2012年9月9日日曜日

大野晋『日本語の起源 新版』に関連して [In Relation to Susumu Ōno's Nihongo no Kigen (Origin of Japonic Languages): New Edition)]


大野晋著『日本語の起源 新版』(岩波新書)(アマゾンのウェブ・ページから)。
Susumu Ōno's Nihongo no Kigen (Origin of Japonic Languages): New Edition)
(taken from the Amazon Japan Web page).

[Abstract] The other day, I finished reading Susumu Ōno's Nihongo no Kigen (Origin of Japonic Languages): New Edition. In this book, the author understandably describes the research that led him to the Tamil language hypothesis about the origin of Japonic languages. Ōno's methods of and attitude in the research, displayed in this book, include something to be learned also by natural scientists. After reading his book, I have learned a little from Web pages about different hypotheses and recent researches on the origins of Japonic languages as well as those on the origins of the Indo-European language family. I describe here about what little I have learned, together with a few critical comments. (Main text is given in Japanese only.)

 何年も前に読みかけて途中でやめていた、大野晋著『日本語の起源 新版』[1] を、先日読了した。大野の研究した日本語の起源についてのタミル語説を分かりやすく紹介した本である。著者の研究は、単語の対応や文法の比較から、対応語と物や慣習の到来の関係までにも至っており、最終章には自説に対する疑問への答えも述べられている。この本以外に言語学を勉強したことのない私は、大いに感心した。日本語の起源を探る研究は人文科学分野に属するが、この本に現れている大野の研究方法や研究姿勢は、自然科学分野の研究者にも参考になるものと思われる。

 ところで、大野の説は言語学上、どのような位置づけになっているのかが気になる。『ウィキペディア』の「日本語の起源」のページ [2] を見ると、これまでに唱えられた主要な学説は、やや大きな分類でも、アルタイ語族説、朝鮮語同系説、オーストロネシア語族説、混合言語説などがあって、実に多様である。そして、大野の説は「クレオールタミル語説」の題名のもとに述べられていて、タミル語説への批判が多いことも記されている。『ウィキペディア』の英語版の対応ページ [3] には大野説の説明はなく、同版 "Susumu Ōno" の項 [4] へのリンクがあるのみである。そこには "Hypothesis on a genetic link with the Tamil language" という項があり、記述は全般に批判的である。

 しかし、『ウィキペディア』日本語版 [2] のクレオールタミル語説についての解説は、諸説の説明中で最も詳細を極めており、その冒頭には次の記述があることに注目したい。

大野晋はインド南方やスリランカで用いられているタミル語と日本語との基礎語彙を比較し、日本語が語彙・文法などの点でタミル語と共通点をもつとの説を唱えるが、比較言語学の方法上の問題から批判が多い。後に大野は批判をうけ、系統論を放棄し、日本語はクレオールタミル語であるとする説を唱えた。

英語版 "Susumu Ōno" [4] には、この、後に唱えられた「クレオールタミル語説」への言及がない。さらに、日本語版 [2] には次のような記述もある(「文法の対応関係」の項)。

なお、『日本語の起源 新版』で大野晋は、タミル文化圏から日本への文化移入に、五百年のタイムラグを伴っていることを示している [p. 114] が、近年、放射年代測定の進展によって日本の弥生時代が五百年遡る可能性が出てきた[2003年、国立歴史民俗博物館の発表]。つまり、農業、宗教祭祀、金属器とそれらに伴う言語・詩歌などの文化が、両地域にほぼ同時期に伝えられていたとする大野説を補強する可能性が示唆された。

この記述中、「五百年のタイムラグを伴っていることを示している」と「両地域にほぼ同時期に伝えられていたとする」は、矛盾するようで、これはいささか分かり難い記述であるが、先の引用にある「日本語はクレオールタミル語である」という説明を考えると理解出来る。大野が『日本語の起源 新版』p. 114 で示しているのは、従来の考古学の研究結果であり、他方、「日本語はクレオールタミル語である」とする彼のその後の説では、タミル文化圏と日本の両方へ農業その他がほぼ同時期に伝えられたと仮定されているのであろう。したがって、放射年代測定はこの仮定を支持し、大野説に味方する可能性があるということである。

また、「タミル語説への批判」の項の末尾には、大野説への批判は、後の「クレオールタミル語説」には当てはまらないとする、次の記述がある。

比較言語学者の観点では大野説が比較言語学の正統的方法に従っていないことを批判している。特に、歴史性を捨象して単語比較を行っている点が問題視されている。とはいえ、日本語がクレオールタミル語であるならば、比較言語学の対象ではなく、クレオール言語学の問題となる。クレオール語理論は系統論ではなく、タミル語と日本語との共通祖語を抽出する必要は無いからである。


