2011年5月16日月曜日

郷里・金沢へ 2 (Visit to My Hometown Kanazawa 2)


Abstract: After the newspaper club reunion, I had a mini-reunion of our junior high school with two lady friends of mine. On the third day in Kanazawa, I visited S-kun's home, especially to meet his mother (98 years old). The photo above shows the view from the veranda of his home. The small mountain seen in the picture is Mt. Daijoji. (The main text is given in Japanese only.)

 新聞部同窓会に続いて、私は T さん、M さんと全日空ホテルの喫茶室で、中学のミニ同窓会をした。この会合は従来、M さんの代わりに A さんが参加して、私の金沢訪問時に2回持ったものの変形した延長である。さる1月に A さんが亡くなり、今回は M さんをピンチヒッターのように引っ張り込んだのである。

 M さんの父君は、私の出身高校の数学の先生で(私は彼女の父君から、数学の普通の教科でなく、受験用の問題集をテキストにした授業を受けた)、私の父を知る人でもあった。彼女は、父君の勤めている学校へ通うのは嫌だったと、前にも同窓会の折に聞いた話をした。

 T さんは、私の高校時代の創作中のヒロインのモデルだと、K 君がいいふらした人である。それを高校時代に聞いた Y 君が、その創作のコピーを T さんに上げた(大学生時代のことだろうか)という話を昨秋になって、 Y 君自身の口から聞いた(「お礼に花束を貰ったが、その扱いに困った」と、彼はつけ加えた)。そのことを私が話題にしたところ、T さんは、「ヒロインは私に少しも似ていなかったわよ」といった。それもそのはず、その頃の私は T さんについてまだよくは知らなかったし(中学校は同じでも、クラスが一緒になったことはなかった)、モデルにしたのは、作中のほんの一場面の、しかも部分的状況に過ぎなかった。ヒロインは当時の私の理想の女性像を具象化したものだったのである。

 この日の晩、N 君に電話してみたところ、彼は私をホテルへ迎えに来て、主計町(かぞえまち)の飲み屋へ連れて行ってくれた。ホテルへ帰ったのは午後11時半過ぎだった。

 金沢での3日目、12日の午前に、S 君の住まいを訪れた。彼も新聞部同窓会に来ていて、母堂が98歳で健在であり、会いに来て欲しいと乞われたのである。それは、私の望むところでもあった。彼の住む市営住宅は、ベランダから大乗寺山が望める静かな住宅街にある(上掲の写真は、そのベランダからの眺め)。母堂は、耳が少し遠くなっているものの、他に不自由なところはなく、週刊誌を読んで、クイズにも応募しておられるとか。私の母より11年あとの1913(大正2)年生まれで、高校生時代には、ずいぶん若いお母さんだと思ったものである。60年ぶりの再会だった。

 私が訪れたことのなかった A さんの家は、番地から見て、S 君の住まいのごく近くと知ったので、S 君にバス停留所まで送って貰う途中、いまは住む人のない A さんの家を見た。A 家の表札がまだ残っており、前庭には木々が繁り放題であった。同じく金沢市内に住む A さんの姉は認知症になっていると聞いていたので、他家のことながらその家の後始末はどうなるのかと気になった。(続く)

(To be continued)

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