2010年3月22日月曜日

日本語の受動態など (The Passive Voice, Etc., in Japanese Language)

W さん

 なかなか鋭いご質問をいただき、私にもたいへん勉強になります。

 「生まれる」は『広辞苑』を見ると自動詞となっていました。あなたの解釈の方が正しいです。私の説明は、「生む」(あなたが書かれた「産む」も正しいです)という他動詞から自動詞の出来上がる段階についての、いわば語源的なものでした。しかし、そうなると自発の助動詞の使用例が全く思い浮かびません。あなたが勉強されたときには、何か例を習われましたか(私が日本語の口語文法を習ったのは、中学生時代ですから、60年ほど昔のことです!)。

 「私はあの映画に感動された」は、中国語では使われるとのことですが、日本語では使われません。「感動する」は自動詞なので、受け身の形の文を作るには、まず、使役の助動詞を使った「感動させる」という他動詞的な形にしておき、それ(あなたのいわれる「受身と使役を一身にした表現」)を使って「私はあの映画に感動させられた」といわなけらばならないのです。——このように考えると、私が先のメールで、「あの映画は感動された」が「理論的には可能」と書いたのは間違っていたことになります。——

 「感動する」の「する」の部分は、もともとは他動詞ですが、目的語を一つしか取り得ない種類のものです。そこで、「感動」という目的語をくっつけてしまったことにより、それ以上の目的語を取り得なくなって、自動詞に変わり、「あの映画は私を感動する」のようにいうことが出来ません。したがって、これを受け身にした「私はあの映画に(よって)感動された」といういい方はないのです。あなたが書かれた「お母さんにニンジンを食べさせられた」の例でも、「食べる」が目的語を一つしか取らない他動詞であり、それが「ニンジン」に使われているので、使役の助動詞を利用しないと、「私」が目的語の位置にある形から、主語になる受け身の文に変える操作が出来ないのです。

 「私はこの本をあの人に与える」というときの「与える」のような、目的語を二つ取る他動詞ならば、「この本は私からあの人に与えられる」「あの人はこの本を私から与えられる」という二つの形の受け身の文が、これこそ理論的に可能だと思います。

 私は読んで慣れることをあなたにお勧めしましたが、あなたが「外国語としての自然な日本語は、母国語との比較をしないと理解が難しい」といわれるのも、もっともです。いったん比較によって相違を理解して、頭を整理した上で、慣れることに努めるのがよいでしょうね。

 書き言葉と話し言葉の相違も、確かに難しい問題です。とくにあなたのように、日本という外国で暮らしながら日本語で論文も書かれる場合には、難しさがひとしおでしょう。私の場合は、英語の話し言葉を実際に使う機会がきわめて少ないので、多少なりとも慣れているのは書き言葉の方です。そこで、書き言葉の調子で英語の会話をしているので、変なやつだと思われているかも知れませんが、外国人だということで大目に見て貰うしかありません。(書き言葉で話しても、私の場合、英語表現を思いつく速さは遅いので、会話での文は自然に短くなり、その意味では、努力しなくても、いくらか話し言葉に近づくことになります。)

 とりあえずご質問にお答えしました。論文の構成の話は次回に延期します。

 T. T.

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