2010年3月3日水曜日

「ふと思いあたった」の謎(改訂版)(The Mystery of Yukawa's "New Insight")

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 以下の和文は、上記英語版と同じ内容である。2007年9月19日づけの和文初版では、今回、可能性 (2) として記すことの根拠に気づいていなかったので、可能性 (1) を決定的とみて記した。

 湯川は、中間子論の形成においての重要な出来事について、半生の自伝『旅人』の中で、次のように述べている。

 十月初めのある晩、私はふと思いあたった。核力は、非常に短い到達距離しか持っていない。それは十兆分の二センチ程度である。このことは前からわかっていた。私の気づいたことは、この到達距離と、核力に付随する新粒子の質量とは、たがいに逆比例するだろうということである。こんなことに、私は今までどうして気がつかなかったのだろう。

「十月」とは1934年10月のことである。

 他方、湯川は1933年4月、東北大学で開催された日本数学物理学会年会において、「核内電子の問題に対する一考察」という、「生まれて初めての研究発表」(『旅人』の表現による)を行った。その要旨 [1] 中には、次の記述がある。

更に輻射との類推により(輻射が電子、陽子間の相互作用の仲介者であつたと同様な意味で)電子が陽子と中性子との間の相互作用の仲介者であって、核内に於ては電子は一種の場の如く作用すると考へられる。而して上に述べた様な形の電子に関する方程式を解けば、中性子と陽子との間の相互作用がわかる筈である。電子には静止質量のあることからして中性子と陽子との間の距離が h/(2πmc) に比して大きくなれば相互作用の勢力は急激に減少することが想像される。

これによれば、湯川はこの要旨を書いた時点において、すでに、核力の到達距離と、核力を媒介する粒子の質量が逆比例の関係にあることに気づいていたことになる。したがって、『旅人』の記述はこの講演要旨と矛盾している。

 矛盾の理由としては次の二通りの可能性が考えられる。
 (1) 湯川は講演要旨で使った関係を、その後、誤りと見て、いったん忘れていた。
 (2)「ふと思いあたった」あたりの表現は、『旅人』を連載していた朝日紙の協力担当者(澤野久雄)によって、書き換えあるいは書き加えがなされたものである。

 可能性 (1) を示唆するものとして、日本物理学会誌・湯川追悼特集号中の、河辺・小沼両氏による記事 [2] がある。その記事には、湯川が1933年春の学会講演要旨を書いたすぐあとで、要旨に記した核力の到達距離と媒介粒子の質量の関係を否定していたことが記されている[注参照]。このように一度はほうむり去った関係だったので、再発見の必要があったと見ることができる。

 可能性 (2) を示唆するのは、湯川自身の記述である。澤野久雄が『旅人』への協力者だったことは、角川文庫版の同書 [3] の「あとがき」に記されている。また、湯川は「自分の書いた本」[4] という文に次の通り書いている。

 うすれていく古い記録を呼び起して、詳しい自叙伝を書くのは、容易なことではなかった。一九五八年の春から夏にかけて、八十回ほど連載されている間に、私のヨーロッパ出張の日がどんどん迫ってきた。最後の一応のしめくくりを書きあげたのは、飛行機の出る数時間前であった。

この文は、『旅人』の問題の箇所のある最終章の原稿が、湯川のヨーロッパ出張直前にでき上がったことを示しており、澤野の修正・加筆に対して、湯川は事実との相違をチェックできなかったことが想像される。

 湯川も澤野も故人となったいま、どちらの可能性が真実だったかを見定めることは困難である。

 (この記事を書くにあたっては、「湯川秀樹を研究する市民の会」での討論を参考にした。)

 文献

  1. 『数物学会誌』第7巻第2号; 日本物理学会編『日本の物理学史』下 資料編 (東海大学出版会, 1978) p. 319 に再録; 朝永振一郎「量子力学と私」[『朝永振一郎著作集11』(みすず書房) と『物理学と私』(岩波文庫) に所収] にも解説とともに引用されている。

  2. 河辺六男, 小沼通二, 日本物理学会誌 37, 265 (1982); 九後汰一郎, 数理科学 No. 522, 19 (2006) に、関連箇所が引用されている。

  3. 湯川秀樹, 『旅人』 (角川, 1960).

  4. 湯川秀樹, 自分の書いた本, 『本の中の世界』p. 182 所収 (岩波, 1963).


 注:湯川は1933年4月の講演原稿中では「実際計算すると出てこない」と訂正し、また、その頃書かれた「ボーズ電子論」という草稿(「談話会及び Colloquium 原稿, 1934−1935」というファイルに保存されていたもの)に「…電子のコンプトン波長を含む項は一種の位相因子として入り、…距離と共に急激に減少するとは言えないという結論に導かれる」と記していた [2] 。

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