Mさんが紹介した武谷の言葉 [1] は次の通りである。
湯川、坂田両氏は、最初のスカラー場を量子化し、この方法で陽子中性子のあいだの力を再度計算してみると、最初の論文で引力として出ていたものが、計算のまちがいであることがわかった。陽子と中性子の力はスカラー場では斥力しか出なかったのである。こうなると、陽子と中性子が引っぱり合ってできている重水素核が理論からは出てこないことになる。
湯川氏が最初の論文で計算をまちがわなかったら、引力の重水素核の状態を出してくることができないので、最初の論文が発表できず、湯川理論は生まれなかったであろう。計算のまちがいが湯川理論を成立させたことになったのである。計算もときどきはまちがうことも悪いことではない。
最初のスカラー場では、磁気能率やその他の核力の性質がでてこないだけではない。核力を引力に出してくることすらできないのである。これはなんとかしなければならいということになった。
武谷の言葉の趣旨は、中間子論第2論文は、第1論文の誤りに気づいて書かれたということと思われる。計3回出て来る「スカラー場」は、ふたつ目のところで「斥力しか出なかった」とあるところから、「スカラー中間子による場」ではなく、「ベクトル中間子による場の第4成分」の意味と解釈すべきであろう。
ところで、「最初の論文で引力として出ていたものが、計算のまちがいであることがわかった」という武谷の表現には疑問がある。第1論文の "The reason for taking the negaive sign in front of g will be mentioned later." という文からは、 g の前の符合は、Brown ら [2] が述べているように、「選択した」と取るのが正しいと思われる。そうすると、「計算のまちがい」でなく、「斥力になることに気づかないで、引力のポテンシャルを書いたつもりとしては、まちがった符合を選んだことがわかった」というべきである(のちの計算で分かったように、ベクトル中間子場の第4成分という意味では、選んだのは、たまたま、ちゃんとした計算と合う正しい符合であった)。
さらにいえば、Pais [3] が述べているように、そもそも湯川が符合は選べると思ったのが、まちがいのもとであり、このまちがいは、相対論的ラグランジアンから出発する扱いを省略したことから来たものと思われる(これを「計算のまちがい」と呼んでもよいというならば、武谷の表現はそれでよいことになるが)。
なお、私のこの記事の第4報において、デイビスの本にある「場の量子論の数学的計算をきちんとすれば、力が引力になるか斥力になるかは、交換される仮想量子のスピンによって決まることが分かる」という言葉を紹介したが、その「きちんとした計算」の紹介は私の手にあまるところである。興味のある方は、たとえば文献 [4, 5] を参照されたい。
(完)
- 武谷三男, 素粒子論グループの形成, 坂田昌一, 武谷三男『真理の場に立ちて』(毎日新聞社, 1951) [のちに『素粒子の探究—真理の場に立ちて—』として再出版 (勁草書房, 1965)] 所収.
- "This 'choice' was later found to be inconsistent with the original type of meson theory, leading subsequently to other types." L. M. Brown and H. Rechenberg, "The Origin of the Concept of Nuclear Forces," p. 108 (IOP, 1996).
- "Yukawa incorrectly believed to have the freedom of replacing g2 by −g2." A. Pais, "Inward Bound," p. 431 (Clarendon Press, 1986).
- J. J. Sakurai, Advanced Quantum Mechanics, Sections 1-3 and 4-6 (Addison-Wesley, Reading, Ma., 1967).
- A. Zee, Quantum Field Theory in a Nutshell, Section I-5 (Princeton University Press, Princeton, 2003).