 筆者はインターネット上で、たまたま次のような報道記事 [5] を見つけた。

日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
2011 年 5 月 5 日 18:47、発信地:パリ/フランス
【5 月 5 日 AFP】日本語の方言の多くは約 2200 年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4 日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。…

続いてこの記事は、日本語の起源に関する主な説は二つあるとして、それらは、定住が始まった 3 万年~1 万 2000 年前の石器時代文化に直接由来しているという説と、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼし、先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたという説であると説明している。そして、最近の考古学上および DNA の証拠は、いずれも後者の説が有力であることを示していると述べた上で、当該論文も後者を支持するものであることを報じている。その論文は、東京大学の長谷川寿一(Toshikazu Hasegawa)教授とリー・ショーン(Sean Lee)氏が、数十の方言の年代をさかのぼり、共通祖先を見つけようと試みた結果をまとめたもので、約 2182 年前の共通祖先に行き当たったということである。

 記事は、「リー氏は、農民の流入が始まった時期はこの時期より少し前の可能性があると指摘しつつ、『日本に流入した最初の農民たちが、日本人と日本語の起源に深い影響を及ぼした』と結論付けている」と報じている。記事の冒頭には「朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来する」とあり、朝鮮語同系説を思い浮かべさせるが、弥生時代に農業とともに言語が流入したという点では、クレオールタミル語説とも矛盾するものではないと思われる。また、2182 年という4桁もの数字が、「約」という言葉はついているものの、かなり無造作に記されているのはどうかと思う。科学的な推定値には普通、誤差がつきもので、その紹介においても、それを記すべきである。

 上記の二つの問題点のうち、前者については、同じ研究を報道している「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事 [6] は、次のように書いていて、より正確である。

The finding, if confirmed, indicates that the Yayoi people took Japonic to Japan, but leaves unresolved the question of where in Asia the Yayoi culture or Japonic language originated before arriving in the Korean Peninsula.

しかし、後者の点では、「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事も AFP の記事と同様である。

The computer’s date of 2,182 years ago for the origin of the tree fits reasonably well with the archaeological dates for the Yayoi culture, [Mr. Lee] reported Tuesday in The Proceedings of the Royal Society.

念のため、インターネットで原論文 [7](掲載誌は無料で全文を見ることが出来る)を探し、その中を見ると、標準誤差 47.21 年という数字が載っている(誤差に小数点以下は不要だろう)。

 最近の「サイエンス」誌に、"Mapping the origins and expansion of the Indo-European language family" という論文が発表された [8]。これは長谷川・リーの研究に用いられたのと同じ方法を使って、インド・ヨーロッパ語族の起源について「クルガン仮説」(5,000〜6,000 年前の黒海・カスピ海北方—現在のウクライナ—から、クルガン騎馬民によって広げられたとする)と「アナトリア仮説」(8000〜9500 年前アナトリア—現在のトルコ—から農業とともに広がったとする)がある中で、後者を支持する結果を得たものである。同様の研究結果は 2003 年にも報告されていて [9]、その論文は、さかのぼる年数も日本語の起源に比べればずっと大きいが、7,800〜9,800 年前という大きな誤差の範囲で推定出来たと記している。

 洋の東西で、言語の起源について仮説の同様な対立があり、どちらにも最近同じ研究方法が適用され始めたことは興味深い。

文 献

  1. 大野晋, "日本語の起源 新版" (岩波新書, 1994).
  2. "日本語の起源." "ウィキペディア:フリー百科事典" 所収 [2012年8月20日 (月) 05:45].
  3. "Classification of Japonic" In "Wikipedia: The Free Encyclopedia" (August 10, 2012 at 06:31).
  4. "Susumu Ōno" In "Wikipedia: The Free Encyclopedia" (June 14, 2012 at 01:06).
  5. "日本語の起源は朝鮮半島にあり? 方言の共通祖先を発見、東大." AFP BB News (May 5, 2011).
  6. Nicholas Wade, "Finding on dialects casts new light on the origins of the Japanese People." New York Times (May 4, 2011).
  7. Sean Lee and Toshikazu Hasegawa, "Bayesian phylogenetic analysis supports an agricultural origin of Japonic languages." Proc. Roy. Soc. B Vol. 278, pp. 3662–3669 (2011).
  8. Remco Bouckaert et al., "Mapping the origins and expansion of the Indo-European language family." Science Vol. 337, pp. 957–960 (2012).
  9. Russell D. Gray and Quentin D. Atkinson, "Language-tree divergence times support the Anatolian theory of Indo-European origin." Nature Vol. 426, pp. 435–439 (2003).

0 件のコメント: