年をとってから、なおも、なおも」という意味の、副詞の強調だとはとれないだろうか。——
私の想像は当たっていないかどうか、この行の「異論」をご存じの方があれば、お教えいただけるとありがたい。
詩の全体はまだよく理解できていませんが、最初のstillが「静かに」で、後のほうが「なおも」という印象を受けました。「and」で意味が分けられているような感じがします。
返信削除興味深い解釈を示していただき、ありがとうございます。しかし、「静かに and 副詞 moving」の形とすれば、ここに来る副詞は still でなく、解釈例として引用した 3 番目の文に "Motionless yet seemingly alive" とあるように、意味の異なるものをつなぐ場合、和訳ではでは同じ「なおも」になる副詞でも、yet を使うべきかと思います。
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