[Abstract] Reading two reviews, I got totally different impressions of Kuniko Iwahashi's book "Hyōden Nogami Yaeko (Biography of Yaeko Nogami)." Comparing descriptions in the two reviews, I discuss which one is more reliable. (Main text is given in English only.)
先般、野上弥生子に関連する文を書いたが、それに先だって、この作家の評伝(文献 1)に対する2編の書評を読んだ。1編は朝日紙に掲載されたもの(文献 2)で、もう1編は赤旗紙に掲載されたもの(文献 3)である。私は両書評から評伝自体についてかなり異なる印象を受けたので、ここにそれらの比較を述べてみたい。
先に読んだ朝日紙の書評では、その題名が示す通り、評伝が隠された「裏面」を掘り起こしたという点に的が絞られている。したがって、書評の読者は、たとえ野上の作品を尊んでいた者であったとしても(『迷路』しか読んでいない私も、そういう読者の一人であるが)、これまでの考えを翻さなければならないような気にさせられる。評者は冒頭で、自らの野上に対するイメージが「くるりと変ってしまったのである」と述べていることもあり、その方向での影響が大きい書評になっているといわなければならない。
他方、その後で読んだ赤旗紙の書評は、評伝が野上の一作品についての手厳しい批評や、人としての弱点についての鋭くまた辛辣な批評を記していることをまず紹介しているが、「しかし」といって、そこから主論に入る。評伝中の『迷路』への賞賛の言葉を紹介し、野上の夫の死後の、哲学者田辺元との恋愛の描写や『秀吉と利休』論について、評伝を高く評価している。その上で、「宮本百合子との友情にも筆が届いているが、…(中略)…2人の文学の対比で、もっと深めてもらいたかった」と、注文をつけてもいる。結びの文は次の通りである。
はばかりなくその素顔に迫りつつ「現代の女性作家の先駆け」としての存在の大きさを伝える、出色の評伝である。
私はこれを読んで、これまでの考えを翻す必要はなかったと思わされた。
朝日紙での評者が、
野上の夫が謡曲研究者として名高い豊一郎であること、60代後半で哲学者の田辺元と「恋」をしたことにゴシップ的興味をひかれて手に取ったのだが、…(以下略)…
と書いていることを考えあわせると、赤旗紙の評者は揺れのない視点に立っていて、広く深い洞察の見られるその論は、より確かであると思われるが、いかがだろうか。
文 献
- 岩橋邦枝, 評伝 野上弥生子:迷路を抜けて森へ (新潮社, 2011).
- 田中貴子, 隠された「裏面」掘り起こす力作,『朝日新聞』(2011年11月13日).
- 澤田章子, 素顔に迫り存在の大きさ伝える, 『しんぶん赤旗』(2011年12月4日).
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