2012年9月28日金曜日

『母の遺産―新聞小説』[Haha no Isan: Shimbun Shōsetsu (Inheritance from Mother: Newspaper Novel)]


[Abstract] While having relatively short time for reading every day recently, I finished reading Minae Mizumura's Haha no Isan: Shimbun Shōsetsu (Inheritance from Mother: Newspaper Novel) (524 pp.) within a small number of days. This novel includes not only serious problems many people have now or will encounter in the future but also entertaining factors such as a romantic affair and a mystery-like episode. I believe that this is a highly well-written and successful piece comparable to her earlier works, all of which got prestigious prizes. (Main text is given in Japanese only.)

 水村美苗著『母の遺産―新聞小説』[1](524ページ)を、最近毎日の読書時間の減っている私ではあるが、短時日で興味深く読了した。冒頭の章で母の遺産について電話で話し合う姉妹・奈津紀(なつき)と美津紀(みつき)は、水村の以前の作品『私小説—from left to right』[2] に登場した姉妹のその後を思わせる。ただし、『私小説』は姉妹の留学先のアメリカでの話だったが、奈津紀と美津紀は日本に住み、二人とも留学経験があるのはフランスとなっている。それにしても、美津紀は一人称で描かれていてもよいほど、作者の経験と思いが込められた主人公であると思った。それもそのはず、読後に知った新聞記事 [3] によれば、水村自身この作品について、「[主人公は]12 歳でアメリカに渡らずに、千歳船橋[東京]の家に住み続けた、もう一人の自分(笑)。私のパラレルワールドですね」と語っている。

 主人公の母と祖母についても詳しく描かれていて、彼女たちは、水村美苗の母・水村節子による自伝的小説『高台にある家』(文庫版 [4] が最近出た)の母とその娘に酷似しているようである。しかし、『母の遺産』は私小説ではなく、著者の見聞と経験を巧みに取り入れた創作的小説というべきであろう。そして、「新聞小説」という副題は、『読売新聞』土曜朝刊に連載されたことにも関係しているが、美津紀の祖母が、読売新聞に 1897(明治 30)年から連載された尾崎紅葉の『金色夜叉』のヒロイン・お宮に自分を重ね合わせていたという描写を中心に、新聞小説の社会への影響に目を向けていることからも来ていて、その二重性が面白い。ある書評 [5] は、新聞小説のことを「著者が周到に埋め込んでいる重要な登場者」とまで書いている。

 この作品には、介護、終末医療、夫婦の気持の行き違いなど、多くの人びとが現在直面しているか将来抱えるかするであろう深刻な問題が扱われている(帯に引用されている美津紀の思い「ママ、いつになったら死んでくれるの?」は、一見恐ろしい言葉であるが、作中では、ごく自然に思われさえする)。他方では、主人公夫婦のなれそめのロマンチックな場面や、美津紀を含めて誰が自殺してもおかしくない長逗留客たちが偶然集まった湖畔のホテルでの日々のミステリー的な挿話もあり、読者の興味を硬軟両面から引きつけ続けて止まない。文豪・漱石の未完の作品『明暗』の続編、私小説、本格小説と、いろいろな実験を重ねて、つねに著名な賞を得るほどに成功して来た作者によるこの「新聞小説」も、憎らしいほど優れた出来栄えである。ただ、p. 124 に「出自」が「出目」と誤植されているのが惜しい。

 なお、上記の新聞記事には水村が、「次は、どうすれば翻訳によって失われるものが少ないかを理論的に考えた "翻訳可能小説" を書いてみたい。でも最終的には、構造も何もないものを、と。やっぱり、そこに日本の小説のいい部分がありますから」と、新しい実験についてほのめかしている。次の作品は『翻訳可能小説』か、はたまた『無構造小説』か。いずれにしても、また大いに期待される。

文 献

  1. 水村美苗, 母の遺産―新聞小説 (中央公論, 2012).
  2. 水村美苗, 私小説—from left to right (新潮, 1995).
  3. 水村美苗さん 長編『母の遺産-新聞小説』「私のパラレルワールド」, msn 産経ニュース (2012年5月17日).
  4. 水村節子, 高台にある家 (中央公論, 2012).
  5. 田口久美子, 娘たちの不自由、そして小説の爆発力:『母の遺産─新聞小説』(水村美苗著), 文藝春秋 WEB (2012).

0 件のコメント: