2010年3月14日日曜日

2010年2月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y.'s Comments on February-2010 Articles)

 M.Y. 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2010年2月分への感想を3月日づけで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。





 映画を選ぶセンスがよく、その感想は、いろいろな話題によって構成され、読み物として興味深いものが多いです。この映画の上映は、山田洋次監督の第60回ベルリン映画祭の功労賞「ベルリナーレ・カメラ」受賞が明らかになったばかりのときのもので、話題性がありす。以前は邦画をほとんど見なかったが、「寅さん」シリーズを TV で見てから、山田ファンになっているということが鑑賞の動機でしょう。

 「ユーモアたっぷりの場面と、しんみりとさせられる場面のどちらにも、観客を力強くとらえるものがある」などと簡潔に内容を説明し、「私と時間を共有することなく幼時に逝った姉が生きていたならば、私との関係はどうだっただろ」うと思い、また、残っている姉の唯一の写真をみて、「いかにも姉という気持ちで思い浮かべることが出来る」不思議さなどにもふれています。また、画家いわさきちひろの孫、松本春野のデビュー作で、山田監督が監修した『おとうと』という絵本が出版されていることが紹介されています。


 さる2月18日、姫路京友会で行なった講演の要旨です。湯川を敬愛し、科学と文学に造詣が深い筆者ならではの充実した内容の講演です。

 『湯川秀樹自選集』第5巻の「まえがき」には、中国唐時代の詩人・李白の言葉、「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」の引用がある、として、その部分の湯川の言葉を次の通り紹介しています。

 李白の文の前半からは「この世界は万物のために、ある種の受け入れ態勢を整えている」という含意を汲みとれる。1964年(湯川の素領域理論発表2年前)頃に、このことに気づき、物理学者の集りで、「いれもの」としての時間・空間と、「中味」としての素粒子の間の相互規定を考える手がかりになりそうだとして、この言葉を何度も引き合いにだした。これが二年ほど後に「素領域」という概念を結晶させるための核ともなったのである。こんなことを言うと、人は奇妙に感じるかも知れない。しかし私にとって、学問と文芸とは全く別なものではない。

 また、湯川の随筆『荘子』(同上第3巻所収)には、「四、五年前、素粒子のことを考えている最中に、ふと『荘子』のことを思い出した」として、渾沌の寓話が紹介されていることも、次のように紹介しています。

 この随筆が書かれた当時、基本的な素粒子と考えられていた陽子や中性子に加えて、30数種にも及ぶ素粒子が発見されて、素粒子よりも、もう一つ進んだ先のものを考えなければならない状況であった。それは、さまざまな素粒子に分化する可能性を持った、しかしまだ未分化のもののことで、それを、私がそれまでに知っていた言葉でいうならば、渾沌というようなものになる。渾沌の話に登場するシュクもコツも素粒子のようなものと考えて、それらが、南と北からやってきて、渾沌の領土で一緒になったことを、素粒子の衝突が起こったのだと思えば、渾沌というのは、素粒子を受け入れる時間・空間のようなものといえる。

 そして、筆者は「これも、素領域概念の一つの端緒と考えられるような言葉である」と評するなど、湯川の著作などからの言葉を中心に、客観的にまとめています。

 湯川の大学での同期生で、原子核実験を専門にした木村毅一が話した『荘子』の一節や、中間子論発表30年を記念して、京都で開かれた素粒子国際会議の招待状に、湯川の気持をよく表わしている「原天地美 達萬物理」というスカシが入れられた話を加え、以下のように結んでいます。

 素粒子物理学の分野で新しい理論を生み出すには、まず物理的な模型を考えてさらに、それを数式化することが必要である。新しい模型を考え出すためには、想像力が重要な役割を果たす。湯川の場合、想像力を培った一つの主な源泉が中国の古典だったということは確かだと思われる。中間子論の場合には、中国古典の影響は、アナロジーの巧みな利用という間接的な形だったと思われるが、晩年の素領域理論では、もっと直接的な、発想のヒントとという形だったということは、物理学史上でも珍しい例ではないだろうか。

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